下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

桐生 ゆめ(夢)の続き④

「五十番」ここもまた歴史ありな風情
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お隣に和菓子屋さんが、、、
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元気な奥様から黒糖のオリジナルどら焼きをいただく
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奥さん曰く、「この店の前の通りは「糸屋通り」なんだけど、もう糸屋さんが0軒になってしまったのね」
そんなこともあるのだろう

「桐生倶楽部」大正8年に造られたこの建物は桐生の近代化の象徴、桐生財界の集いの場所として現役。
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けれど、この街の不思議な所は、この倶楽部の前の通りが
いかにも庶民向けの飲み屋街であること、昔は色町だったとも聞く
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旅館「賤(しづ)」さん、泊賃2,500円と書いてあるが、本当だろうか
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その先に「賤」さんは廃墟としての悲しい姿として、そこにあった。
やはり、残念ではある。

「賤」富めるもの以外の方への宿だという意味だろうか、今は訪ねる相手もいない。
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桐生倶楽部 とても美しい建物ですね^ ^
遠目には 新しい建物に見えるぐらいです。
丁寧に補修管理が行き届いているのでしょう〜

目の前の通りが飲み屋街とは不思議な組み合わせですね。

花街あとは 今は飲み屋街に変貌をとげている場所が多いですね(=゚ω゚)ノ
法律が変わり 花街で働いていた女性たちが生きていく術として
飲み屋を選んだ末の姿なのかもしれませんね。

高校の時の友達が 大学進学に共ない下宿探しに同行した時…
「賤」のような素泊り旅館街がある地域に迷い込んだのを思い出しました。
新宿の外れの方だったかなぁ〜?!今はあるのか…無いのか…
当時と同じ値段設定なので その時で時間が止まったかもしれません。
もう〜30年近く昔の事です(ノ´ - ` ;)
携帯すら無い時代…その数年後に友達に出した手紙も
ある日 舞い戻ってきて そのまま連絡が途切れました。

ちょっと切ない思い出を思い出した記事でした (*´ω`*)

なかなかマメに伺えませんが… また遊びにきます^ ^
[ 2016/06/25 09:24 ] [ 編集 ]
Re: shizuさんへ
お晩です、コメント下さりありがとうございます。
おっしゃる通りで、遠目にも、そして近くで見ても古さは一切感じられませんでした。
上品さと当時の桐生経済界を支えた方々の意気込みすら伝わって来ましたよ。
そうなんです、元町沿いに作られるべき建物、そんな気持ちにもなりましたが、
大正から昭和にかけての新興の経済人たちが、
あたらしい街づくりの場所として、この仲町を選んだのでしょう。
色街から飲み屋街へ、そして、人通りが途絶えつつある場所へ
そんな移り変わりをいろんな場所で見ていましたが、
でもこの街はまだ夜になると変貌するのかもしれません、13万人が住む街ですから。
そうですか、新宿で「賤」のような宿のある場所の迷い込んだ、
友人の思い出の象徴的な場所だったのでしょうね。
また、気の向いたときで結構ですから、遊びにいらしてください。
[ 2016/06/25 22:05 ] [ 編集 ]
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