下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

武家と商家の共存共栄③

武家と商家の共存共栄などと、難しいタイトルをつけてみたkozoh55
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『ふれあい通り商店街』を歩いて、歩いて
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日光街道と『ふれあい通り商店街』の交差点にたどり着く
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そこには歴史建築物風の建物があり
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街に戻る感じで日光街道とその商店街が現れる
相当しみじみしている風だ
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日光街道沿いの商店街に踏み入れようとしたその時、
最近、街歩きをする度に現れてくれる神の老婆、名付けて『神婆』
『あんた、何しているの、?何探しているの?』
『いや、今日初めて古河に来て、駅でパンフももらえなくて、なんとなくここに来たんです』
『そうなのかい、ここから先が日光街道だよ』
私が日光街道古河宿の事を質問しようとした時
彼女が驚きの言葉を投げかけてくれた

『あんた、私の家の脇に走っているこの細い道、なんだかわかるかい?』
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『いえ、何か特別な道なんですか?』
『鎌倉街道だよ、この細い道が、、、、この町で知っている人も少ないがね』
『ええ~っつ、鎌倉街道?日光街道より古いじゃないですか』

老婆はその後、この道に沿って作られた下水が自宅との境界に近すぎて
お役所に敷地を狭められた事を何度も語っていた。
私がお話しできたことのお礼を言うと、
『あんた、今日も暑いから、水分だけは取りなさい、水、持ってるか?あげるか』
見ず知らずの旅の者である私に最後まで親切にして下さり、
そして別れを告げた。
[ 2017/08/20 20:38 ] 日光街道 | TB(0) | CM(0)

古河 武家と商家の共存共栄②

江戸時代は幕府家老職を担った古河藩の城下町として、
同時に日光街道の古河宿として商業も栄えた街

その象徴的な街並みの一つ『鍛冶町 みらい蔵』
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煉瓦蔵は明治時代のものだろうか
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この引き戸は昭和初期にも見えます
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今は見れなくなった風情
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みらい蔵の向こうも素敵な蔵あり
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みらい蔵脇の道沿いにも蔵
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柑橘系、美味しい実が生ることでしょう
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ふと空き地のようなところに目をやると
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古い金庫、それも巨大なものが
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放置されていた
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どれだけの時代と『お金』を溜め込んできたのだろうか
商家としての街の姿

鍛冶町から日光街道に向かったところにある『日光街道古河宿道標』
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『左 日光道』、『右、筑波道』
交通の要衝であったことが感じ取れますね
[ 2017/08/19 22:33 ] 日光街道 | TB(0) | CM(0)

古河 武家と商家の共存共栄①

古河と書いて「こが」と読む、茨城県の日光街道宿場町『古河』
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駅構内はとても地味だった
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駅を降りても地味
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このお店は何者なのか
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けれどさりげなく煉瓦塀があるなんて
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この街は素敵に決まっている
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お昼を食べようと、ラーメン屋さんを探していたら
地元で人気の餃子屋さんを発見、今日はこの店で頂こう
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待つこと20分、ラーメンも美味しかったけど
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やはりこの餃子の迫力負けました
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餃子ひとつひとつを噛みしめて
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満足してこのお店をで出たkozoh55

『餃子の丸満』さん
地元のお客様たちが、普段着姿で訪問して、思いっきり食べきる姿が
素敵なんです

[ 2017/08/18 23:47 ] 日光街道 | TB(0) | CM(1)

横須賀 迷宮STORY うつろい

横浜が日本史に登場するのは幕末、
横須賀は中世、三浦氏の時代からなので、
古さでは横須賀に軍配が上がる

横須賀駅から数分の所にある和菓子屋
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『松月』さん、美味しかった~
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この根付は非売品、残念。

扉の向こうは、どんな風?想像もつかない
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昭和な喫茶店も
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現役で頑張っている
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日本の産業に一躍買ってる街としての横須賀
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浦賀には、今も明治期に作られたドッグが姿をとどめている
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田浦
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山と森の合間に作られら街
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ひたすら穏やかな風景
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これも横須賀STORY

そして、私が現在勤めている職場(川崎駅前)の同僚に、横須賀出身は多い
『按針塚』『汐見』『衣笠』
今度横須賀出身の同僚達に、自身の『横須賀ストーリー』を聞かせてもらおうと思ってます

またいつかこの街は記事にし続けます
kozoh55

横須賀 迷宮STORY 軍都

猿島に江戸の防衛のために台場が作られたのが1847年
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明治以降、東京湾要塞となっていった
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砲台跡は今も生々しい姿を残している
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だからこそ、日本海海戦で大勝利を収めた海軍の旗艦『三笠』も
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横須賀港に『残された唯一の軍艦』として展示されている

