下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

児玉でしょうか?いいえ、本庄です。 本庄でしょうか?いいえ、児玉です

また再び舞台は本庄へ
駅から旧中山道に向かう途中に、商店街に遭遇
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この、まったり商店街の先に見えてきたもの
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そう、この建物は今や『遺構』となってしまっているが
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ストリップ・バレエという文字が見えるだろうか
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そう、大繁栄した本庄の歓楽街の中心は、ここだったのだ
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すぐそこで見かけた、輝かしい、昭和初期からの写真館
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あの建物の周りにあるもの
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そのほとんどが、50年前の記憶、繁栄の記憶、色町残照
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路地に咲く、『紫陽花』
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町の方が教えてくれた、「旧見番跡」いまは駐車場か、、、
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銀座商店街、そこの一角に聳える建物
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何処から見ても
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美しいとしか言いようがない
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児玉でしょうか?いいえ、本庄です。 本庄でしょうか?いいえ、児玉です③

本庄の次は児玉へ
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ここ、バス路線で、結構町の中心部
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のんびりと麦畑があったりします

町の中心地に聳える『八幡神社』はこの街の総鎮守
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宝暦6年(1756年)に建立された『隋身門』の扁額は、かの名君、松平定信公の揮毫。
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一言で『立派』だなあと
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佇まいが、なんとも落ち着いて上品
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児玉には主役級が一杯!
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はい、モスラですね、これは、
いえ、「おかいこさん」です
今は麦なども育てていますが、今から100年前は、みな「養蚕農家」だったんですね

だからこそ、街にはこんな建物も残されています
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『競進社模範蚕室』明治27年(1894年)建築
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建物の細部、全てがおかいこさんが立派に育つように作られ
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ここが全国の養蚕業の模範的な存在だったという
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繰り返しますけど、100年前、日本は『絹の国』でした
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この地も蚕をそだて、絹糸を作り、
人がおおいに集まったことでしょう
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児玉でしょうか?いいえ、本庄です。 本庄でしょうか?いいえ、児玉です②

2話も児玉でしょうか?いいえ、本庄です

今回の旅で本庄に2回、児玉に1回訪れました
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地味でしたわ~駅舎

処が駅そばの建物を見てびっくり
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『大政商店本庄支店』大正9年竣工

レンガの美しいうだつが上がること上がること、深谷の『日本煉瓦製造』の煉瓦なんでしょうね。
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駅から旧中山道沿いの通りに向かう途中
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なかなかの迫力、本庄は凄まじいのか

この通りが旧中山道
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渋い建物がいっぱい
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この一角で、何が売られていたのか
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古いタイルが愛おしい
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路地に入り、少し歩くと
美しい門構えと建物に出逢う。
『本庄市立歴史民俗資料館』
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旧本庄警察署
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明治14年建築
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建物内部も素晴らしかったが
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忘れられないふたつのものと出逢う

『笑う盾持人形埴輪』は今から1,400年前に作られ
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この本庄で発掘されている、こんなの見たことが無い
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可愛いでしょう、この埴輪がモデルとなって、本庄市のゆるきゃら
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『はにぽん』は生まれました
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そして資料館に残されている、本庄宿田村本陣の宿帳には
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鬼平犯科帳の『長谷川平蔵』名が残されていました

児玉でしょうか?いいえ、本庄です。 本庄でしょうか?いいえ、児玉です①

高崎の友人に連れてきてもらった『本庄』

明治大正時代、絹産業の中継地として、空前の繁栄を得た『本庄』

駅前に来て、観光案内所に行くと、年配の方が、

『本庄を回るんですか?児玉の方が私は素晴らしいと思うんですけどね』

本庄駅前に来て児玉をお勧めする案内所のスタッフ、

その正直さに敬意を表して、本庄・児玉の記事は、児玉で始めることにしました。

ブログのお友達が語った『かこーん』という青空ではなかったけど
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世の中に『かこーん』とした建物がある事を知る
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『児玉町旧配水塔』昭和3年建築
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昭和初期は、こういったインフラ系の建物ですら
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美しさを競った
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ひたすら
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美しいのだ
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装飾がかわいい
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ちまたの猫 『のぞき猫』クイズ?

結構難しい質問ですよ。埼玉の岩槻で入手したんですけどね。
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いやーわかんないすよね
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色が同じだしなあ
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どれも同じに見えるね
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豪徳寺の招き猫だわ
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防災用ラジオライトでしょう
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わかんね
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さて、kozoh55がのぞき猫を入手した場所は?

