下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

終着駅 増毛

増毛はJR北海道の「留萌本線」の
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終着駅、でした。
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それは12月4日までの事
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12月5日からの終点は「留萌」
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「なして?」

増毛は江戸時代の北方の守りの要
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だからこそ、うだつが上がっている

蔵造りの建物、大商人の街
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日本最北端の酒造りの街
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日露戦争に勝利した日本は南樺太をロシアから割譲され、
留萌~樺太の船輸送を早急に整備することとなり、
その港として選ばれた街「増毛」

建物は格式高く
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大勢の子供たちがこの地に育まれた
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亡くなられた高倉健さんの代表作「駅STATION」の舞台
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歴史と伝統ある増毛駅と、増毛~留萌間は昨日12月4日を以て、廃線となりました。
[ 2016/12/04 23:34 ] 終着駅 | TB(0) | CM(8)
こんばんは
昨日コメント書く時、ふとカテゴリー見たら
一番下に「終着駅(0)」があって...
”たぶん、JR留萌線のことだろうなぁ”って思っていました。

春の漁期にニシンを満載したり、石炭も載せて貨物列車が行き交ったとか...。
地元の方には、賑やかな思い出がたくさんあったのでしょうね?
[ 2016/12/05 20:32 ] [ 編集 ]
Re: こんばんは
お晩ですmasamiさん、コメント下さりありがとうございます。
おっしゃるとおりです、留萌線は石炭を運んだ歴史があり、
だからこそ、沼田町には炭鉱のための札幌から沼田を繋ぐ
「札沼線」が走っていたのです。
ニシン番屋は今も増毛に残されていて、何より住む人たちが
ニシン漁で生活していたんですね。
ある時、プツンとニシンは獲れなくなり、
沼田の炭鉱も昭和30年代に全て廃鉱になりましたよ。
それから50年近い時間が過ぎて、今月増毛駅はお仕事を終えました。
高校3年の時の仲間7人と海合宿をしたのも増毛です。
面白かった~
賑やかな思い出は私の中にこそたくさんあったのですね。
またぜひあそびにいらいてください。
[ 2016/12/06 23:27 ] [ 編集 ]
いまさらのコメントで申し訳ないです(汗)

>沼田町には炭鉱のための札幌から沼田を繋ぐ
「札沼線」が走っていたのです。

これを読んで北海道の古地図のデータベースを見つけまして
しばらく眺めて遊んでいました(笑)
大正3年地図に沼田駅の近くに「ロフタユシフニ」っていうカタカナが
書いてあってたぶん右から読みだと「ニフシユタフロ」?
なんのことかわかりませんでした...
何か気づく言葉がありますか?

それと他の方のブログで昭和45年の沼田町の写真を見つけました。
ご存知だったらごめんなさい。

http://caranx.at.webry.info/200711/article_3.html
[ 2017/01/23 21:17 ] [ 編集 ]
Re:masamiさんへ
いや~凄い写真を紹介して頂きありがとうございます。
この写真、微妙に私が生まれる前のようです。
昭和45年は生まれてますね、チビで洟垂れ小僧です。
「ニフシタフロ」
なんだろう、ぜんぜんわかりません、これは、宿題挽き受け株式会社ですね。
写真、もしかしたら、私の実家が映っているかもしれません。
うーん、これは、預かりいたします。
お答えは、記事としてアップするか、コメントに入れておきます。
まずは一報申し上げます、ありがとうございます、masamiさん。
[ 2017/01/24 23:29 ] [ 編集 ]
写真のブログでコメント欄に「YO」さんという方が沼田町で
間違いないと書かれていたので、もしかしらkozoh55さんのお家が
写っているかしら?と思って紹介してみました。

「ニフシタフロ」ですが、私もその後調べてみたところ
深川市のHPに「アイヌ語に由来する地名」についての
書いてありまして「ニウシッペッ」入志別がそうではないかと...
アイヌの人たちは現在の深川市街あたりを「ニウシペッ」と
呼んでいたようです。
でも「オサムナイ」や「ポロナイ」など今でも同じものが
あるところを考えると「ニフシタフロ」が「ニウシッペッ」とは
ちょっと無理があるような気がしています(笑)

