下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

銚子 静かなるChristmas eve⑤

飯沼観音の裏手あたりの「田中町」周辺に、昔、色街があったという
古い情報を頼りに、飯沼観音に向かう

この辺りが「銚子銀座商店街」街の中心地
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嬉しい出会い、明るい店舗の「みやうち肉店」さんでは
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2代目とおぼしき若いお兄さんがメンチカツをその場で揚げてくれた
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あちいっ!おいしい!嬉しい!

営業中の姿の美しいお店もたくさんあるものの
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もう夕方5時過ぎていたからか、寂し気な姿にも見えました
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千葉県で2番目に市制が施行され、現在も水揚げの日本一のこの街は
昭和40年代には9万人いた人口が、現在は7万人を切っているという

「円福寺 飯沼観音」
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この建物の規模と、大仏まである姿に感動を覚える
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歴史もそうとうある梵鐘は室町時代の銘が入っているそうだ
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お寺を通り越し、裏手の田中町を探し、色街跡が見つかると嬉しいのだけど
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そこには古風な商店街が突然現れ、この街の広がりが伝わってくる
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路地に入ろうとしたら、街灯がない、真っ暗な街並みに
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浮かび上がってくる飲み屋街は
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ただの飲み屋街、それだけの事なんだろうけど
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もはや現役でない可能性がある姿なんだろう
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そんなことをつらつら考えることしかできなかった

銚子の最後の4枚

煉瓦塀は、この建物が奇跡的に戦災を逃れたことを私に教えてくれた
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それで、ヤマサ醤油の工場内には、明治、江戸までの建物が残されているのだ
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最後は銚子電気鉄道の銚子駅無人改札
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独特のスタイルに
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これはやっぱり洋風なんだよと、そう思うことに決めました

いかがだったでしょうか、銚子。
あまりにも短い時間なのに、外川まで行けば時間が無くなりますが、
その外川が素晴らしかった、「一昔前の街並み」そのものがあります、ありました。
けれど、銚子の発掘の旅はこれだけでは足りなすぎるようです。
再訪を誓うkozoh55でした。
ご訪問下さった皆様、また、今年1年遊びにいらしてくださった皆様、
1年間ありがとうございます。
2016年もこのブログは続きます、こんな感じの内容で、
また来年もいらしてください。

2015年12月31日

                     kozoh55

銚子 静かなるChristmas eve④

帰りは昔のような切符を受け取り
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外川の町を離れました
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銚子の手前の仲ノ町駅で降りて
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向かったのは、「ヤマサ醤油銚子工場」
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工場見学は写真撮影不可で、残念
この醤油味のソフトクリームが、案外美味しかった
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午後3時半、やっと銚子市内を歩く
銚子は戦災で市街地のほとんどが焼けて、古い建物は少ないそうだ

そんな事はなくて
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レトロな建物はちゃんと残されている
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戦後70年たっているから、
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戦後生まれの古い建物もたくさんあんる
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地元銚子の醤油メーカー「銚子山十商店」
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銚子 静かなるChristmas eve③

「条坊通り」
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店名がまた良い名前
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これが「外川」な一瞬の表情
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この辺りで、猫が跋扈する街であることに
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気が付くkozoh55
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「新浦通り」
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どこか上品な建物もありまして
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タイルの流しなんて、もう見ることが出来ないはずでなかったか
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「長屋通り」は
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そのままの風景だったりする
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この子が私を呼ぶので
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付いていったら
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ええ?猿の集落か
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いや、猫だ
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それも、よく見ると柄が二種類いるなあと
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「すみません、脇を通らせていただきます」とkozoh55は逃げるように道を通り抜けた

すごいぞ、この街

銚子 静かなるChristmas eve②

「外川(とがわ)」は遡ること江戸初期に、紀州から移民して来た人たちが、
この坂を碁盤の目の街づくりをして、たくさんの人、漁師たちが住み着いた街であり、
坂は8本、今日に至っているそうです

「一条通り」
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「一心通り」
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さらりと昭和な建物が軒を連ねる
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町の人たちが自らの手で、坂を町に変えたのだ
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瓦屋根の美しいこと
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もう、街並みから消えたはずのコンクリート製ごみ箱が、ここに鎮座している
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「本浦通り」
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この風景で毎日朝を迎えるこの街の人たち
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「外川三部作」な景色
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続く

銚子 静かなるChristmas eve①

特別な深い意味はなかったのですが、クリスマスイブに銚子を訪問。
ブログのお友達「まほらにふく風に乗って」の「Roman」さんがたびたび紹介されて、
歴史ある地として一度は行こうと決めていた場所。

