下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

小田原 新開地と呼ばれた場所①

たぶん、駅から少し東海道に近づいて、
脇に逸れた「大工町」を歩いていたんだと思います
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この街の駅周辺は全てが商店街、それも別々なのがいっぱい
大工町から交差している「新栄通り」で出会ったもの
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それは、cafeでした
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中を見て驚く。関東大震災直後に復興した大正時代の建物
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階段室、だとは分かっても、窓があるよ
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いつの日までは、法律事務所だったのですね
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何しろ可愛かった~
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ジンジャーエール頂きました
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この日、急に温度が上昇、このひゃっこさが嬉しい
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お店の方にkozoh55が訪ねる、
「このあたりに昔、花街、色町があったと聞いたのですが、ご存知ですか」
お店の方はわからなかったようだけど、お客様が教えてくれる
「ああ、新開地ね、、、あの先に見える学校、その裏手に行くと、
どぶ川が昔あって、「新開地」と呼ばれてたのよ。そのあたりに建っている建物の窓から、
女の人が手を振ってくるの。小さい頃、なんだか怖かったのよ」
小田原201507 (207)_R
ありがとうございます、早速行ってみます
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[ 2015/07/15 23:15 ] [ 編集 ]
Re: aunt carrotさんへ
おはようございます、コメント下さりありがとうございます。自分でも小田原でこんなにもはまるとは思ってなかったのです。私も小田原城と二宮金次郎さん関連の施設、生家と記念館位しか知らなくて。江戸時代から続く薬屋さんとの出会いから、この街は歴史を重んじるのだなど、けれど、関東大震災では震源地に近くほぼ壊滅、それを大正時代にすぐ復興、そのたくましさにも惚れました。高台ゆえに生かされた清閑亭。
あと、今日紹介しますが、和風パン文化。駅前のお店で売っていたあんぱん、美味し過ぎますから~。いつも丁寧なコメントありがとうございます。また是非遊びにいらしてください。
[ 2015/07/16 08:30 ] [ 編集 ]
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