下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

ただただ北海道 炭鉱慕情(赤平①)

『空知(そらち)』私の住む町一帯を行政の区割りではそう呼ばれてます。

空知地方にはかつて炭鉱により栄えた街が数多くあり、
その炭鉱は『空知炭田』と呼ばれています。
「赤平市」はその一つで、かつて6万人近くいた人口が減少の一途となっているようです。
立派な駅に、
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目の前にある建物は明らかに歪んでしまってます。
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「住友石炭赤平炭鉱立坑」
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大正13年頃から住友坂炭鉱として本格的に稼働し、
この立坑は昭和30年代になって、更に深く掘るために作られたもの、
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そう、これは巨大なエレベーターとして活躍し
深く、深く掘り下げることを可能にしたのです。
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平成6年まで稼働していたそうですから、閉山は最近の話。

その脇にあった建物も、炭鉱遺構、
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「坑口浴場」
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炭坑から出来ていた坑夫達の楽しみは入浴、お風呂場は憩いの場所だったんですね、ここが。
中に入ってみてみたかった~、予約制で、見る事は可能だったみたい。

駅の真裏には、選炭場跡と山がありまして、
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迫力ありましたね~大きいのよ、この選炭場、
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むき出しになった鉄筋。
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「この山は777段ありまして~」という紹介文に惹かれて、
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「へー、ラベンダーが綺麗だな」なんて調子こいて、
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歩いて山を上がり始めたのですが、、、、
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777段って、きついのなんの、その上この日は30℃越えの気温。
そう、なんとこの山はただ者ではない、この全てが「ずり山」なんです。
炭鉱が採掘により出てきた土の残りを捨てていた場所(九州ではボタ山)
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そうです、砂利や土の中に石炭があるのです。

上を見上げて頂上階見えなくて「はあ、はあ」
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下を見ても、どこまで来ているかわからず、「ぜい、ぜい」
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頂上に着いたら、景色を楽しむどころか、
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住友炭鉱が遥か先に見えても、「ああ、行きましたね」
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というぐらいの疲れ方で、「早く美味しいものが食べたい」一心で、
駆け降りたのであります。

では次はグルメかな。

ただただ北海道 故郷界隈

北海道雨竜郡沼田町、そこが私の故郷、何もない風景が続きます。
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7月初旬、北海道は最近夏に30℃を越えることが、普通になってます。
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千歳空港からレンタカーで高速に乗り、約2時間半で、ここまで来ました。
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何もないところ、と思っていたら、近くの音江町には、
私がフルーツで一番好きな、サクランボ園の看板が!
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30?年前に北海道を出た時にはなかったものが
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それも、サクランボ狩りが800円(時間40分位)で出来るなんて、
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見てわかりますよね、これ、甘いんです。
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確か品種は「佐藤錦」と「南陽」でした。
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籠に入れたものは別会計で、1000円そこそこの格安で、
実が割れて売れなくなったものをおみやげで下さって、
これが後で食べてみると、更に甘い。
「田中さくらんぼ園」のご主人、親切に案内して下さりありがとうございます。

北海道で何もない静かな街にありがちなのが、
「廃鉱となった炭鉱跡」
沼田町には「昭和」「浅野」という代表的な炭鉱が
昭和30年代まで活躍していました。

沼田町市街を北に「ホロニタチベツ川」沿いを上ると、
昭和炭坑入口のこの場所で、「出入禁止」となり、今年も旅は終えたのですが、
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帰りがけで、ダム建設で人工的に作られた「ホロピリ湖」によって、
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水没してしまった「浅野炭鉱跡」は水かさが減って、
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なんと、見つけることが出来たのです!
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私にとって、すごい快挙です、これは。

奥の方にも別な施設が少しだけ見えて、
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カメラで捉えることが出来ました。
これも別な施設ですね。
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北海道のお話は、まだ続きます。「炭鉱慕情」かな。

時のかけら ラーメン店 禪(ひらめき)にて

月に1回か2回、訪れるラーメン店「ひらめき」さん
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あまりに美味しくて、ついつい記事にしてしまう。
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とろけてしまうチャーシューは、他と比較できない
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この真黒な部分こそ味わい深くて、焦げているわけではないのです。
醤油で二日間煮込んだからこうなります。