料亭『小松』
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戦前は大日本帝国海軍
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戦後はアメリカ軍、そして自衛隊を顧客として
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この姿を残し得たのも軍都ゆえ


太平洋戦争末期、軍港でありながら本土空襲を一切受けなかった横須賀
衣笠も
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逸見も
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田浦も
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汐入も
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戦前からの街並みを残しながら進化していった

それは、戦争終結後にアメリカ軍がそのまま使用する事を決めていたから、残されたという
どこか『迷宮』を背負っている街なんだろう

横須賀 迷宮STORY 皆ケ作

普通の住宅街、更に奥に入っていくと、見えてきたもの
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今にも役割を終えようとしている『看板建築』
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戦前?戦後?とにかく建てた当時の気品が伝わってくる

その先にも何か
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伝統的な姿がお目見え
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ここは、何屋さんだったのだろう
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以前、商店街の路地で見かけた窓の意匠が
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ここにそのまま残されている

こここそが『皆ケ作』
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不可思議な建物は、ここにもある
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何の、何のお店だったのか?囲われた入口は質屋のようにも思える
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この地の建物の中でも、小高く聳えている姿
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脇には玄関があり
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大きくて由緒ある風な建物が
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何の施設だったかは、私には知ることが出来なくて
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『病院だろうか?』『海軍の病院?』
などと呟いてみても、誰も教えてくれるわけがない

横須賀 迷宮STORY 田浦再び

逸見のお茶屋さん『白鳥園』のご主人が教えてくださった事、
『田浦には駅周辺にも色街があったみたいだけど、商店街から坂を上がった方
「皆ケ作」にもあったんだよ、でも当時の建物は全て無くなったね』

ごく普通の駅『京浜急行田浦』
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ああ、商店の看板にチュンチュンといるわあ
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楽しい街だ
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前回も訪れた『仲通り商店街』
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この街灯がめちゃくちゃ昭和な感じ
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この辺りが『色街残照』だった、残っている
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【過去写真】けれど、この建物を
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【過去写真】見つけることが出来なかった
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『見届けられた幸せ』になってしまったか

けれど、商店街から見える高台の方に向かい始めると
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これまた、昭和であり、料亭であり、色街残照と思える建物が
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目の前に現れる
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時のかけら THE RAILWAY MUSEUM

力強かったり
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メカニカルにも思えて
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どこか廃墟のようにも見える
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機関車の下部から見上げることが出来るなんて、ここだけの特典なんですね
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博物館礼賛 ここが『てっぱく』なのか

ここから始まる
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これは、新幹線の祖先か?
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『EF55形式電気機関車』は東海道線の特急列車『富士』などで活躍
昭和11年製造、戦前の電車、乗って見たかったわ~

これが日本初の新幹線車両『0系』
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私が初めて新幹線に乗ったのは、高校の修学旅行で、東京から京都に向かった時
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たぶん、間違いない

そして、SL登場
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『C57形式蒸気機関車』昭和15年製造、旅客列車のけん引に活躍
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このC57が岩見沢の街を走っている写真を見かけて
ああ、きっとそうなんだと思った私でした
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この崩れかけた橋梁を猛々しく走り抜けていた蒸気機関車こそ
C57だったのではないかと
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けれど、レールは撤去されてから、もう何度目の秋だったのだろうか
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タウシュベツ橋梁と周辺の橋梁群

鉄道博物館と私の物語
[ 2017/08/07 23:03 ] 博物館礼賛 | TB(0) | CM(0)

博物館礼賛 鉄道博物館

ここから、日本の鉄道史が始まる
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民間鉄道初の蒸気機関車『善光号』明治14年製造。
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これは、どこで誰が使用したのか?
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どれも私には直接的な関わりは、ない

『マイテ39形式客車展望室』
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東海道本線の特急用1等展望車はある意味
現代の新幹線などとは全く違う意味で『絢爛豪華』そのもの

ああ、また小宇宙が始まる
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どこか幾何学的でもあり、
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けれど、昨日一辺倒でない、姿、小窓が憎いほど素敵
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私はたぶん、この列車に乗ったことが無い
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戦前の客車?昭和初期の建物調とも言える
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ああ、寝台車、高校の修学旅行で青森から東京まで、、乗ったのか?
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いやーこんな立派ではないっしょ(北海道弁)
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[ 2017/08/06 22:52 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)