下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

横須賀逸見 軍都残照③

商店街に戻ると、お茶屋さんが目に入り
お店から出てきたご主人が、私を見るなり『ちょっと、(お茶を)飲んでくか?』と、、
170717-145140-逸見20170717 (167)_R
『いいんですか?』と言いつつ、図々しくお店に上がり込んだ。
170717-145105-逸見20170717 (163)_R
冷たいお茶を頂く、この日も暑かったから、生き返る美味しさ
170717-140754-逸見20170717 (159)_R
『白鳥園』のご主人は、この後、横須賀、そして逸見の町の歴史・物語を
たくさんたくさんしてくださいました。
170717-135439-逸見20170717 (148)_R
ご主人のご両親、そしてお茶どころから販売の手伝いに来てくださった
170717-135451-逸見20170717 (151)_R
お茶ガールたちの踊る姿
170717-135540-逸見20170717 (153)_R
この方、なんと美しいお顔、戦後間もない頃の記憶

『今はこの商店街も元気が無くなっちゃったけど、戦前・戦後と街は沢山の人出だったよ』
『それは、やっぱり軍隊が居て、軍人さんとその関係の方がたくさん買ってくれたんだよ』
170717-140348-逸見20170717 (158)_R
『今のどぶ板通りの汐入側の一角に、戦前は日本軍、戦後は米軍兵を相手にする色町があって、
そこで働いていた女性たちがこの逸見に住んでいた、下宿していたんだな』

『あの戦前からの写真館の周りにはその女性達が住んでいた宿ばかりだったよ』
170717-154044-逸見20170717 (266)_R

『戦前の地図が残っていてね』
170717-142348-逸見20170717 (161)_R
『今は1軒もなくなったけど、当時は銭湯が5軒もあってね、
その一番湯に入っていたのがその女性達』

『このお店の場所から、その先に見える通りまで、戦前は川だったんだね』
170717-145201-逸見20170717 (168)_R
『商店街の向こうにある細い道が「浦賀道」でそこからこの商店街側の多くは
実は海だったんだ。埋め立てたんだよ、海と川を埋め立てて、人が住んで街が大きくなっていった』

そんな、そんな歴史があったなんて、考えられない、女性たちが住む場所、、、
横須賀は戦前の日本軍、戦後の進駐軍からいろいろなものを得ながら
生き残っていた、そんな『軍都』だったんです。

横須賀逸見 軍都残照②

商店街の通りの裏手に出て、細い路地に出逢う
170717-125632-逸見20170717 (52)_R
美味しそうな定食屋さん、食堂、
170717-125647-逸見20170717 (54)_R
なんだか見たことのない、凝った意匠の建物
170717-125722-逸見20170717 (55)_R
後で紹介するお茶屋『白鳥園』のご主人の話だと
170717-125804-逸見20170717 (62)_R
戦前からの写真館だったそうだ
170717-125806-逸見20170717 (64)_R
『この建物が古いのよ』道ゆく老婆がいきなり私に話しかけてきて
170717-130153-逸見20170717 (76)_R
この建物が街を代表する古い建物であることを
170717-130206-逸見20170717 (78)_R
教えてくださった。自分は幸せ者だ。
170717-130106-逸見20170717 (75)_R

この細い通りは、実は『浦賀道』という江戸時代から続く
大切な道だったという

美しい風情を見せてくれる建物が
170717-130330-逸見20170717 (94)_R
170717-130707-逸見20170717 (103)_R
次から次へと現れる『浦賀道』

浦賀道から逸れた路地には、
170717-131143-逸見20170717 (116)_R
まるで色街であったかのような姿をした
170717-131507-逸見20170717 (133)_R
『逸見(へみ)』恐るべし
170717-131320-逸見20170717 (123)_R

横須賀逸見 軍都残照①

仕事関係で横須賀出身の方がいて、「横須賀おススメの場所あります?」と伺ったところ、
『逸見(へみ)』の商店街、昔ながらの感じが残ってますよ~と、

早速京浜急行線『逸見』駅へ
170717-124339-逸見20170717 (7)_R
この辺りからは、横須賀市内に歩いて行ける
170717-124344-逸見20170717 (8)_R
横須賀市の駅の多くは、駅の上りも下りもトンネルがあり、
山の間に作られていることが多い
170717-124418-逸見20170717 (11)_R
駅は地味そのもの
170717-124700-逸見20170717 (17)_R
駅に隣接したアーケード『逸見中央商店街』
170717-124732-逸見20170717 (20)_R
いきなり素敵な建物に遭遇
170717-124924-逸見20170717 (25)_R
これは、まごうこのなき戦前の銅板看板建築
170717-124944-逸見20170717 (27)_R
この商店街、戦前戦後を通して横須賀の軍関係者にとって
170717-125020-逸見20170717 (33)_R
とても便利な商店街だったのでしょう
170717-125029-逸見20170717 (36)_R
窓枠がスクラッチタイルなんて、粋で贅を感じます