スープだけになって、帰るのが惜しくなってすすっていて
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どうしてこんなに複雑な味になるんだろうと考えていたら、
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ご主人が時折見せるいたずらっ子のような表情で、私に話しかけてきた。
「お客さん、車とかバイクとか好きですか?」
「ああ、嫌いじゃないけど、普通位ですかね」
「嫁さんに買ったのがばれて怒られたんですけど、古いバイクを買ったんですよ」
「へえ」と私、
「いつもは店頭に飾っているのですけど、今日は雨降っていて、
裏に置いているんですよ、良かったら見てみてください」
「そうですか、じゃあ、出るとき見てみますね」

食べ終えて、ひらめきさんの横を見で、そこにあったもの。
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堂々たる姿でした。
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タコメーターで始まるのですね。
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直観的に、この姿エンジン回りが美しかったものでして、
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これは、、、、、
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1957年に作られたものです。
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ハーレーダビットソン1947年製。

ご主人、美しいバイクを見せて下さって、
感謝申し上げます。
奥様がお怒りになるのが、よーくわかりましたよ。
これは、大人の男の楽しみですから。

銀座 特別な街だから(13)

ひとつのシリーズで10話を越したのは、
「ただただ北海道」が22話、「本郷」が10話、
そしてこの「銀座 特別な街だから」が13話目になります。

理由は説明できないのですが、銀座は私にとって「特別な街」のようです。
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迷子のようなこの子は、
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銀座の守り神として、いつだっているのです。銀座「天賞堂」さん。

銀座から新橋への道すがら出くわした、「電通ビル」
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守護神たちが出迎えてくれます。
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ビルの中には、こんなにも美しいエレベーターがあり
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誰だって、「来てよかった」そう思うはずです。

30年前、銀座の代名詞は「クラブ」でした。
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企業戦士たちを、ここで「銀座のママ」達が癒してくださったのです。
ありがたい場所でした。

だからといって、庶民の飲み屋街が無いわけでなく
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ここだって
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ここも
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癒しの場だったのです。

だからこそ、猫ちゃんがいっぱいいて
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どれもこれも
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銀座生まれなんでしょうね
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そんな上品に見えますか?

最後に見る姿は、ここ、戦争にくじけずに残り、
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一時期は進駐軍の「off limited」だった服部セイコーの「和光ビル」です。
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 銀座の紹介は終わるわけがありません。
いかがだったでしょうか?
ご訪問下さった皆様、感謝申し上げます。
もっともっと、銀座を歩いて、紹介したいのです。
そんな自慢の街なのですから。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55





銀座 特別な街だから(12)

高速道路に書かれた文字「銀座京橋」
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以前はここには本当に「京橋」があり、
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その下を京橋川が西銀座に向かって流れていたそうです。

江戸の歴史を引き継ぐ日本橋とモダンな銀座を繋ぐ重要な場所、
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京橋に作られた交番も斬新なデザインでした。
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このふたつ、屋根のデザインが似ているのは、、
明治時代のガス灯の頭部をモチーフにしているようです。

銀座は明治9年にレンガの街並みが完成し、
ガス灯が灯る様は、今以上に輝いていたのかもしれませんね。
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当時の面影が随所に復元されています。

30年前、田舎から出てきた私にとって「有楽町マリオン」は
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都会、東京の象徴だったかもしれません。
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マリオンのすぐそこにひっそり佇む、
「中央区立泰明小学校」は関東大震災後の復興事業として
昭和4年に作られたもの。
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東京大空襲に耐えたその頑強な建物は、
ツタがからみ、「ちいさな人達を」いまも温かく迎えています。
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この建物の前に道は「みゆき通り」と呼ばれてますが、
明治天皇がこの道を行幸されたからつけられたのです。

銀座 特別な街だから(11)

