下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

梅島・梅田 下町の扉②

下町では、商店街は突然現れて、
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そして、予告なしに消えていく
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ここも
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そうなのだろうか
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「神明宮通り」は商店街か、その残照か、

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しんとしたお店が続くと思うと
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大きな音で「愛の水中花」が流されている居酒屋
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この店は今日はお休みなのかな
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この看板を見て、ここがもう駅周辺の「梅島」ではなく
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「梅田」とい地名であることに気が付く
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まるで買うのが当たり前、そう思い、買って
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平らげた

その先で出逢えるのは、もちろん
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「梅田神明宮」
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宝暦12年の江戸大火の後に創られたと言われる。
江戸時代、「息の行法」として神道の極意を伝えた神社として
大いに栄え、この商店街は門前町だったのだろう

そして商店街は、いつも間にか終わっていた
今日は下町の扉が開いている、幸運な日だ
[ 2016/10/31 23:45 ] ◎下町情緒を訪ねて | TB(0) | CM(2)

梅島・梅田 下町の扉①

東武線梅島駅を降りて、ぶらりとする
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駅近くの薬局のシャッターに描かれていた
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そうか~SATO君ってこんなにアクティブだったのか~
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このキャラは、知らないかった
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北千住から更に北へ、西新井大師との間、旧日光街道がそばを通る街

下町だ。いきなり目に入る「輪業」
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路地に入ると
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民家、ではないのだろうか
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ああ、この中には「まさこ」さんがいます
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民家の脇にいきなり「弁天様」
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ダンス教室が人気らしい、3カ所見かけた
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お肉屋さん
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メンチが売り切れでハムカツにしたら、これが絶品、
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上品な美味しさでした~

お豆腐屋さんでは
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最近がんもどきを食べるのが私のマイブーム
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醤油?いりませんから~
[ 2016/10/30 20:11 ] ◎下町情緒を訪ねて | TB(0) | CM(2)

野田 時のかけら(2)

いつ
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営業を終えたのか
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商店街、商店街、
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流山街道沿いだけで8つの商店街がある
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野田一番街商店街
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懐かしい味わい、北海道では「おやき」と呼んでました。
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出来立てのマンションが商店街を覆って
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商店街は、、、
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昼食のタイミングを逃して、4時になって
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このお店で食事

街の中華屋さんに入ると、いつもオーダーは
「ラーメンとチャーハン、単品で!」
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今日はタンメンにしました。
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満腹、満腹

商店街のある通りを、歩く
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再び流山街道に出てみると、そこにミシン屋さん
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通りすがりのおばあちゃんが私に、「あの学校、古いのよ」と、
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「ああ、本当ですね」とお礼を言い、近づいてみると

本当に古い、煉瓦塀が見えてきた。校舎が昭和2年建築とのこと
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この煉瓦塀はもっと遡るかもしれない

お隣のミシン屋さんを除くと、ここも何か歴史ありな感じ
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「シンガー裁縫機械会社」の領収証、大正14年のもの。
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ミシンの初期のころから営業されていたんですね。
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今も丁寧に販売されている姿、感動しました、ありがとう
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商店街には栄枯盛衰はつきもの、
けれど、そのなかでも、残る人達、去る人達、悲喜こもごもです
丁寧に働くことの大切さを、少し理解をすることが出来た、
そんな気持ちで、この街を離れました。

もう一度、この街には来ます

野田 時のかけら(1)

公園にこうして今現在、土管があるのは
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この街の矜持なのかもしれない
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さりげなく、そこにあった電話番号
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流山街道から少し西の方には細い路地が続き、
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そこには色町跡もあったと
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魚屋さんの2代目ご主人が私に教えてくれて
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歩いてみたけれど
ああ、馬酔木という名の旅館を見るのはこれが初めてだろうか
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ぽつりぽつりと姿に気が付く
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なんだか、写真を見ていて「えへへ」と笑い出してしまった
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こういった姿のアパートは、今は珍しいのだろう

野田 亀甲萬城下町の今(5)

