下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

山形・米沢 しんとした風景(6)

明治時代の薬箱、いや、もっと古いのかもしれない
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これは、何だったか、医療用具なのは覚えているけど
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せまく、ゆっくりとした階段のその先は
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ひたすら美しいのだ
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この螺旋階段の上に3階、4階があるのだが、使用禁止になっていた
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お猿さんのように、頂上に上がって、この街のしんとした姿を
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ちゃんと見てみたかった

人体図、これを見ながら日本人医師がこの病院を巣立っていったのだろう
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戦前のレントゲン装置は
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非常に高性能だったと書かれている
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なんだか、一度使ってみたくなるのが不思議

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出逢えた幸せに感謝
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こんばんは
旧済生館本館、ほんとに4階まで登ってみたいですよね(笑)

中もきれいに保存されているよう素敵です。
病院とはいえ「文明開化の象徴」として宮大工さん達も
大変だったろうなぁって思いました。

レントゲン装置、あの形でどうやるんでしょ?(笑)
ね?
[ 2016/09/03 21:07 ] [ 編集 ]
Re: こんばんは
おはようございますmasamiさん。
コメント下さりありがとうございます。
本当にどうして上に上がれないのか、残念で仕方ありません。
内部の姿、そしてそこから見渡せる風景、
明治の人々の息遣いが伝わってくるかもしれませんし、、、
いつか公開してほしいですね。
おっしゃるとおりで、洋式建物を造り上げるのは技術だけでなく想像力も必要だったでしょうね。
新しい文化を取り入れていく、素晴らしいことです。
ええ、ええ、何か聴診器みたいなものが付属されていたので、
あれを胸に当てたのでしょうか、、放射線出っぱなしですね。(笑)
[ 2016/09/05 07:14 ] [ 編集 ]
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