下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

江戸の南の下町情緒 六郷・雑色(1)

以前も紹介したことがある「雑色」。
江戸の東の下町情緒が先日紹介した、「向島、京島、玉ノ井、八広」
であるとしたら、西は六郷・雑色が筆頭に上がりますね。

去年の秋、京浜急行「六郷土手」駅から歩き始めました。
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「六郷」という地名の由来は、この地区にあった六つの村を総称して
「六郷」と呼んだという言い伝えがあるようです。

いきなり温泉が湧く街ですから
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床屋さんの看板だって、こんな粋なものは、見たことがない。
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旧東海道線、現在の国道15号線に立つ社。
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その先にあるもの、それこそが
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「六郷神社」平安時代末期創建とされ、
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本殿は享保4年(1719年)
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昭和62年に建て替えられた社殿は、一言、美しかった
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六郷神社、続きます。

ちなみに、六郷の六つの村の中の一つが「雑色村」。

八広 街歩きは宝探し(4)

まだ何かに出会えるかもしれない、そう思って更に細い路地へ
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お、下町モードにリーチがかかりました、「下町猫」発見。
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えーと、下町猫の特徴としましては、
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「ブロック塀の上を歩いている事」です
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工場を発見、なんかこの光景、凄かった
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題して「昭和な工場(こうば)」
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そしてこの路地にもお店がることを知る
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そして出会った「かま国」さん
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もちろんご主人自家製さつま揚げ
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またやってしましました、「がんものその場食い」
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ご主人曰く、「いや~がんもをそのまま食べる人は初めて見たよ」
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私 「ご主人、この商店街はあちらの商店街と一緒なんですか?」
ご主人 「いやあ、別な商店街なんだよ、今でこそお店は減ったけど、
僕の小さい頃はこの狭い場所の40軒お店があって、この地域1番だったんだよ」
私 「へー、そうなんですか、何という商店街だったのですか?」
ご主人「名前?覚えてないなあ」

ふと、私の目に入ったコンクリートの柱のようなもの、
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私 「ご主人、あの柱のようなものは、なんですか?古そうですけど」
ご主人 「ああ、あれねふるい外灯の柱だよ、ああ、あそこにも残っているよ」
あそこ?と振り返って目に入ったもの、
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それは、以前、横須賀の安浦で見かけたコンクリート製の
外灯のかけらだった、近付いてみると。
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私 「ご主人、この商店街、「南龍館通商栄会」という名だったんですね」
ご主人 「ああ、そうだ、そういう名の大きな映画館があの先の突き当りの脇にあったんだよ」

ご主人から教えていただいた場所には、民家があり当時の面影は
残されていたかった。
そういえば、入谷にも映画館の名が付いた「金美館商店街」があったそうだ
見て、みたいな当時の映画館の姿を、、、、、

いかがだったでしょうか「八広」
これもご主人から伺ったのですが、京成八広駅は以前「荒川」という駅名
だったそうです。茨城県の「荒川沖」駅と混同することから、
八広、運が広がるという縁起のいい駅名に変わったのですね。
おもしろい、おもしろい。南龍館、金美館どちらでもいいから見てみたい。

ご訪問下さった皆様、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

八広 街歩きは宝探し(3)

「街歩きは宝探し」始めました。
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京島から京成八広方面に戻ると

いいなあって、中華料理屋さんがあったり
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お肉の工場?お店、社員寮ですって。
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渋い材木屋さんとの出逢いあり
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でも、商店街は見つからない、「商店街のない街」かしら
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芸術はあるようです、銀行の真ん前に
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不思議な不思議な二人の光景
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いやいや、商店街探しだぞと。kozoh55はこんな時、路地を探します。
おっ、お店発見、電気屋さんかな。
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ケンコーハム?シャッターが降りていて、残念。
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古い商店街風な外灯と「すみだスタンプ」の文字発見
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裏側に書かれた文字「八広新仲通り」商店街、ついに発見。
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昭和30年代から40年代まで、この通りは
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自転車で走れなかったんじゃないだろうか、それくらい繁盛していた、そう思う。
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それだけ素晴らしい歴史を持ったお店が
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ここにはありました。

八広の宝探しはもう一話あります

八広 街歩きは宝探し(2)

京島に向かう道すがら、大衆酒場「岩金」さん
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確かブログのお友達がおススメの店として、紹介してました。

歴史ありげな民家
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戦後の看板建築4連棟、今残されているのが嬉しい
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気が付くと「京成曳舟駅」あちら側は京島
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京島側、来てますね、昭和な風情が
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煙突を発見、これは銭湯に違いない
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おっ、建物下部に煉瓦造りが目に入る
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これは、大正明治まで遡るものじゃないだろうか
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えっと、君は、たぶん平成ですね、えっ、昭和ですか?
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銭湯、「おかめ湯」さんでした
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なぜこの煉瓦塀がこれほど古いのか、何か工場の塀だったのではないか?
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いろいろと考えてしまいますが、でも、ネットでも情報はありませんでした。

八広 街歩きは宝探し(1)