また調べてみます!
[ 2017/01/25 20:45 ] [ 編集 ]
Re: masamiさんへ
よく調べましたね~凄いです。
先に2枚目の写真、これは私の実家のある本通りの交差点から五ヶ山・留萌方面を望んだ場所です。
左に少し見えている文房具屋さんが「沼田商店」こちらは沼田の町名にもなっている、
町の開祖とも言うべき方「沼田喜三郎」さんの子孫が住んでます。
右に見える家電屋さんは「山森さん」というお店。
私の実家の「沼田食品株式会社」は、沼田商店の向かい側にあります。目と鼻の先ですね。
1枚目の写真、これは当時の沼田の一番の「本通り」を見た写真です。
石狩沼田駅から駅左側の方の先を行った商店街です。2枚目の写真の手前側という感じです。
作田薬局が大きいですね。そこから先がカザマスポーツ、丸三呉服店、隣がたぶん沼田商工会議所、
その先に何かお店、そして家具屋さんがあって、その隣が沼田食品です。
でもそこに何も無いようにも見えるのが不思議で、また現在のお店の前の
ぼろい木造家屋の時代だった可能性があります。そして沼田商店に続くのです。
「入志別」全然知りませんでしたが、ただ、深川に入志別という地名が現存するのは
事実のようです。
「ニフシタフロ」やっぱりわかりませんが、「入志別」という説で正解なような気がしますね。
この際、兄に頼んで昭和40年代のころの街の様子の写真を入手して
アップしますね、こうご期待を。

[ 2017/01/27 00:12 ] [ 編集 ]
おはようございます
ストリートビューで、今の本通りを見ると
道路も広くなって、全く面影がないですね。
家具屋さんの隣のヒサシのあるお店が見えるから
これがもしかしたら「沼田食品」さん?

でも「山森さん」「作田薬局」「カザマスポーツ」「丸三呉服店」
「沼田商工会議所」とスラスラご近所のお店の名前が出てくるのって
すごいです(笑)

沼田喜三郎さんは、留萌線の敷設に計画外だった沼田町に線路を
敷設するため誰よりも早く誘致活動を行ったりと、沼田町の歴史に
なくてはならない方なのですね。
妻子を残して49歳!?の時に北海道へ渡った喜三郎さん...
その歳で!妻子を残して!!どんな想いだったんだろうと
ふと思いました。

>深川に入志別という地名が現存するのは
事実のようです。

やっぱりそうでしたか~。私も調べてみたのですが
大正7年の古地図だと「ニウシュタプコプ」
「タプコプ」は今の「コップ山」らしくこの「コップ山」を
含めて「ニフシユタフロ」つまり「入志別」だと思います。

深川市はkozoh55さんの青春時代の思い出の街なんですよね?
・・・いや~てっとり早く深川市の”教育委員会 生涯学習スポーツ課
文化・スポーツ係”にメールで質問しようかと考えてました(笑)

昭和40年代の頃の写真、大好物(≧▽≦)
楽しみにしていますっっ!!
[ 2017/01/28 10:43 ] [ 編集 ]
Re: おはようございます
こんにちは、masamiさん、コメント下さりありがとうございます。
そうですね、妙に道路が整備されてスッキリしています。
一応、国道275号線沿いにお店があったということでしょうね。
沼田喜三郎さんは沼田町の偉人・恩人ですね。
沢山の移住者を引き連れて入植したリーダーですね。
当時の沼田は、人食い熊が発生して、民家を襲ってくるという
大変厳しい経験されて、その上にいまの平和な沼田町があるのですね。
深川には私の青春時代が残されています。
みんな、どうしているのでしょうね、同窓会にもう
20年以上出ていないですから、遠い、遠い記憶になってます。
またぜひ遊びにいらしてください。
[ 2017/01/28 15:54 ] [ 編集 ]
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