下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

時のかけら 上野三昧②

上野動物園のすぐ脇に、ひっそりとその建物はありました。
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東京都指定有形文化財、上田邸。
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昭和4年に建築されたこの建物の当時の名は、
「忍旅館」
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当時、このような姿の洋館は珍しく、
見学者が絶えることなく、その白き姿から、
「白さぎ城」と呼ばれてたそうです。出会えた幸せ。

水月ホテルには中庭に異空間が、
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森鴎外居住地跡「鴎外荘」
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ホテルでの食事を予約
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「今日は鴎外荘のお部屋を予約されている方がいて」中は見れないんです」
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次の楽しみが出来たね、って
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時のかけら 上野三昧①

まだ上野公園が、桜満開になる前、寒い頃

「三橋」みはしさん
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いつ行っても行列、になってしまう美味しさ
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寒桜は満開
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この子も満水
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誰?
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何が江戸時代から?
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誰?
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上野東照宮

普段使いの街 矢切と私(4)

「矢切と私」などという怪しげなテーマで始まった今回の記事、
矢切の渡しに着いたものの、あれ?
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今日は平日、渡しはお休み、私はどうなる、
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ぶら下がっているものをまじまじ見つめ、がっくりと
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渡しの乗り場はちゃんとあるのに
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あの向こうに見える「柴又」には行けないのです
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草餅はいずこ?団子の行商の方でも通らないかしら、、、、
確かにここは「矢切の渡し」
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細川たかしさんの書ですよ

とりあえず、矢切駅に帰らなくちゃ、
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再び振り返ると、この姿
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「野菊の小道」なるもの発見、
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温かい時期で好天なら気持ち良かったんでしょうけど、
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道は「じゃぶじゃぶ」濡れて、ぬかるんでいるんですよ~
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でもでも、最後に美しい姿が目に入り
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(えっ!セブンスターの丘!)なわけない

なんか平和な気持ちになれたkozoh55でありました
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葱とシロツメ草かなあ
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渡しは、乗らないと、もったいない

いかがだったでしょうか、
私にしては珍しく、写真を後で見直した時、
一人で「プップッツ」と笑い出してしまいました。
寒い中、水浸しの畑と格闘しているんですから~
ご訪問して下さった方、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

普段使いの街 矢切と私(3)

矢切に来たからには、「矢切の渡し」には行くよねえ、と、
まだ春の寒い3月、風も強かった3月に江戸川方面に向かう
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庚申塚が典型的な姿でお出迎え
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見猿、言わ猿、聞か猿が
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昔のセーターの柄に見えているようでは、いけません。
この庚申塚全体は「矢喰村庚申塚」と呼ばれ
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矢喰村と書かれる、読まれる時代もあったようです

そうそう、「矢切の渡し」がなぜ私たちが知っているかというと
伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台が矢切だったからですね~
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寒かったので「野菊の墓文学碑」の場所をスルー
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旧家の木造建築に「萌え~」とか感じても
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「まっすぐで」
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「寂しい」一人歩き
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ここにも「野菊の墓」の記念碑
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「私は野菊の生まれ変わりよ」
「どうやら民さんは野菊のような人だ」

い~いお話のようだけど、この日は風強く波高し
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この時期の畑なんて、寒々しいに決まっているのに
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何故kozoh55はこうして歩いているのか

やっと見えてきた、あの堤防の向こうには、
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「矢切の渡し」と江戸川が見えてくるはず、
渡しで川を渡れば、温かい草団子など頬張ることが出来るよ

遂に「矢切の渡し」の入口に到着
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つづく、、、

普段使いの街 矢切と私(2)

埼玉県入間の方で明治時代に造られた蔵が
解体を余儀なくされていた事を知り、
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こちらのご主人が建築家で、通常の建物2棟分の費用で
移設した、そんな物語を持つ建物の二階へ
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むき出しの梁、もちろん一本物の材木
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「蔵に住まう」先駆者のお二人に、拍手と感謝の気持ちが湧いてきました
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街の方に戻ってみると、やっぱりしみじみ系で、
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自動販売機を見ていて、いつの時代だろうって
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何だか突然お腹が空いて、「普段使い」系のお店に入り
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美味しく頂きました。

ああ、そういえば、矢切に来ていて、「矢切の渡し」に
普通、行くよねえ

普段使いの街 矢切と私(1)

まだ梅の季節、3月初旬だったでしょうか、
千葉県松戸市の「矢切」を訪れたお話です。
細川たかしのあの名曲で有名ですね。

のっけから寂しげな街並み
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そうか、矢切は「宿」だったんですね。
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で、このキャラクターの意味を、、、松戸市民は
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私に教えてください。

「蔵のある喫茶店がこの先にあります」
という看板を見て、行ってみる。
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立派な蔵、そして蔵のお店。
つるし雛がこんなにも飾られているなんて、大好きなんです。
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「こんにちは、お邪魔します」
「いらっしゃい」と優しい声でベテラン女性が出てきてくれる
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かわいいのう
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古い、珍しいものが盛りだくさん
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このガスストーブ、現役なんですよ
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本当に火をつけてくれました、感謝、感謝
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蔵のギャラリー 喫茶 結花(ゆい)さん、続きます
※最初の記事で店名に誤りがありましたので、修正いたしました。
 お詫びいたします。