今も昔も銚子は漁師町、駅改札を出ると大漁旗現る
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外に出るとこの南国調、風は強くて、年間で温暖多湿な町
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それが、醤油造りに最適な環境なんだそうです

ラーメン屋さん「インディアン」さんは
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丁寧に昭和風なラーメンを出してくれました
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しみじみ食べているとあっという間に完食

銚子の駅前をスルーして、「銚子電鉄」改札へ
なぜ?って、終点の「外川」駅周辺には古い町並みが残されているとの情報を得たから
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JR銚子駅ホームを間借りして存在する改札は、無人

途中駅の駅舎はどれもレトロ
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列車の中吊り広告で手書きのものが使われているのを、初めて見ました
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車内はちゃんとクリスマスモード、飾り付けが見えますか?
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外川駅に到着、これが私の乗った列車、
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クリスマス号ですから
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駅こそド迫力
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海が見える坂には、残された姿がたーくさんありました
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行きましょう

時のかけら 銀座 ビストロ ヌガ

今年のクリスマスはここでした
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白子が、こんな香ばしいというか、柔らかいだけでなくて、
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チーズです、食べたことのない味わい
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かわいい
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食事はどれも美味しかった

けれど一番の印象がこの壁画
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この笑顔
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「ヤク」をやっているのだそうです
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ここにきて笑顔になりなはれ、という意味でしょうか
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そうですよね
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なんの花?聞き忘れてしまいました
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またお邪魔します
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何しろ入口の写真を撮り忘れたものですから

お店の方との心地よい会話に
私はあのぞうさんのような顔になって
いたのですね、たぶん

長崎 浦上天主堂 苦難の歴史

先日、「母と暮らせば」という映画を見る、
そこには、今の美しい姿の長崎に起きた苦難の姿が描かれていました。
特に、浦上天主堂の崩壊しきった姿

あまりやらないのですが、「長崎」の記事に追加をしてみます
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人が一瞬のうちに消えてしまうということが
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実際に起きたのです
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逆さになった十字架、そんな風にもみえます

親不孝通り 洲崎発 終点吉原④

繰り返すけど、洲崎から吉原までは「大門通り」と呼ばれていた。
現在はこの通りは「土手通り」に
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渋い建物と
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教会を横目にしながら
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終点「吉原大門」交差点に到着
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この貧相とも終える柳は、

「見返り柳」と呼ばれている
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吉原を出た人がこの場所で、吉原の遊女を思い出し
振り返る場所だったそうだ

曲がった道を歩いていくと
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吉原大門が見えてくる
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両脇に「吉原大門」のネオン、現役のピンク街には敬意を表して、写真はここまで

お蕎麦屋さんはいつからのお店か?
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「伊勢屋」さんは明治22年創業、
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その姿に圧倒される
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「いろは商店街」
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地名では「日本堤」というこの街は、別名の「山谷」として有名で
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あしたのジョーの舞台となった場所でもある

ああ、ほんとだ、こんなとこに「ジョー」がいるんだね
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通り名としての「大門通り」は洲崎から錦糸町のあたりで表示は消えている
けれど、ここは間違いなく「大門通り」なのだ
いかがだったでしょうか、「親不孝通り」
もはや地元の方も知らない通りなのかもしれません
でも、今回の旅でその存在が明らかになりました。
よって、また、歩いてみたいです、丁寧に

ご訪問くださった皆様、感謝でございます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

親不孝通り 洲崎発 終点吉原③

この日はスカイツリーに到着して、一旦旅を終える
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後日、スカイツリーを起点にして浅草、吉原に向かうしみじみなお店は、すこしありましたね
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凄いぞこの建物は
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牛嶋神社、
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浅草は江戸時代からこの街の中心街だったけど
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この神社が浅草の街の人気を後ろから支えているのかもしれないと、
この神社と、待乳山聖天に行ったとき、そう思ったのよ
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再び吉原方面に歩き始めるkozoh55
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道に迷ったりしないよね
たぶん

親不孝通り 洲崎発 終点吉原②

門前仲町のドライバーに「親不孝通りには古い建物が残ってますか?」と尋ねると、
「いや~もう残ってないね~」と一言、

本当にそうでしたよ
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上手に造られた公園風でしたし
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よくわからないし
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これなんかちょっとしみじみ、来てましたけど
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オクナガ興業さんなども
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実はずっと大門通りが続いてます
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質屋さんは、蔵が命、現役のお店ではないかもしれない
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青い空が似合ってました、この建物
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「国鉄」なんて言葉、死語だと思ってましたが
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レトロな美容室は、ほんに、見入ってしまったり
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などと、1時間半くらい歩いてたどり着いたのは、
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東京スカイツリー
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なんだろう、この通りが「親不孝通り」だったなどと
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誰が知っているのか、だれが語れるのか、、、