下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

日本橋富沢町 ~出逢えた幸せ④~

渡りに舟、でしょうか、すぐ近くに「三廼舎(さんのや)」さんを発見。
日本橋富沢町 (431)_R
凄く雰囲気のある店内。
日本橋富沢町 (453)_R
日本橋富沢町 (443)_R
「田舎しるこお願いします」
日本橋富沢町 (444)_R
出てきました。
日本橋富沢町 (433)_R
この佃煮が美味しかった、
ああ、そういえば佃島は眼と鼻の先
日本橋富沢町 (436)_R
おしるこは
日本橋富沢町 (437)_R
こぶりのお餅を
日本橋富沢町 (439)_R
口の中でタップリ味わってみました。
寒かったので生き返るよう。

この機会を逃してはもったいないです。昆布茶もオーダー。
日本橋富沢町 (447)_R
このお菓子、さりげないしゃっぱさで、美味しい。
日本橋富沢町 (451)_R

おかみさんにこの日本橋富沢町の歴史を訪ねたんです
徳川家康が「鳶沢甚内」という盗賊を使って別の盗賊を捕縛・処刑。
この時、褒美として与えられたこの地が、「鳶沢」が変化した「富沢町」
鳶沢がこの町で古着屋さんを始めて大繁盛したのが、
今の衣類の問屋街として続いているというのですから驚きです

そしてこのあたりの商店街の成り立ちについて、
そう、ここにあった「浜町川」を戦後、埋め立てることになった際に
日本橋富沢町 (466)_R
この地に屋台を出していた方々が、立ち退いた代替え地として
日本橋富沢町 (467)_R
あの長屋にお店を出すことになったそうです。
今は見る影もなく、公園として子供たちが遊ぶ場になってました。

日本橋富沢町、深いです。

いかがだったでしょうか、この街。
浅草橋から馬喰町を通り、東日本橋を経て富沢町に辿り着きました。
日本橋は歴史がいっぱいでした。
大門通りなんて、吉原が日本橋にあったという名残りでもあるのです。
日本橋富沢町 (484)_R
この記事のヒントを下さった「ほのぶらマン」さん、感謝申し上げます。
この後に人形町の夜景を見に行ったのですが、これも良かったです。

まご訪問下さったみなさま、感謝でございます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55
関連記事
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する