下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

普段使いの街 矢切と私(3)

矢切に来たからには、「矢切の渡し」には行くよねえ、と、
まだ春の寒い3月、風も強かった3月に江戸川方面に向かう
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庚申塚が典型的な姿でお出迎え
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見猿、言わ猿、聞か猿が
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昔のセーターの柄に見えているようでは、いけません。
この庚申塚全体は「矢喰村庚申塚」と呼ばれ
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矢喰村と書かれる、読まれる時代もあったようです

そうそう、「矢切の渡し」がなぜ私たちが知っているかというと
伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台が矢切だったからですね~
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寒かったので「野菊の墓文学碑」の場所をスルー
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旧家の木造建築に「萌え~」とか感じても
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「まっすぐで」
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「寂しい」一人歩き
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ここにも「野菊の墓」の記念碑
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「私は野菊の生まれ変わりよ」
「どうやら民さんは野菊のような人だ」

い~いお話のようだけど、この日は風強く波高し
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この時期の畑なんて、寒々しいに決まっているのに
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何故kozoh55はこうして歩いているのか

やっと見えてきた、あの堤防の向こうには、
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「矢切の渡し」と江戸川が見えてくるはず、
渡しで川を渡れば、温かい草団子など頬張ることが出来るよ

遂に「矢切の渡し」の入口に到着
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つづく、、、
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