小笠原伯爵邸 四半世紀の眠りから覚めたスパニッシュ建築③

ディナーを終えて、帰ろうかと思っていたら
「この館の魅力を、ご案内しましょうか?」いうありがたい声を頂く。

そして中庭から
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ハーバード大学に留学していた小笠原長幹さん自身の芸術作品
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外階段の先にあるもの
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2階にも社交場があり
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これは「鳥小屋」だという
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建物内部の1階に戻ると、地下に続くワンインカーブ
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そうなんです、このカウンターでスイーツとカフェだけ頂くことも可能ですよ170612-215617-小笠原邸20170612 (318)_R
ああ、そう、ここは元々トイレだった
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中の照明は唯一、建築当時の物が残されているもの
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美しすぎたステンドグラス
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入口上部の装飾は
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素敵、を通り越してしまってます
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洋館としての『小笠原伯爵邸』

なのに、この建物の入口左側に残されたもの
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まごうことなき猿であり、この館の守護神でした。

年に1回はここに来なくちゃね

小笠原伯爵邸 四半世紀の眠りから覚めたスパニッシュ建築②

『小笠原伯爵邸』
旧小倉藩藩主、小笠原長幹(ながよし)の邸宅として1927年(昭和2年)に建てられた。
建物は当時流行していたスパニッシュ様式の鉄筋コンクリート造。地上2階地下1階(ワインカーブ)。
第二次大戦後、GHQに接収されるも4年後に東京都に返還。
都の公共施設として使用されていたが、1975年から用途を失い放置、
その間盗難なども受けるも、2000年に民間企業に賃貸し、2002年に
レストラン「小笠原伯爵邸」としてオープンし、現在に至る。

ディナーの席に案内されるまで、ここで待つ。
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かつての応接間にはさりげない装飾が施されている
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手前側の部屋にあった大テーブルは、
小笠原家の晩餐で使われた唯一の当時の家具、
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このテーブル以外の家具は全て盗難にあったという

奥のこの円形の間はなんだと思いますか?
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煙草ルームなんですって
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この贅沢な空間は
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煙草屋や葉巻の習慣がトルコ・エジプトからの物だったため
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洋館の喫煙室をイスラム風にすることが流行っていた時代だった
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スペイン料理は、
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ことのほか、意外な味わいに驚き
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彩りも楽しませてもらいました
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要は
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美味しかった

小笠原伯爵邸 四半世紀の眠りから覚めたスパニッシュ建築①

都営大江戸線の『若松河田駅』ご存じない方も多いのではないか、
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『小笠原伯爵邸』はなんと駅0分、この裏に突然姿を現す
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守衛室があること自体、異質な存在
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それが
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『小笠原伯爵邸』昭和2年竣工
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今日は家族のバースデーがあり夕食を予約

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見る角度で表情を変化させる邸
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この、脇の勝手口の先に見えてくるのが
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スパニッシュガーデン
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これすべてタイル、焼き物
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結婚式も行われる処
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これがこの建物の後ろ姿と言っていいのだろうか
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ガーデンの主人公達も
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それぞれが
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個性派だ
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つづく

浦賀 ひとりぼっちで海を見つめたいあなたへ 3話目

古い街並みが残されている
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江戸時代からの旅館跡の建物には
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吉田松陰先生も泊まったと書かれていた

湾になっている浦賀には、今も渡し船がある
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これですかいのう、などと、のんびりしてくる自分
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向こう岸にも穏やかな街並みが広がっているに違いない
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本当にそうだった
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美しい蔵も多い
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舟での交易がもたらした富
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いたるところに、井戸が掘られていた、どれもみな現役
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都度写真に収めていたら、あまりにもたくさんありすぎて、撮るのをやめる
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高台のカフェでのイングリッシュな時間
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ビール缶に切り込みを入れると、風鈴、いや風車のように回り始めた
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お世話になっているブログのお友達がよく使う「かこーん」とした空の下で
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まったりと歩いていら、時間が止まった風に思えてきた
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江戸時代の街道のようにも思えたこの道(みちのり)
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あれ、浦賀に残された昭和初期の看板建築等を、ちゃんと紹介してないよ。

浦賀 ひとりぼっちで海を見つめたいあなたへ 2話目

先にお話ししますが、今回の記事はいつも使用しているカメラで撮ってません。
いつもならニコンの7100とタムロンのズームと単焦点のセットで撮るのが、
カメラを忘れてしまったのです、、、、

どうしてそんなことが出来るのか、
それは、出掛けるとき、間違って仕事用のリュックを背負ってしまったから~
色違いのマンダリナダックのリュックなのこれが、、、
んで、コンパクトカメラで撮ったのね

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駅についてほんの少し歩いただけで明治時代の史跡に遭遇
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約1000メートル続く「水のトンネル」は
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浦賀のドッグ、造船所の工業用用水を運ぶためのもの
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そして今も残されて、
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操業を終えているという浦賀ドッグ
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煉瓦を見かけることの多い浦賀
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これは、あの灯台近くのマリーナの中に存在
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浦賀には戦争の歴史も残されている
『陸軍桟橋』
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昭和20年の終戦後、中部太平洋や南方諸地域、
中国大陸から引き揚げてきた人々
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約56万人がこの地から引き揚げてきたのだそうだ

そんなことが全く関係ないかのように
浦賀には寺社や町の会館などに全国で知られた漆喰細工の名人の作品が
残されている。
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すごいや