京成電鉄八広駅を出ると、そこには
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住宅だけが広がっていて、駅前商店街が無かったのです
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少し歩いて大きな通りに出ると、
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渋いお店が少し見つかって、少しは楽しめそうな気がした
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そう、ここは墨田区、以前紹介した東向島(旧玉ノ井)、鐘ヶ淵、
そして京島に囲まれた、超下町ゾーン。
京島方面に歩いてみたものの、路地にほんの少し「商店街跡」らしき姿を
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見つけた位でした
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お、少し雰囲気が出て来たぞ
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ここは元喫茶店だったみたい
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こんなくらいの感じ、なのかな、

ちまたの猫(6)

築地の主のド迫力の表情『旅の者か?』
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行儀いいんですよ、僕たち 横浜最後の色街『黄金町』
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恰好が様になってますね。『月島』
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左甚五郎の「眠り猫」 川崎にて
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これが日光東照宮の「眠り猫」似てるでしょう。
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僕みたいなノーマルなのもいますから 千葉県市川市の『田尻』
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「人間なんて、ララーラー」 亀戸天神にて
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「やるなら、来い」  FROM神田
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なんて言っているか、想像してみてください。「           」 四谷にて
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「人間、知らないよ」 ここは荒木町だったか
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いろんな事があったなあ まだ紹介していない『祐天寺』
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「ミャー、ミャー、ミャー」  もう一人『祐天寺』
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「唐獅子牡丹」 芝東照宮というのがあります
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ちまたの猫達は皆一生懸命生きてましたよ

国府津 たてもの園に春が来た(4)

この街は確かに「たてもの園」でした、和も洋も。
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この建物は明治時代まで遡るのではないでしょうか、路地に現れた姿
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この建物を見て思い出しました、なんでこんなに奥行きがあるのか、
明治時代は税金は軒の幅で決まっていたそうです、
そう、奥行きが長くても税金は上がらなかったのです。
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蔵もあります、あります
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派手でない所が、いいです
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正統派、「ザ・蔵」
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「鰻和」さん
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癖のない、上品な鰻の味とたれを頂きました「ありがとう」
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国道1号線、小田原市内方面に20分近く歩いて路地にて出会う
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蔵ではこの建物の印象が一番
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その細い道の先には「八幡神社」
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これもまた出会い、この周辺の各地に置かれていた
庚申塔が、道路整備に際してこの地の集められていました。
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ちゃんと下にお猿さん達がいますね~

いかがだったでしょうか、「国府津たてもの園」
看板建築、生粋の洋館、蔵と和建築、楽しみがいっぱい、
その上八百屋のおじさんが言ってたのですが、ミカンが名産らしく
昔は国鉄(今のJR)で売られた冷凍ミカンは全てこのあたりで
作られたらしいですよ、「ほ~そうだったか!」です。
そして苺か大きくて大きくて、こんな巨大な「いちご大福」
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売ってました~
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超甘ジューシー、たまりません。「親木堂」さんにて

ご訪問下さった皆さん、ありがとうございます、
この国府津もおススメです。
またぜひ遊びにいらしてください。
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国府津 たてもの園に春が来た(3)

商店街のお店の間にひっそりとそれはありました。
お店とはちょっと違った風で
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洋館
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こんな建物が今、残されている
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昭和初期の建築、病院だったそうです
装飾はそのまま、そのまま残されて
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当時住んでいた人達の「面影」を残してくれてます
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そのまま
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そのまま
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この建物の情報は「存在する」事くらいしか情報が無くて
私に言えることは、この建物が当時、珍しい姿の洋館であったろうということ
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白黒で
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次の記事が「国府津」最後となります

国府津 たてもの園に春が来た(2)

「たてもの園」という言葉、訪問していろんな建物に出会えたので
ネーミングしました。

さあ、看板建築
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ああ、見たことがあるデザイン、と言いつつ、微妙に形が違ったりします
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まごうことなき、関東大震災後に日本中で作られた様式

「公益社書店」3階建てとは凄いですね
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看板建築の魅力は施された意匠や装飾、
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「公益」という言葉をロゴにして、志の高さを感じます~
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「神田屋商店」荒物屋さんのようです。
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この堂々たる姿
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青空が似合う建物ですこと
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あこがれ
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今は個人宅のようですが、公的な建物、郵便局とか銀行とか
そんなオーラを発してました。

大正・昭和初期の時代には、この国道1号線の通りには、
当時のモダンな建物、看板建築に溢れかえっていたのでしょうね。

国府津 たてもの園に春が来た(1)

この記事は、最近、ブログを相互リンクさせていただきました「プチアンティーク」という
ブログをされているshizuさんの「国府津」紹介記事を読んで、感動し、先週訪れたお話です。
shizuさん、ありがとうございます。

東海道線で東京から約1時間半、降りた駅は地味で静かなものでした。
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「国府津」(こうづ)は、文字通り国府、相模国国府があった場所への
水運の港という意味、わかりやすいです。

駅の目の前を国道1号線、東海道が走り、明治20年には東海道線が開通し、
東京から来て横浜の次の駅、終点だったそうですから、交通の要所として、
明治・大正・昭和初期まで大いに栄えていたのです。

駅からすぐにある「神戸屋」パン屋さんは、最盛期を偲ぶ建物として
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有形文化財となってます。
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そう、この街は関東大震災後に日本中で作られた
「看板建築」が多く残る地なのです。

それだけじゃないです、さりげなくこんな建物が残され
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その先は、
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そしてまだ2月だというのに、水仙が咲き誇る
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春の訪れが早くやってくる、すでに「温かな」街なのです。

さあ、ちゃんと紹介しましょうこの街を