下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

桐生 ゆめ(夢)の続き⑤

この街で起きた150年の出来事が夢であったなら、
目が覚める日もくるであろうが、全ては「リアル」

この桐生で最初に造られた鉄筋コンクリート建築は今も現役だという
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江戸時代まで遡りそうな建物、
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ずっと変わらぬ姿であり続けること、それが出来ることがこの街の底力なんだと感じた。
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実はこんな煉瓦の建物群が、この街の観光の中心
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本町は、江戸時代徳川家康がこの地を産業都市としての栄えさせたい、
という志で街づくりを指示されたのだった。
その街造りの起点となったのが、この桐生天満宮
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懐かしき桐生です。
桐生には、17~18年前に仕事でよく通いました。
織物の町としての栄光の歴史がありますが、今は求心力が低下し、
結果的に古き良きものが残ることになりました。
桐生天満宮へ向かう本町の長い商店街やノコギリ屋根などが
栄光の時代の証言者なのでしょうが、人口も減少しており、
長く伝えていくには苦労も多いでしょうね。
せめて観光的な盛り上げの材料になれば良いのでしょうが。
通っていた当時からうどんが名物で、ひもかわなどを楽しんだものですが、
今はさらにいろいろなご当地グルメらしきものができているようですね。
今は縁がなくなり、毎年正月のニューイヤー駅伝で桐生が中継所となって
いる映像をテレビで見るのが、唯一の接点となっています。
懐かしい記事をありがとうございました。
西桐生駅、特に懐かしかったです。
[ 2016/06/25 20:59 ] [ 編集 ]
Re: 懐かしき桐生です。
こんばんは、ほのぶらマンさん、コメントくださりありがとうございます。
いつも貴重な情報、感謝でございます。
そうでしたか~桐生と縁があったのですね。
おっしゃる通り、産業の街が気がつくと古い建物の観光の街に変わっていく、その通り道を歩いていいる、そんな街でした。
変化に付いていくのも大変、取り残されると、置いてけぼりになってしまう。
ただ、蓄積された文化遺産をこれほど持っている街もなかなかないでしょうね。
そうでしたか~浅草ですき焼き弁当を買って食べている場合じゃないですね。あまり美味しくなかったし、次回は是非食べてみますね!
西桐生駅、あのどこかスタンダードな姿には、多く 人を惹きつける魅力があるのですね、私にとっても忘れられない場所になりました。
[ 2016/06/26 20:06 ] [ 編集 ]
Re: 懐かしき桐生です。
追伸
ほのぶらマンさ 、また是非遊びにいらして下さい。
[ 2016/06/26 20:07 ] [ 編集 ]
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