下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

ちまたの猫 昨日、増上寺で

雨が止んでやっと出かけて、増上寺、芝公園で
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銭湯の詩 ~西新井周辺⑤~

とおりすがりに、役割を終えた銭湯に出会ったと思いきや、
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戦艦のような威容を誇る姿に
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圧倒されてしまう私
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「いこい湯」さん
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夕暮れ時が何故だか似合っていたこの銭湯
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開店前の20分前から、行列が出来ていたとは、
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いまは思えません、「おきもと湯」さん。

夕暮れ時はさみしそう
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でも、銭湯は嬉しそう
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「松の湯」さんて、どこにあったのかしら、テレビ?
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ねえ?君っ?
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そうか、やっぱり銭湯は夜撮るに限るんですね。「堀田湯」さん
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支店を出すなんて、凄いことです
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「第二堀田湯」さん登場、やっぱり兄弟?いえ、姉妹?ですね。

いかがだったでしょうか、足立区西新井界隈銭湯、、、kozohのとことん歩き、
うーん、確かに歩きましたね、千住銭湯歩きと一緒でしょう。

残念ながら、あるはずがそこには戸建て住宅が5棟も建てられている
「銭湯跡」も今回目にしました。あの戦艦のような広さの土地は、
半端でない価値があるのでしょう。銭湯は難しい時代なのかもしれませんが、
生き生きとした姿を見ることも出来ました、嬉しい。
どの銭湯をぶらりしましょうか。
ご訪問下さった皆さん、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてくださいね。

kozoh55

銭湯の詩 ~西新井周辺④~

東武線西新井、そして五反野から歩きに歩いて、
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舎人ライナー線の「「高野(こうの)」駅を、更に通り抜け、
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お目見えした「江北湯」
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はあっ、ここは
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千住の「大黒湯」や「たから湯」と競い合ってほしいわけじゃないですが、
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ついつい思い出してしまい
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どうだったかなあと、建物全体を見入ってしまったkozoh55です。
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銭湯の詩 ~西新井周辺③~

ただひたすら銭湯を巡ります。
「明美湯」さん。名の由来は?知らなくてごめんなさい。
素敵なので由来を知りたいな。
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ネットで調べても、どなたもご存じないみたいです。
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煙突の先が細くなっているのは、東日本大震災の時、
先端が落ちてきたそうで、無事営業で来て、よかったですね。
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「足立湯」さん。
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「竹の湯」さん、営業開始時間の30分前なのに、
おじいちゃんは待ってました。
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銭湯はお年寄りが首を長くして待つ「やすらぎ」の場なんでしょう。
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はいはい、あなたにとっても憩いなんですね、銭湯は。
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わかりましたよ。

「大六天湯」さん。ビル系の銭湯が営業前だとちょっと寂しげ。
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「星谷浴泉」さん
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入り口正面のタイル張りが、いいですねえ、ここ
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煙突がこんなに低いところから見えて、素敵
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淡々と続いていいですか?

銭湯の詩 ~西新井周辺②~

ちなみに、「東京銭湯ぶらり湯めぐりマップ」はこれです。
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四ツ木にある銭湯の煙突をしみじみ見つめていたら、
その銭湯のそばに住んでいる方が、「いいものあげる」と言って、
くれたものです。

銭湯の旅は東武伊勢崎線「五反野」駅周辺からスタート。
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「常磐湯」さん、なぜ銭湯に「常磐湯」が多いのか、
それはわかりません。
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銭湯が多い街は、下町の中の下町、かな。
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歩いて5分もしないで、次の銭湯に出会う。「秀月の湯」さん
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今から30年前位に、銭湯はビル化されたのかもしれません。
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と感じたと思ったら、戦後間もなくか戦前の風情漂う、「唐破風作り」
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大名屋敷ではないのです。
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堂々たる「あけぼの湯」さん
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下町色がどんどん濃くなっていき
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この通りなんて、どういったらいいか、凄まじいの一言
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商品の売り方が違います
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蔵は商店に面してしっかりと存在し、もう100年近く経っているのじゃないかと
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そして清潔感いっぱいの「春の湯」さん
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少しづつ、江北の方に、西へと進んでます。

銭湯の詩 ~西新井周辺①~

上野の「燕湯」さんを目の当たりにして、「そうだ、銭湯に行こう」
っていうノリで、偶然四ツ木の銭湯で頂いた「東京銭湯湯めぐりマップ」片手に
12カ所あるという東武伊勢崎線「西新井駅」に来たkozoh55,
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いつも通り最初は現地のラーメン食べなきゃと、
ラーメンアプリで人気高い「西新井ラーメン」を
駅周辺で探せど探せど見つからず。

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なんとそのお店は西新井駅の中、それもホームにあったのです。

「立ち食いラーメンが人気?」
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へーと思いながら食券を買おうとすると、「ラーメン450円」
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「開業以来45年?国産鳥と豚?」

これがラーメン大盛り550円。
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なつかし系のビジュアル
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お客さんはひっきりなしに出入りして「ラーメン450円」をオーダー。
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女性二人でずっと営業しているお店だそうです。
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私も、他のお客様も黙々と食べていました。
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そうだ、ラーメンって、本来こんな感じで
気軽に食べるものだったね、、、、

具はひとつひとつしっかり味が乗っていて
麺は少し私的には柔らか目、お腹に優しいスープに
みんな、やみつきになってしまうんでしょうね。
お二人のおばちゃま、ありがとう、ごちそうさま。

さあ、道草は終えて足立西新井銭湯ぶらり旅出発進行。


上野界隈~東叡山寛永寺はいずこ~(6)

