下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

京都 夢のまた夢 島原(肆)

島原は花街、花街には遊宴の場『揚屋』がありました。
現在で言うと「料亭」が近い言葉です。

日本で唯一現存する揚屋建築『角屋』(すみや)
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館の顔
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宴会場への正面玄関か
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つけ払いを断られた新選組の隊士が付けた刀傷
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こちらは台所への勝手口?か
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いや、こちらこそ正面なのかもしれない
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寛永18年(1641年)建築。

『飾りかまど』、確かに可愛くて美しい
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こちらは本当に使われていたもの
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うーん、美しい
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『箱階段』
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『網代の間』
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そうですね天井が網代組みされています
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小さな庭園は、それはそれは姿がよくて
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この奥には『大座敷』が
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大座敷からの眺め『臥龍松の庭』
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そう、この部屋で新選組の幹部が集まって飲み交わし
当時の隊長「芹沢鴨」はこの角屋での宴の後、屯所に戻ったところを近藤勇一派に襲われ絶命する
そう、島原と壬生はすぐ隣なのですね

京都 夢のまた夢 島原(参)

先にお話しますと、この島原の地は今は静かな住宅街、
その中に残された、残してくれたものを紹介します。

大門の通りからちょっと入ったところに見えてきた黒い姿
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『輪違屋』(わちがいや)は元禄元年(1688)創業の置屋。明治以降はお茶屋も兼ねる
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現役のお店、だからこそ、中を見ることが出来ない
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現在の建物は安政4年のもの
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入口に掛かっていた「観覧車絶」(一見さんお断り)の札が
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やはりお似合いと感じてしまう、「凛」とした佇まいでした
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島原大門の通りにある『きんせ』
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元は旅館で、カフェバーだった時期もあり、今は
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何をしているのかはわからない
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200年以上の歴史を持つこの建物
とにかく美しい

京都 夢のまた夢 島原(弐)

京都駅から15分も歩いただろうか、
七条通りに島原への入口があった
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これが『大門通り』か、とことん狭い
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これが明治の牛乳ポストか?
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この後、色町・花街周辺にはこの造りの建物に頻繁に出逢った
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細い道と
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古い建物が続く
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喫茶店『詩織』さん、何十年続けてらっしゃるの?
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そして、黒い黒い門が私の目に飛び込んできた
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『島原大門』
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1640年、幕府公認の遊女街としてスタートをする
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昔はこの字だったんだ
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今も現役の茶屋もあるという

ここがその通り、あっさりとしたものだ
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長崎ではなく、京都の島原、地名のいわれは、
この幕府公認の色町が作られる際、
非常に慌しく、その様を見て、当時発生した『島原の乱』のようだとして
『島原』と呼ばれるようになったという

京都 夢のまた夢 島原(壱)

突然ですが、京都に一人旅に出ました
今月、久々平日の連休が取れて、何処に行こうか考えているうちに
全てにエース級がそこにある街として、
憧れの地を訪れることにしたのです

京都駅はシックで、そして大きい、そして新しい
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この姿も、ほんの入り口部分、もっと大きい
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そうかあ、これが『京都タワー』
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マツモトキヨシも
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ヨドバシカメラも、京都ではシックになる
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七条通りを歩く、目的地は花街『島原』
それにしても七条通り、これがまた凄いんだわ

さらっと明治・江戸までありそうな建物登場
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長屋がまたなかなか風情がありますよ
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看板建築「富士ラビット」大正14年建築
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デザインが素敵、の一言しか出ない
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『旧鴻池銀行七条支店』
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『旧村井銀行七条支店』
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京都には明治からの洋風建築も今日なものばかり
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ちょっと路地に入った民家、たぶん
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うだつが上がっているさ~
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木製の玄関ドア、重厚で高級な姿
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いや、目的地は、ええと、そうだ『島原』だったわ(笑)

食堂愛 大宮 食堂多万里

大宮駅周辺を歩いてきました。
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駅からすぐの、高島屋さんの裏手に
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行列が出来ています

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「食堂多万里」さん
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店内に入ると、いきなり懐かしい受付
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ここで会計して、札を受け取るのです

ラーメンです
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昔、懐かしのビジュアル
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あっさりと美味しい醤油スープ
毎日でも食べられますね

どうです
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どんな風?
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叉焼は脂身少なく、味はしっかりしていました
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kozoh55は食堂に入ると、ラーメン&チャーハンを単品で頼みます
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チャーハンのスープも昔ながらでした
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大宮、今度ちゃんと記事にしますよ

パフェ愛 小岩ラフォーレ

kozoh55は仕事が忙しくて、ストレスが溜まってくると
ここに来ることにしています。
以前、フルーツパフェを紹介した小岩駅北口0分の「ラフォーレ」さんです。
1階にあるハヤシフルーツさんの喫茶部でして、フルーツ自慢。

今月、お店にお邪魔していつものフルーツパフェを頼もうと思っていたら、
メニューに「期間限定 いちごパフェ」の文字が、、、

フルーツパフェ食べたい、もちろん食べたい
でも、限定メニューは今しか食べられない
もしかしたら一生に一度のチャンスなのかも

悩みに悩んだ1分間
両方頼もうかとも悩んだ1分間
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いちごパフェを選択
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仏像のように後光が差しています
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ありがたや、ありがたや

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いや、このクリームの「ぶちゅ」感がたまりません


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ああ、一口食べた「ジュルッ」という瑞々しさを、撮り忘れていました~

太田 エピローグ 

太田と言う街並みを語ると、
私が描いた街並みは、ほとんどが北口の物語であったのですが、
南口こそが今の太田市の姿なんでしょう。

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駅を降りたとたん、ずっとずっと飲み屋街が続く、、、、

もはやそれがいいのか悪いのかという話ではなく、
それが今の太田駅の繁華街の姿ということなんだと

それしか私には言うことが出来ないのです。
太田の記事はここまでです。

太田 時の流れ 過ぎし日々⑤

黒く美しい姿
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これは、明治大正時代の煉瓦蔵?
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過ぎし日々
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「寿司 双義」さん
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このマークの意味するところは、何でしょうか?
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太田市の市章ではないようです

ちまたの猫は相変わらず自由で
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私は街の美術館で、ケーキと珈琲を頂いて
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地元の方にこの街が花街だったことを伺いました

これもその頃の「夢の跡」7でしょうか
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本陣は跡しか残ってませんでしたが
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「旧金山図書館」は残されています。大正11年建築。
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知りませんでした、太田市はパン作りが盛んだって事を
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このお店の建物も大正時代、関東大震災に負けなかったんですよ~
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素朴な味わい、きなこパン
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太田 時の流れ 過ぎし日々④

この街は都会なのか田舎なのか解らなくなります。
前の記事の病院の脇にありました。
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色町残照
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地名で言うと「本町」
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なんという名の料亭、いえ、お店だったのかしら
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知りたかろう、けれど忘れられたのだろう

太田 時の流れ 過ぎし日々③

南口から、再び北口方面に向かう
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駅から数分の処の風景
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東武線の高架を渡ると、ぽっかりと木造住宅群が現れる
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おお、畳屋さんか
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こちらも渋い
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これは、防空壕ではないのか、、、
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富士重工業は戦前は「中島飛行機」
あの「隼(はやぶさ)」を作っていた会社
昭和20年に空襲を受けている

一番右の建物は、何物だろうか
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ちょっと色町調でもあるが
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全体に格式が高い
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その建物は、病院だった
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それも、遊び心がある風な感じ
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そう、外壁は「スクラッチタイル」
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戦前の建物だと、すぐ気が付いた