下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

藤沢宿 飯盛女

穏やかな風が吹く藤沢を訪れました、今日。

もう帰り際、目の前に現れたのは、藤沢の永勝寺に眠る「飯炊女の墓」
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飯盛女、江戸時代、宿場の旅籠屋で給仕をする女として「飯盛女」は公認されていた。
飯盛女は同時に遊女の役割も持ち、藤沢宿では遊郭は無かったが、
大鋸町では2カ所の旅籠で「飯盛女」を置くことを役所に公認されていたという。

「小松屋」の抱えていた飯盛女の墓は39墓。
飯盛女がこのように供養される場合は少なく、小松屋の温情が伝わると書かれていた。
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けれども、後ろ姿はやはり寂しげに見えました

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こんにちは
飯炊女は、飯盛女とも言われてますよね。

成田街道を調べていた時、船橋宿にも飯盛女がいたそうで
成田詣とは、表向きで実際は飯盛女目当ても多かったとか...

小松屋さんも商売ですから仕方のないことでしょう。
お墓を建てない旅籠が当たり前だったからこそ
小松屋さんの優しさが珍しかったのですね。
[ 2016/03/03 16:54 ] [ 編集 ]
Re: こんにちは
おばんですmasamiさん、コメント下さりありがとうございます。
そうでした~飯盛女という呼び名こそ、江戸時代の
逞しくも悲しく生きていた彼女たちの、おもひでぽろぽろなんでしょう。
小松屋さんは人としては普通の供養を行ってくれて
飯盛女の皆さんは、
名もなき人生を、たった一人で終えることとなり、
忘却のかなたになってしまうのですね。
ご指摘感謝いたします、早速、飯炊女→飯盛女
に記事を修正いたします。
ありがとうございます、またぜひ遊びにいらしてください。
[ 2016/03/05 01:01 ] [ 編集 ]
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