東叡山寛永寺の名所見物をほぼ終え、「さあ、帰ろう」
と、上野駅に向かうと、もう何度見たことか、映し出される景色
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この上野の文字の電飾はなぜこれほどまでに暗いのか?
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想像ですけども文化財としての価値も高く、
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あるいは有形文化財に指定されることを望んで、
形を変えないのかもしれませんね。

昭和初期の建築物として、
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屋内も歴史を感じさせます。
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日本最初の地下鉄銀座線の駅が地下にあったから
このあたりの場所は、正々堂々とレトロしてます。
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そして上野と言えば、東北本線、常磐線、そして高崎店など。
そう、これらの路線の終点、それが「上野」なんです。
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そういえばイタリアの主要都市、フィレンツェ駅もこんな風に終点駅だったのを思い出しました。
上野界隈はいつの時代も江戸東京の中心都市でしたし、これからも主役なんですよ。

お晩です、ご訪問下さりありがとうございます。
「上野界隈」マジ楽しくて楽しくて、ついついタイトルの「東叡山寛永寺」ではないところを
たくさん見て歩いたんですよ。
どこもかしこもおススメで、皆さんぜひいらしてほしい、そんな街でした。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55

上野界隈~東叡山寛永寺はいずこ~(5)

東照宮を出てみると、
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「上野動物園」ちゃんですよ。
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パンダのネタは尽きませんね。
昔「欽ちゃんのドーンとやってみよう」という番組だったと思いますが、
「ホワンホワン」と「カンカン」の子供は?「保安官」
いやー、今考えるとオヤジギャグでしたね、あれで受けてたなんて、、、

そして「東京国立博物館」
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関東大震災で大きな被害を受けた博物館は、昭和13年にこの建物が完成。

で、どこに向かって歩いているのですか?って、
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そうです、私はこの記事のタイトル「東叡山寛永寺」に向かっているのです。
でも、途中で魅力的な建物ばかり、
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「旧東京音楽学校 奏楽堂」
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この巨大な建物は?初めて見るかもしれない
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「旧帝国図書館」1906年建築。
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この美しい内部は、現在「国際子ども図書館」として「、
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まさに「生かされている」からこそ、私達に感動を与えてくれます。

そしてここは、「寛永寺 墓地」。
この地には6人もの徳川家の将軍が眠っていて、
そしてその入り口を今守っているのが、「厳有院霊廟勅額門」
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空襲で徳川家綱、綱吉の霊廟のほとんどが焼けてしまう中で、ここが残った
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その姿は、どこか江戸時代そのままの姿を感じさせるものでした。

「寛永寺本堂(根本中堂)」ここが寛永寺の中心となる場所、
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にもかかわらず、この建物は明治期に川越から移築したもの、
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それはこのお寺のどこか「流転」を繰り返した歴史を
物語っているのでしょう。
ここも、
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ここも寛永寺、
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なんだかもう暗くなってきましたよ。
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上野界隈~東叡山寛永寺はいずこ~(4)

上野公園の中にありながら、「東叡山寛永寺」とは別物、
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正式名称「東照宮」別名「上野東照宮」
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徳川家康の信頼が厚かった藤堂高虎が、家康の遺言を受け、
1627年に藤堂高虎の屋敷内に作られたものです。
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沢山の灯籠は大名達の家康への忠誠心を示す意味で、
競い合って建てられたそうです。

参道の脇には「旧寛永寺五重塔」が寄り添ってました。
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現在の建物は、3代将軍家光が大規模に造営されたもので、
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震災・戦災を逃れて奇跡的に今も残されています。
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塀の向こうには、拝殿、そして本殿に有料で入れます。
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まぶしい
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輝きを放ちっぱなし
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派手好きの人間ではないのですけど
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この神々しさにうっとり。

内側から見た正面の門。
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日光東照宮の「眠り猫」の彫師「左甚五郎」の作品がここにも
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建物の意匠の美しさは、並ぶものがないのではないかと
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夕暮れ時は、寂しそう、でもこの輝きは
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まるで永久につづくかのように、感じたのです私には。

上野界隈~東叡山寛永寺はいずこ~(3)

東叡山寛永寺、ここしか、こここそが寛永寺な「時の鐘」
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江戸時代初期から、この鐘が江戸っ子に時を告げてくれました。

この鐘は二代目です。
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ハイカラーでも撮ってみました。
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気の遠くなるような時間を、この鐘は鳴り続けて、
今日現在も午前・午後6時と、正午に鐘の音を響かせています。

不忍池は、もう枯れていて、それはそれで上野らしさを表してくれてます。
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上野公園の坂を上がると戦災から逃れた建物が見えてきます。
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「清水観音堂」
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「なぜ今までここに来なかったの?」そう自問自答してしまうほど
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この建物は美しく、そして寛永8年(1631年)建築という古のもの。
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少し歩くと、京成上野駅からの「上野恩寵公園」入り口に辿り着く。
これが門だろうか。
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配線がされていたことを見ると、この重厚な門が
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明治時代訪れる人を温かく迎えたに違いない。

「西郷隆盛像」
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なぜ犬とここにいるのか、
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この場所で旧幕府の侍たち、彰義隊を、大いに打ち破った総大将は、
貴方だったじゃないですか。

なのに、そのほんのすぐ近くに「彰義隊慰霊碑」があることは、
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日本人の不思議さ、強い同胞意識を感じざる得ないのです。

更に、更に、この場所を御存じの方はいるでしょうか。
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「天海僧正遺髪塔」
そりゃ、無くちゃおかしいでしょう、この寛永寺は、天海僧正が作ったのですから。

ちなみに、東叡山寛永寺の現在の敷地は約3万坪。
上野戦争で寛永寺が焼かれるまではその10倍の敷地だったそうです。