『ふじみや』さんも平仮名の文字が可愛い看板建築
170717-145520-逸見20170717 (180)_R
上部の作りがまるで看板建築のお手本のようです
170717-145811-逸見20170717 (189)_R
モルタル細工がこれほど美しく残されているのは、珍しいです
170717-145928-逸見20170717 (198)_R

出逢いの街 蒲田西口商店街群③

『戦前、実家がお豆を販売するお店をやっていたのよ』
『戦争の影響もあって、道路の拡張でお店は閉店したの』
『空襲されるようになって、私達子供は疎開、今も有名な観光地に行ったわ』
170627-144639-蒲田・六郷・雑色20170627 (140)_R

『疎開地では、地元の子供達にいじめられ、出される食べ物も少なくて、辛かったわよ』
『忘れられないのは、体育館の中の床に、子供たちが野菜を植えた時の事』
『収穫まで手伝わされて、収穫された野菜はひとつも口にすることが出来なかった』
170627-134329-蒲田・六郷・雑色20170627 (99)_R


『今も恨んでいるわよ、あれは疎開地の先生達で食べてしまったんだって』
『戦争が終わって、蒲田に戻ってみると、全て丸焼け、残っていたのは、
電通の建物と、池上本門寺がずっと向こうに見えた、それだけ』
170627-143656-蒲田・六郷・雑色20170627 (120)_R
『新橋にある電通本社の近くで働いたりしながら』
『なんとかこのお店を出すことが出来てね』
『当時の男の友達なんて、みんな死んじゃったね、男は酒を飲むから長生きできなんだよ』

170627-134415-蒲田・六郷・雑色20170627 (100)_R

1時間もそこにいたでしょうか
彼女はこの話をお昼のサンドイッチを食べながら私にしてくださった
ありがとう、ありがとう
[ 2017/07/28 00:33 ] 出逢いの街 | TB(0) | CM(1)

出逢いの街 蒲田西口商店街群②

下町を歩いていると、時々、相当な歴史を感じる喫茶店に出逢う
170627-134620-蒲田・六郷・雑色20170627 (103)_R
ここも、そんな軽い気持ちで入る『順喫茶 リオ』さん
170627-143259-蒲田・六郷・雑色20170627 (111)_R

30年、40年と、毎日丁寧に営業されて、
今日もお客様を笑顔でお迎えするお店もあれば、

長い年月営業して、くたびれてしまって
その役割を終えようとしているお店、

いろいろな出逢いがある

この日は、

「いらっしゃい」とかなりのご年齢の女性が迎えてくれた
レモンスカッシュをオーダー
170627-135302-蒲田・六郷・雑色20170627 (105)_R
勝手に店内を撮影
170627-135505-蒲田・六郷・雑色20170627 (109)_R
このアールになっている天井は、
他の昭和20年代からの喫茶店でも見られたもの
当時のブームだったのかもしれない

ふと、振り返り建物奥の壁を眺めた
170627-140045-蒲田・六郷・雑色20170627 (110)_R
何だろう、この壁、ガラスのタイルを積み重ねた?のか、、、

『この美しいタイルのようなもの、何です?ガラス?ですか』
『これはね、クリスタルよ、当時、高かったのよ~これ、
何しろ一日にほんの少ししか積めないものなのよ』
『そうなんですか、クリスタル、こんな感じでお店に張られているのを見るの、初めてです』

『何時から営業されているんですか』
彼女は少し考えた後、答えてくれたくれた。
『昭和29年よ』
『えっ、そんなに歴史があるんですか、、あの、、おいくつの頃に始めたんですか?』
ずうすうしく、聞きずらいことを訪ねるkozoh55.
『いまさら、年をごまかしてもしょうがないからね、今、私、85歳だから』
『えっ、、、こんなお若いのに、、現役でお店をされていて、85歳、、ありえない、凄い事ですよ』

そこから、彼女の蒲田の戦前・戦後のお話が始まる。

続く
[ 2017/07/26 22:57 ] 出逢いの街 | TB(0) | CM(0)

出逢いの街 蒲田西口商店街群①

蒲田西口の商店街をなんとなく歩く
170627-133545-蒲田・六郷・雑色20170627 (86)_R
170627-133658-蒲田・六郷・雑色20170627 (89)_R
170627-143538-蒲田・六郷・雑色20170627 (118)_R

