下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

横須賀逸見 軍都残照③

商店街に戻ると、お茶屋さんが目に入り
お店から出てきたご主人が、私を見るなり『ちょっと、(お茶を)飲んでくか?』と、、
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『いいんですか?』と言いつつ、図々しくお店に上がり込んだ。
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冷たいお茶を頂く、この日も暑かったから、生き返る美味しさ
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『白鳥園』のご主人は、この後、横須賀、そして逸見の町の歴史・物語を
たくさんたくさんしてくださいました。
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ご主人のご両親、そしてお茶どころから販売の手伝いに来てくださった
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お茶ガールたちの踊る姿
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この方、なんと美しいお顔、戦後間もない頃の記憶

『今はこの商店街も元気が無くなっちゃったけど、戦前・戦後と街は沢山の人出だったよ』
『それは、やっぱり軍隊が居て、軍人さんとその関係の方がたくさん買ってくれたんだよ』
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『今のどぶ板通りの汐入側の一角に、戦前は日本軍、戦後は米軍兵を相手にする色町があって、
そこで働いていた女性たちがこの逸見に住んでいた、下宿していたんだな』

『あの戦前からの写真館の周りにはその女性達が住んでいた宿ばかりだったよ』
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『戦前の地図が残っていてね』
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『今は1軒もなくなったけど、当時は銭湯が5軒もあってね、
その一番湯に入っていたのがその女性達』

『このお店の場所から、その先に見える通りまで、戦前は川だったんだね』
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『商店街の向こうにある細い道が「浦賀道」でそこからこの商店街側の多くは
実は海だったんだ。埋め立てたんだよ、海と川を埋め立てて、人が住んで街が大きくなっていった』

そんな、そんな歴史があったなんて、考えられない、女性たちが住む場所、、、
横須賀は戦前の日本軍、戦後の進駐軍からいろいろなものを得ながら
生き残っていた、そんな『軍都』だったんです。
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kozoh55さん。再び横須賀の紹介をありがとうございます。
逸見には良く行きますが、これほど掘り下げて町を見たことはありません。
お茶ガールの踊り、戦前の逸見商店街の地図、初めて見ました。
地図には川が描かれていますが、今では暗渠になっています。
丁寧に見れば、軍都残照があちこちにあるようですね。
今後はもっと細かく見ていこうと思います。
②の六枚目は塩屋さんだったようです。
その横が浦賀道で登っていくと汐入にいたります。
明治になって国道16号が出来るまではこの道が本通りだったようです。
崖の上を通りますが眺望は素晴らしいです。
もしまだでしたら、是非歩いて下さい。

[ 2017/08/01 16:08 ] [ 編集 ]
Re: ほしがきさんへ
こんばんは、コメント下さりありがとうございます。
お茶ガールの踊り、美しい容姿に惚れてしまったんですね。
昔あったつつましやかというか、控えめな姿に。
ご主人が見せてくださったんです、戦前の逸見の地図。
流れている筈の川は今は無く、
白鳥園自体がこの川の上、いえ、脇にに立っている感じなんですね。
『軍都残照』逸見に働く場所が沢山あった訳でなく、
横須賀の歓楽街で働く女性達、彼女たちの塒がここだったとは、
だれも知らない話ですし、5件あった銭湯の一番風呂を彼女たちがせしめていて
そのことを地元の子供たちはみんな知っている。
そうですか~お塩屋さんだったのですね、道理で大きな建物、
逸見の歴史建築物ですねえ。
そうですか、あの道を登ると、汐入までいくのですね。
崖の上を登って、、ええ、大丈夫ですとも、楽しみです。
逸見から行くか、汐入から行くか、
次の横須賀は、田浦を予定していますので、
またぜひ遊びにいらしてください。
[ 2017/08/02 19:47 ] [ 編集 ]
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