下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

練馬・野方 どこまでも下町情緒①

1か月前に、練馬の商店街をつぶさに歩こうと、出掛けたんです。
駅はどこにでもあるような、新しく立派ですよ。
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練馬、練馬大根、下町、その位しか知らないで、街に降り立つ
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「つつじ公園通り商店街」
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看板建築が現れ嬉しい
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鉄板でタイル柄、これまた嬉しい
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ここからはずっと商店街

「奴食堂」名前がいいよ~
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「心で配る出前の味 国龍」
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「手作り惣菜、友愛」、温かい店名が多い、練馬。
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いつのまにか「大門通り商店街」へ
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この大根頭のキャラクター、名前をまだ知らない
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練馬猫登場、
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隠れてる?隠せてないよね、君、君!
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小田原 ほいさっさ⑦

いや~7話まで記事を書くのって、久々です。
乗せたい情報が多すぎて、、、上手に捌けてない感じもあります。

こんなかわい子ちゃんを
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紹介し逃す所でした
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飲み屋街「宮小路」の主でしょうか

可愛いお魚を干してるんです
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看板建築は細部こそがツボ
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旧武家屋敷街、今、高級住宅街
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東海道を箱根に向かい、「板橋」に辿り着くと
「内野邸」が出迎えてくれました。明治36年(1903年)建築。
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小田原の町は関東大震災でそのほとんどが倒壊したのですが、
残った貴重な建物の一つ。
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醤油醸造業を営み、「武功醤油」を作り続けるも、昭和55年に役割を終える。

洋館がひっそりと残されている
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もう、この道は、贅沢でしょうがない
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大倉喜八郎邸跡、残念、非公開
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「古稀庵」の入口、明治の元勲、山縣有朋が晩年過ごした地
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ここは、ヒミツ、いえ、わからないのです
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という事で、「小田原 ほいさっさ」はkozoh55としては、
ここで一区切りにはしないで、もう一度訪ねたい、とします
もっと屋内を紹介したい場所がいっぱいあるので、再び訪問を、
乞うご期待を、、、

小田原 ほいさっさ⑥

路地から再び東海道へ、
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なんだろう、この風景、洋服店と酒屋さんが仲良く並んでいて、可愛い

かと思うと、「歴史あり」なパン屋さんに遭遇
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店内のしみじみぶりと戦前モードに出会って
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頂いちゃいました~「クリームパン」
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また「食べ小僧」になってますよ
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案外甘さが強くなくて素朴な味わい、おみやげに買って帰りたかったな

さて、お待たせしました、
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「済生堂薬局小西本店」は寛永10年(1633年)創業、もう創業400年近く時をへて
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大正14年に作られた姿を今に伝えてくれています。

驚きの店内
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私が「店内の写真撮らせてもらっていいですか?」
ご主人があっさりと「いいですよ」
お店のご主人が一介の旅人の私に、丁寧に声をかけてくれた
「明治時代、薬の販売に関してのお役所は内務省だったのですね」

まるで「千と千尋の神隠し」の釜じいの部屋のようだ
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店主さんのおじいさんが凝った方で、自分で持っている「欅の山」から
切りだした材木で作られ、総欅だそうだ。聞いたことがない。

大正時代の消防団と町の有力者達。そう、後ろに見えるのは、
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この建物ではなく、関東大震災で崩れ去った明治時代の本店。
街の大変な有力者だったのですね。

知っている・知らない薬品メーカーのオンパレード
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九州の日田に行った際、古い薬局に行ったけど、
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こもまでのものには出会えませんでした。

道具たちはほぼ全て今も使用可能、現役なのだ
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見てください、こすりすぎて、底が凹んでいるのです
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どれだけの時を刻んできたのか、ここは当時も今も調剤場、
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こんなガラス瓶は、もう作ることすらできませんね
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最後にこの場所、
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ご主人が一言、「この木で作られたものは、江戸時代まで遡ります」
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「六神丸」は現在あの有名な「救心」の元となった薬で、今も作られている。

いっぱいいっぱい納得しました。ご主人、親切にして下さり、
本当にありがとうございます。

小田原 ほいさっさ⑤

今回の旅で一番行ってみたかった場所は、
国道一号線、そう、東海道沿いにありました。

「小田原宿なりわい交流館」は
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昭和初期建築の旧網問屋さん。
冷たいお茶を無料で頂けるなんて、嬉しかったです。
ついつい、「江戸時代のいちばん繁盛していたのはどこだったんですか?」と、
御店の方に訊ねると、店内に貼られていた絵を見せてくれて、
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「ここよ、ここ、目の前の道、東海道!」と教えて下さった。
なあんでだろう、
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東海道の今、こんな地味な姿しか、写真に撮ってないなんて

「太い道より、裏手の方が小田原は魅力的よ」と駅のガイドさんの言葉を思い出し、
裏の「千度小路」へ
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明治26年創業のかつお節専門店「籠常」さんは、老舗の中の老舗
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どこか、フェルメールの絵画のようでした