『あら、おんなじだわねえ』
後ろから声が響く
振り向くと、そこには杖をついたかなりの高年齢のおばあちゃん
『シャンシャンて、歩くと音がするの、おんなじよ』
そう言って、鈴の付いたキーホルダーを私に見せてくれた
『家のお孫ちゃんが買ってくれたのよ、たくさん』
ああ、そうなんですか、嬉しいですね
『いいわよね~、歩くと音がして。あなたのと一緒だわ』
本当に、そうですね。

『じゃあ、さよなら』
さよなら

私の街歩き用リュックにぶら下がる
170725-155348-田浦20170725 (392)_R
仲間たち
170725-155433-田浦20170725 (393)_R
5年間の街歩きの勲章かな、音がするやつ、多数あり
[ 2017/07/25 22:57 ] 出逢いの街 | TB(0) | CM(0)

びば、ラーメン!! 出逢えた幸せ

ここ数カ月で出逢って、幸せな気持ちになったお店達

「えるびす」さん
170708-115604-KOZ_5145_R.jpg
170708-115607-KOZ_5148_R.jpg
地元では有名なお店らしいのですが、この日、ぶらりと初訪。
170708-114419-KOZ_5139_R.jpg
一番人気の「醤油らーめん」
170708-114427-KOZ_5141_R.jpg
醤油のような、塩のような、見た目はあっさり系のスープ
170708-114431-KOZ_5143_R.jpg
けれど、しょっぱい、しょっぱいが美味しい、そして背油がなにしろ、
美味しさを増してくれる。
いやあ、癖になりそう。

東京都豊島区西池袋3-30-2 ロイヤルプラザ 1F
池袋駅西口 約5分 立教大学近く

JR市川駅前を永田町方面に向かって歩いていたら
170624-125756-蒲田・六郷・雑色20170627 (224)_R
行列の出来ているイタリア料理屋
「ドゥエイタリアン 」で出された料理は見間違おうことない「ラーメン」でした
170624-124757-蒲田・六郷・雑色20170627 (214)_R
真ん中に浮いているのはゴルゴンゾーラ入りチーズ、『らぁ麺フロマージュ』
170624-124822-蒲田・六郷・雑色20170627 (219)_R
あっさりとしたスープに、雑炊の具を入れたら
170624-125310-蒲田・六郷・雑色20170627 (221)_R
これがまたメチャ美味しくて
170624-125504-蒲田・六郷・雑色20170627 (222)_R

黄金の塩らぁ麺 ドゥエイタリアン (Due Italian)
東京都千代田区九段南4-5-11 富士ビル 1F JR市ヶ谷駅徒歩5分

まだ紹介していない、『横須賀市逸見(へみ)』で出逢ったお店
170717-133906-逸見20170717 (146)_R
店舗の外観では、どんなラーメンが出るかわからない

博多ラーメンでした
170717-132416-逸見20170717 (137)_R
ああ、ここ、美味しい
170717-132423-逸見20170717 (139)_R
細い麺に、腰が一本通っていて
具も美味しくて、飽きることなし
170717-132429-逸見20170717 (141)_R
もちろん替え玉まで頂いて、スープ完食

神奈川県横須賀市東逸見町1-51
『拉麺処 なお』さん

横浜山手 異人達の記憶④

港の見える丘公園近くに、静かに佇む『山手111番館』
170711-173603-横浜山手洋館スペシャル201707 (491)_R
中に入るといきなり現れる吹き抜け空間は、まるで金谷ホテル本館のようで
170711-174226-横浜山手洋館スペシャル201707 (532)_R
個人宅とは思えないスケール
170711-173842-横浜山手洋館スペシャル201707 (500)_R
それでいて、建物全体は落ち着いた、大人の建物、そんな印象で
『どこに住んでみたい?』と聞かれたら、ここが一番と答えますね。
170711-174313-横浜山手洋館スペシャル201707 (535)_R
入口のこのアーチも素敵でした~

そして

エリスマン邸では
170711-161215-横浜山手洋館スペシャル201707 (285)_R
こんな可愛い容器から出てくる卵の黄身を乗せた
170711-154007-横浜山手洋館スペシャル201707 (208)_R
プリンを頂いたりして~
170711-153937-横浜山手洋館スペシャル201707 (200)_R
170711-154154-横浜山手洋館スペシャル201707 (217)_R

