下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

稲毛海岸 旧神谷伝兵衛稲毛別荘

千葉県千葉市稲毛区、この地名を訪れるのは、
久しぶりです。
「稲毛海岸」そしてここを走る千葉街道、14号線。
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ご承知の方もいると思いますが、そう、ここは以前海岸線で
この右側は美しい海が広がっていたのですね。

だからこそ、このような姿で当時そのままで残されえていたり
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それも、ごくごく自然に
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「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」
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当時はまだ個人宅としては珍しい鉄筋コンクリート造なので
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柱がほんと美しい。
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さあ、中に入りましょう

いきなりこの美しい姿の階段がお出迎え、
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洋間の応接室ですね
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神谷邸100 (103)_R
暖炉ーがあーるのよー♪
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寄木の床もあるのよ~これは凄い、当時そのままで
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残されている、間違いなし。

神谷邸100 (118)_R


さあ、2階はどうなっているのかな
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こんばんは
この柱の存在感にびっくりしたのですよー
”ロマネスク様式に通じる5つ連続アーチ”と
いうようなんですが、あんまりよくわからないです(笑)

>寄木の床もあるのよ~これは凄い、当時そのままで
自分の写真ももう一度見てみましたけど
この床は撮っていませんでした(汗)
寄木張りのことなんですねー
当時の職人さんの技術の素晴らしさを改めて思いました。

病気の療養と休息のためゆっくりとした時の過ごせる
場所としてここに建てた別荘からは海と松林が見えたはずです。
二階から見える風景を見ながら神谷伝兵衛さんは
何を思っていたのかしら?と訪問した時ふと考えたものです。

また、訪問してじっくり床も見なくちゃ(笑)

丁寧に写真も撮って下さってありがとうございました。
とってもとっても嬉しいです!
お時間があるとき、”千葉市ゆかりの家・いなげ 
旧愛新覚羅溥傑仮寓邸にも”ぜひっ!
[ 2015/04/11 22:41 ] [ 編集 ]
Re: こんばんは
masamiさんへ。
改めてこの記事のきっかけをくださったこと
お礼申し上げます。
この入り口の柱こそが、神谷伝兵衛さんの一番のこだわりだったのでしょうね。
寄せ木って、からくり箱などで箱根などで見かけますが、
建物の床に施すのって大変なお金と手間がかかるはず、
職人さんがプライドをかけて作り上げたのでしょうね。
全く色あせない姿で残されています。
そうですね。大正10年には伝兵衛さんはお亡くなりに
なってますから、風光明媚な風景を目にしながら
若い頃の思い出がまぶたに浮かんでいたのかも
などと考えたりしますね。
ラストエンペラーの弟さんの寓居、いつか訪れますね~
またぜひ遊びにいらして下さい。
[ 2015/04/12 08:08 ] [ 編集 ]
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