引き続き、茂木佐平治邸

こちらは、家族の浴室
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天井が贅を尽くしていると
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横浜の根岸の貿易商宅で見かけた、その造りに似てました。
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洗面所
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さりげない組木の床は、今はもう作り手がいないのかもしれません
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わかりますか?電話ボックスですね
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お庭
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お庭から見た姿に、その美しさが際立つ
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そんな建物でもありました
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離れの茶室
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ボイラー室と煙突
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塀がまた、なでたくなるような、歴史を背負った姿でしたよ
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野田 亀甲萬城下町の今(4)

やはりこの建物が主役かもしれません。
旧醤油醸造家茂木佐平治邸 (現 野田市市民会館)
大正13年(1924年)建築。
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この施設の多くの部屋を、野田市民は利用できるのです
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凄い事だとおもいます

この厨房、
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ガスの使用はもちろんしてますが
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ガス以前の、釜、?が姿を残してくれている
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お金持ちの、大きな冷蔵庫
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これは、ここで働く人たちの「五右衛門風呂」
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野田 亀甲萬城下町の今(3)

野田の街を歩いていると、ふと醤油の香りがしてきます。

「興風会館」は昭和4年竣工。
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この階段、頬ずりしたくなるようなレトロな姿
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収容人数654名、当時の地方都市では例外的な広さで、
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市庁舎ではなく、県庁の次に大きな建物だったという
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大きいだけでなく、休憩所の風情は、
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最新の欧風建築を作る気概を感じさせてくれます
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もちろん本物の暖炉

螺旋階段なんてほんと珍しかったはず
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演台の紋章は亀甲萬の亀甲そのものか、どうか
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キッコーマン本社
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「千秋社社屋」
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大正15年6月竣工、興風会館よりさらに古いという事実
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元々銀行だったこの建物は
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威厳に満ちてましたよ

野田 亀甲萬城下町の今(2)

流山街道に出る。ここから愛宕神社に向かう通りが
この街の繁華街、、、、

未だアーケードが残されている商店街
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「かねこや」さん迫力満点、というか、何時からこの姿なのか
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側面のバラック感が凄いけど
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戦前どころの古さではないのかもしれませんよ、煉瓦がありました
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「須賀神社猿田彦神」
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江戸時代からの古刹であるだけでなく
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堂々たる「猿田彦」像が印象的でした
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日本の神話時代の主役級の人が
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こうして残されていくことで
猿田彦はこういう人?いえ、神だったんだ~と
納得してしまいました。

路地で見つけたにゃおは、
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私にガンを飛ばしてきたかと思うと
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躊躇いなく去っていきましたよ
野田の猫ちゃん、気が強そう

野田 亀甲萬城下町の今(1)

私の住む市川市から電車で1時間少々、そう遠い所ではないのに
初めて訪れる街、野田。

東武野田線
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駅は大人しい
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駅前も静かだ、野田市の繁華街は駅から離れ、流山街道沿いにあるという
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駅周辺から現れる工場の壁は、とても古く
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文化財風にも見える

現れるキッコーマン工場群
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タイトルの「亀甲萬」=キッコーマン
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そう、この街は江戸時代、特に明治からはキッコーマンの城下町として栄えた

せっかくだから、工場に立ち寄ってみた

いきなり格式の高い建物入口
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これは確実に文化財、昭和初期頃の建築だろうか
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現役の工場施設のようで、中に入れなくて、残念!

ああ、そうだ私の小さいころは醤油さしと言えば、これの事だった。
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秋田市の酒屋さんに
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平成まで使われていたという看板

忘れちゃいけません、醤油味ソフトクリーム
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ヤマサの工場のより、少し味が濃い口かな?
それにしても醤油とアイスクリームは合う、美味しい

ああ、そうか、東武野田線はキッコーマンの為に、醤油を世界に運ぶために
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敷設されたんだろう

さあ、街に繰り出そう

時のかけら 浅草

最近は、横浜とか群馬とか、東京を離れることが多い、
けれど、東京の下町、お約束のように時折、歩くのです。

どこだったかしら
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カッコいい看板でした
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ランドマーク?
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名所がここにも
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あそこにも
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なんとも好きなこの姿
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エビで何を釣るのかな?
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目に映る建物は
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凄いと、思う
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