これまた超老舗の「籠清」さん、
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この店内の造りが、関東大震災後の当時、流行していたものだったそうです
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神棚からして、ちょっと違いますね~
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美味しそうな蒲鉾が勢ぞろいしていて
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「ご主人、美味しさの違いが分かりやすいのを食べさせて」とkozohが言うと
どこにでもよくある「揚げ物」の味でわかりますよ
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美味しいのは魚だけで作りますし、内は「ちぬ」という高級魚だけで
作ってますから」
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「パクパク、ええっ!?」
なんておおげさじゃないのです、お魚の味と風味が口の周りにいっぱいになって
大満足でした~おみやげゲットです。ご主人、ありがとうございました。

さあ、次回は「お薬束?」の地へ

小田原 ほいさっさ④

洋建築だって凄いものが
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旧明和銀行本店(現ろうきん小田原支店)は昭和2年建築。
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堂々たる姿は戦前の鉄筋コンクリート建築としても貴重なんだそうです
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店内撮影を許可下さった支店長さん、ありがとう
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美しかです
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戦前銀行建築から国道1号線、東海道方面に向かう途中、ビックリするくらい景色が変化します
「宮小路」
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日中だからでしょうか、静かな飲み屋街
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もちろん現役ですよ
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それぞれ、何か想像してしまう店名

旅館街なんですね
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やっぱり私には
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この街は
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「色街残照」なんだろうと
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心の中でつぶやきました
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ここは江戸時代一番栄えた東海道の裏通り
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なんですね

小田原 ほいさっさ③

この建物は、
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後ろ姿だったのです
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こちらが正面。「だるま料理店」は明治26年創業、この建物は、
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関東大震災の後、大正15年建築
唐破風の建物では歌舞伎座以外では見たことない、何というスケールの大きさ。
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細部の彫刻にもこだわりが伝わってきました
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現役の料理店は、有形文化財であるとともに
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地元の方でしょうか、おばちゃまたちがひっきりなしにお店に入っていきます
「だるまさん」がお出迎え
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「おかめさん」も人気者だとか
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この美しい建物をこうして守り続けて行けるのは、
地元小田原になくてはならないおみせだからこそなんでしょうね

この玄関、裏口だと思うんですが
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ため息が出るような美しい姿で
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静かにお客様をお待ちしていました
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小田原 ほいさっさ②

えっさほさっさ、看板建築ほいさっさ
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少し、いえ、結構看板建築にとってアーケードは邪魔だったりします。

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ほんの少し出た庇がまた美しく

こんな屋号を見せてもらうと、「ありがたい」思いが広がります
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東海道、国道一号線には
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看板建築ばっかりたむろしてくれてました、ありがたいこと
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青い窓枠は「パステル」って言うんでしょう。
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平屋の看板建築って、やっぱり不思議ですね。

「瀬戸自転車店」
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昭和初期がそのまんまで残してくれてありがたい
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典型的な看板建築って、この建物の事でしょう
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小田原 ほいさっさ①

神奈川県小田原市にやってきました。何故?何を見に?
そりゃーほれ、あれですよ、以前、国府津を訪れた時、
小田原方面に歩いていくと、看板建築、蔵、洋館、庚申塔と
すごいお宝に出会えて、その時、もうすぐ先が小田原市。

あそこに行けばもっとお宝建築に出会えるんじゃね!と考えたkozoh55、
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でも、駅前はなかなか大都会風、そうですよ人口20万人ですから

が、しかし、この気風のいいレトロさ
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戦前なんて、普通さ~
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R面が美しいのです
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駅から数分で現れた「江嶋」さん。
創業寛文元年(1661年)、建物は昭和初期建築。
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ありえないスケールでした
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しみじみ商店街がこの街を作っているのです
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素晴らしい言葉をありがとう
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町の金物屋さんは
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ショーウインドウのタイルが当時のまま残され
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揚げ物やさんは
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ハムカツのハムが味が口の中に充満するという
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自慢のハムを使ってくれてました。おばちゃん、美味しかった
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ここからはネタではありません、ええ、居たのです、
駅を離れ板橋駅近くに行った時、
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「えっさ、えっさ、えっさほいさっさ、お猿の駕籠屋だほいさっさ」
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「小田原提灯ぶらさげて」
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いやー信じないでしょうけど、ぶら下げてましたよ、小田原提灯、ね、え見えない?、そう?

小田原編の、始まり始まり~

時のかけら 大山道 齋藤家

2月に訪れたのに、どうしてすぐに記事にしなかったのか、
思い出せません。

小田急線 伊勢原駅
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大山道の途中で出会った
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過保護にされちゃって

この日、ここだけは外せない「齋藤家住宅」
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驚きの延享二年(1745年)建築
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もう、今ならだれにも作れない
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江戸時代からの名主の家は、今も現役なんです

ほーっつと、惚れました、お部屋の中
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外こそお宝尽くし
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この壊れたものは
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ここに掛ってなきゃ、ね
けれど近くで見れた幸せには感謝しなきゃ

斎藤家の皆さん、閉館日なのに、ありがとうございました

見届けられた幸せ 道玄坂 看板建築長屋

「見届けられた幸せ」、それは今は存在しないことを意味します。

2013年1月、寒い時期に渋谷の道玄坂訪問。
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少しづつ形の違う看板建築が
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寄り添って、長屋のようでした
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どう見ても戦前の建物でした

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レンガ調のデザインが施され、洋風の柱の意匠がお洒落で
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看板建築らしさに大満足したのを思い出しました
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残念ながら2014年12月に解体されたようです

こんな後ろ姿も、懐かしいと思ってくれる人も
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いるのかもしれませんね