ならまち 忘れられない彩の街

実は、時間が限られていて、ただ路地を歩いていた
そんな感じの「ならまちたび」でした。
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こんな格子がさりげなく
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これは小さな小さな「うだつ」なんでしょうか、意匠に魅かれて
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ここにしかないお店がある
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幾度も幾度も出会う「鍾馗様」その家の守り神
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この街の彩りは、建物から始まって
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そのちっぽけな細部まで丁寧だ
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これはたぶん日本の建築様式ではない
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ここからはただの記憶のフラッシュバック
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ここなのかなあ
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この街は
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いかがだったでしょう、「ならまち」は、
本来、奈良市内の狭い路地の一部が「ならまち」なんだと思いますが
kozoh55はこの街全てを「ならまち」にしてしましました。
勝手な解釈ですけど私のブログの中の事です
お許しください。
行く場所を絞ろうと思ったのに、
こうして記事を見てみると、まだ「行き過ぎ」かなと、、、
どっぷり浸かるにはもう二日くらい必要でしょう。
まあ、次の楽しみが増えました。
ご訪問下さった皆様、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

ならまち 法隆寺の時間(とき)

ならまち二日目、JR奈良駅から10分ほどで、
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更に、駅からバスで20分、
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本堂はいつ見えてくるのか
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「中門」が現れた
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何物にも遮られることなく、金剛力士像(奈良時代)を見れるのは、
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初体験かも知れない
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「法隆寺」7世紀初頭に聖徳太子と推古天皇が創建した。
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五重塔は日本最古
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この塔は「塔本四面具」なるものに支えられてきた
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いろんなのがいるなあ
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この子が一番可愛い?
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金堂(左)と五重塔
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「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
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明治の文豪「正岡子規」がこの地で詠んだ

そうなんです
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この記事を自分で読んでいて感じたこと
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時間(とき)が止まっている、ということ

建物だけでなく、全てがそう設計されてましたよ
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その主人公「夢殿」
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次回、「ならまち」が最終回です

ならまち 発掘!?奈良ホテル

日露戦争に戦勝した日本には、外国人客が急増。
それを受けた政府は、全国の主要ホテル・旅館経営者に
外国人宿泊設備の必要性を説き、同時に必要な保護特典を与えると発表。
奈良ホテルはそのことを受け、
「関西の迎賓館」として都ホテル創業者の「西村 仁兵衛」と奈良市、
そして現在のJRによって創明治42年(1909年)業されました。

その奈良ホテルは今、発掘ラッシュとなってます。何を発掘?って
だれが?いつ?
平成25年のリニューアル工事の際に、倉庫から出て来たんです、お宝が。
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大きな3本のスプーンに刻印された「NHL」は明治時代屈指のホテル
明治31年あのジョサイア・コンドル設計の「長﨑ホテル」のもの、
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奈良ホテルが開業した明治42年に長﨑ホテルは閉鎖され、
奈良ホテルに引き継がれていたんですね~

もう一つは、この窓ガラス、
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さりげなく、ホテルのバーの入り口わきに使用されてますが、
これも、リニューアルの際の倉庫整理発掘されたんですよ。

昨日紹介した金庫の前にいらした若いスタッフが、
「自分も一緒に倉庫整理していたんです、発見者の一人です」
と嬉しそうに、誇らしげにお話してくれました。
いやーほんと嬉しかったでしょう。

そんな奈良ホテルにkozoh夫婦はちゃっかり宿泊しちゃいました~
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創業時の姿がほぼそのままの「本館」ではなくて(↑↓は本館)
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新館でしたけど、、、

この可愛い欄干には由来があります
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金属ではなく陶製なのは、太平洋戦争の時、
金属の欄干を軍に拠出したからなんですね。

地元の有名な方による作品としてのこの欄干は、
今、奈良ホテル名物になってます。
確かに可愛いなあ

ならまち 奈良ホテルでのひととき

「ならまち」や興福寺のすぐ近くにあります。
「奈良に行きたいな」と思った理由の一つがこの地、
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「関西の迎賓館」とも言われる
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明治42年創業、「奈良ホテル」
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四万温泉の「積善館」で歴史旅館に出会い、

箱根では日本で2番目に古い富士屋ホテルで

明治から続く建物に泊まることが出来て、

日光では日本一古い「金谷ホテル」に出会い、

「関西の名門はここ」と言われ、
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今日は泊めていただけることになったのです。
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内部の造りがまた凄い、フロント
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「ミルナー社製金庫」
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日本にここ以外残されているのか?現役ですから

入口の吹き抜けは日光にもありましたね
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階段の美しさが、どこか建物の価値を決定付けます
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さらっと「上村松園」さんの絵画もちろん原画。私この方の絵が好きで
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応接の間
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暖炉が美しく保存され
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アインシュタインが宿泊された際に弾いた「ピアノ」
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ちゃんと紹介しきれない、見どころありすぎて