下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

長崎 被爆地という現実

ずっと前から不思議だったこと、ヒロシマ型の原爆より威力は上といわれたナガサキ型の原爆の
直撃、そう、空中での爆発を被ったのに、なぜグラバー邸は焼け残ったのかと。

爆心地近くを訪れる
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平和記念像はこの爆心地にあった
「長崎刑務所浦上刑務支所」で亡くなった人たちへの追悼として終戦から10年後に作られた
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この人の瞳が閉じているのは、原爆被災者の冥福を祈った姿

爆心地の刑務所跡
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何もかもが溶けてしまったのか、これだけが残されている
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塀の跡かた
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永井隆(ドクター)さん
長崎医大で戦前より放射能の研究をしていて、
長崎医大診察室で被爆
奥さんを助けに自宅に帰ると、溶けてしまっていた愛妻がそこにいて
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この写真の自身の子供達を愛し続け
自らはこの狭すぎる自宅「如己堂」で戦前から放射能研究で被爆した体を蝕んだ
白血病と闘い続け、1951年永眠された。
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爆心地に作られた慰霊碑
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逃げ場がなくて、結局、川に逃げて、とてつもない放射能を浴びた川の水を飲んで
たくさんの人が死んでしまったという

これも、長崎の姿
関連記事
永井隆さんが 溶けてしまった奥様を見た時の心うち
どんなに辛かっただろうと思うと 目頭が熱くなりました。
慰霊碑に書かれている言葉も…
何て言葉に表現したらいいのか分かならない思いです。

もう2度と戦争起こさない世の中を 未来に繋ぐためにも
辛いけど知った方がいい歴史ですね。

kozoh55さん とても 濃い長崎の旅でしたね^ ^

余 談)
硝子戸に写るkozoh55さんが 思った以上にお若い!!
イケメンさんで目が釘付けになってしまいました(笑)
[ 2015/12/05 10:10 ] [ 編集 ]
Re: shizuさんへ
おばんです、コメント下さりありがとうございます。
今回の旅で、ほんの1時間くらいしか原爆関連施設が集まる浦上地区に居ませんでしたが、
一瞬で街が人が消えてしまうのを、この街の人達は経験したのですね。
この場所を案内してくれたタクシーのドライバーさんも
ご家族に被爆者がいるとおっしゃってました。現在進行形なんですね、全てが。
長崎は濃い街で、1泊2日では触れておしまいの感がありました。
再び訪れるのが楽しみです。
そうでしたか、黒く人らしきものが映っているけど、
まあ、わからないかなあと、、、
コメント、ありがとうございます、嬉しいです。
また是非遊びにいらして下さい。
[ 2015/12/05 23:08 ] [ 編集 ]
おはようございます
おはようございます、 kozohさん。

最近『長崎の鐘』という歌を教えていただいて。
中学生の頃に、永井隆さんの著書を読んだことが甦ってきました。
長崎には若いころに友人に連れられて一度だけ訪れたことが。
もっと勉強して行けばよかったな、などと。

kozohさんの記事拝見し、長崎の映画観たくなりました。
今からちょっと行ってきます。
いつもありがとうございます。
[ 2015/12/16 08:59 ] [ 編集 ]
Re: おはようございます
おばんです、うづらさん
私も今、ユーチューブで「長崎の鐘」を聞いています
暗い、悲しい曲かなと思っていたら、
どこか希望に満ちたフレーズに思えたのは、私だけでしょうか。
そうですか、以前、長崎に行かれたのですね。
私もそうなんですが、意外と若いころに行った場所は
あまりよく覚えていない。
わたしもうづらさん同様で「ぼーっと」していたんでしょう。
長崎の映画を見に行かれるのですね。
そういえば、長崎ではなく、広島のお話で
もう、7、8年前にこうの史代さんの
「夕凪の街 桜の国」に出会って
映画も見に行って、泣いて、泣いて、
止まらなくなったのを思い出します
淡々と描かれているのがまた、悲しみが伝わってきて
こちらこそいつもありがとう
またぜひ遊びにいらしてください
[ 2015/12/17 01:38 ] [ 編集 ]
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