昭和2年建築の『えの木てい』(チェリーサンドが有名なケーキ屋さん)では
170711-164210-横浜山手洋館スペシャル201707 (345)_R
こんな素敵な店内を眺めながら
170711-163614-横浜山手洋館スペシャル201707 (327)_R
170711-163634-横浜山手洋館スペシャル201707 (331)_R
美味しくクランベリーかき氷を頂いたりして
170711-162319-横浜山手洋館スペシャル201707 (312)_R
楽しみすぎております
170711-162331-横浜山手洋館スペシャル201707 (314)_R

横浜山手、沢山の歴史的洋館の存在が有名ですが、
170711-170915-横浜山手洋館スペシャル201707 (439)_R
猫たちの表情もなかなかでしたね
170711-171044-横浜山手洋館スペシャル201707 (450)_R
元気でしたし
170711-172551-横浜山手洋館スペシャル201707 (467)_R
ほんと
170711-173043-横浜山手洋館スペシャル201707 (482)_R
いろんなのがいるなあ
170711-175349-横浜山手洋館スペシャル201707 (547)_R

横浜山手 異人達の記憶③

明治時代に本に上陸した『水道業』
170711-170845-横浜山手洋館スペシャル201707 (432)_R
コイが泳いでたりして、それがこの施設が役割を終えたと思われることに
170711-170646-横浜山手洋館スペシャル201707 (419)_R
繋がっていく
170711-170655-横浜山手洋館スペシャル201707 (422)_R
近代的なインフラ、日本ではこの横浜の地から始まった

『外人墓地』
170711-172248-横浜山手洋館スペシャル201707 (460)_R
この日、この場所に着いたのが5時近く
170711-172315-横浜山手洋館スペシャル201707 (462)_R

もう、入ることが出来なかった
あの、生麦事件の異人さんの被害者も、ここに眠る
今度はじっくりと見てみたい

『山手234番館』
170711-165002-横浜山手洋館スペシャル201707 (363)_R
昭和2年、外国人を対象として建てられた『アパートメント』
170711-164326-横浜山手洋館スペシャル201707 (351)_R
柱が、とても安心感があって印象的でした
170711-164440-横浜山手洋館スペシャル201707 (356)_R

『山手資料館』(山手十番館)明治42年建築
170711-165101-横浜山手洋館スペシャル201707 (369)_R
現在は飲食のレストランとして純粋な民間企業が運営する
170711-165359-横浜山手洋館スペシャル201707 (385)_R
日本最初の水道遺構は
170711-165711-横浜山手洋館スペシャル201707 (400)_R
ここだったかしら、神戸だったかしら
170711-165714-横浜山手洋館スペシャル201707 (401)_R
ライオンの注ぎ口には、当時の思い入れが感じられます

横浜山手 異人達の記憶②

JR石川町駅を降りると
170711-124957-横浜山手洋館スペシャル201707 (21)_R
どちらかというと、、地味目な商店街が姿を現し
170711-124954-横浜山手洋館スペシャル201707 (20)_R
その先には、『セザンヌ小路』という、これまた渋めの通りへ
170711-125903-横浜山手洋館スペシャル201707 (33)_R
突き当たった太い道沿いにはザ『質屋』さん
170711-130239-横浜山手洋館スペシャル201707 (38)_R
少し涼しげに見える『山手隧道』を通り
170711-131930-横浜山手洋館スペシャル201707 (50)_R
トンネルを抜けて、右側の丘、住宅街の中を彷徨っていると、入口が見えてくる
170711-133919-横浜山手洋館スペシャル201707 (63)_R
『外交官の家』
170711-134004-横浜山手洋館スペシャル201707 (65)_R
日本人外交官『内田定槌邸』
170711-134559-横浜山手洋館スペシャル201707 (90)_R
東京南平台にあった建物を横浜市が移築・修復
170711-134520-横浜山手洋館スペシャル201707 (83)_R
外国人建築家『M.ガーディナー』氏が設計
170711-135901-横浜山手洋館スペシャル201707 (142)_R
庭も含め、全てが異空間
170711-135840-横浜山手洋館スペシャル201707 (140)_R

お隣には『ブラフ18番館』
170711-135949-横浜山手洋館スペシャル201707 (150)_R
関東大震災後にオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅として建てられ
170711-140116-横浜山手洋館スペシャル201707 (155)_R
戦後はカトリック山手教会の司祭館として使われていました
170711-140312-横浜山手洋館スペシャル201707 (165)_R
どこか女性的な姿を感じます
170711-140720-横浜山手洋館スペシャル201707 (183)_R
当時の横浜周辺地図、埋め立てて現在の姿になった事が伺えました
170711-140702-横浜山手洋館スペシャル201707 (182)_R

ふふ、山手の異人館たちは、美しいだけでなく
170711-140907-横浜山手洋館スペシャル201707 (188)_R
楽しくコーディネート、リカちゃん達と食器。