下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

児玉でしょうか?いいえ、本庄です。 本庄でしょうか?いいえ、児玉です③

本庄の次は児玉へ
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ここ、バス路線で、結構町の中心部
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のんびりと麦畑があったりします

町の中心地に聳える『八幡神社』はこの街の総鎮守
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宝暦6年(1756年)に建立された『隋身門』の扁額は、かの名君、松平定信公の揮毫。
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一言で『立派』だなあと
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佇まいが、なんとも落ち着いて上品
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児玉には主役級が一杯!
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はい、モスラですね、これは、
いえ、「おかいこさん」です
今は麦なども育てていますが、今から100年前は、みな「養蚕農家」だったんですね

だからこそ、街にはこんな建物も残されています
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『競進社模範蚕室』明治27年(1894年)建築
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建物の細部、全てがおかいこさんが立派に育つように作られ
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ここが全国の養蚕業の模範的な存在だったという
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繰り返しますけど、100年前、日本は『絹の国』でした
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この地も蚕をそだて、絹糸を作り、
人がおおいに集まったことでしょう
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