築地から、少し銀座寄りに戻って
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当時の姿から全く変わってない?そう思えるような
建物にもたくさん出会いました。
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当時の職人達の技術の粋を集めた姿。
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「鉄板焼 黒澤」
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ここが究極かもしれません。
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「宮川商店」鶏肉専門のお惣菜屋さん。
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お前は築地でお魚を頂いているのかい?
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おばあちゃんが大事にしてくれていた。
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特別な街だから、まだ続きます。


銀座 特別な街だから(10)

ご存知の方も多いかと思います、
東銀座の先には「築地」が、場外市場が見えてきます。
そのお隣には、「築地本願寺」
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聖路加国際大学内には昭和8年建築の「トイスラー記念館」
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この明石の地が外国人居留区だったことを偲ばせます。

どうしてこの柱は、こうして埋まっているのか、
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私が築地の築地らしさを感じたのは、築地6丁目、7丁目。
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ほんとうに、この一角に
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次から次へと現れる、戦前を思わせる建物達。
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この木製の建具が良いのです。
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まだまだです、ブレーキが利かなくなってます。
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建物へのちょっとしたこだわりに、目が奪われて
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今度は看板建築攻勢。
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どういう意味でこの意匠を選んだのか
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教えてください。

銀座 特別な街だから(9)

今回の銀座は気が付くと築地だったり、有楽町だったりします。
どうしてかというと、築地も有楽町も全て銀座だと思うからです。
特別な街だから。

ブログのお友達でyozakuraさんという方がいらして、
私の銀座の記事を読んでくださって、
「次は改造社ビルを紹介してください」と言葉を頂いたので、
描きます。
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東銀座に昭和初期に建てられた改造社ビルは、
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左には美しい意匠で飾られているのに
右にはただのコンクリートしか見えないのです。
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どうしてこうなったのか、予算の問題?じゃないんでしょうね。
不思議なんです、この姿は。
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お盆休みか、この日は1階の書店は営業をしてませんでした。
以前紹介した、ビル内部の姿です。
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yozakuraさんいつもコメントありがとうございます。

東銀座にある改造社ビルの隣には、
群馬県のパイロットショップがありまして、
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カブトムシになった群馬ちゃんがいるのです。

この美しい建物は
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まごうことなき、「歌舞伎座」です。
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銀座の原点は、私には「銀座奥野ビル」があるのです。
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この日、このビルの中にたくさんの人が入っていくのを見て、
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本当に嬉しかったものでして、
実はこれほどまでに粋なお店が入っているビルだったことを
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私は今回気付いたのです。
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明日は有楽町か築地か新富町か?

紅花が咲かせた小京都 村田町(3)

さあ、奥座敷へ
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神棚
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「ラジオ」だったか、、、
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大沼さんは生活家具もまとめて寄贈して下さって
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ありがたいですね~

奥座敷からお庭を望むと
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離れが少し見えます。
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昭和の偉大な音楽家の「古賀 政男」さんは、
こちらの家族と友人だったことから、この離れに宿泊されたそうです。

奥座敷から、店蔵を見渡すと、
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ここが蔵の入り口だったことがわかります。
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なんとも美しい姿で、それはありました。
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いかがだったでしょうか、みちのく小京都「村田」。
というか、まだkozoh55として通りすぎた位なので、
取材が足りません、もっと取材してちゃんとコメントを
入れられるようになりますので、この記事は書きかけ、です。
ご訪問下さった皆さん、ありがとうございます。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55



紅花が咲かせた小京都 村田町(2)

日本橋から始まる奥州街道の宿場でもなかったこの地に
これほどの商人の街が今も残されているのは、
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山形、仙台、そして江戸を繋ぐj街道の要衝だったから、
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村田町の豪商中の豪商「ヤマショウ」さんは、大沼家が街に
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建物を寄贈してくれて、屋内見学が可能。
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若い女性の方が建物の説明までしてくださいました。
さあ、お邪魔します。
「店蔵」
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この巨大な金庫の中には、
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こんな現金が積まれていたのでしょう。
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時代時代の看板
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2階の階段は、もちろん収納引き出し付
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2階は非公開、残念すぎます。

薬も販売していたのですね。天元子は腹痛の薬、神仙一角丸は、、、
ガイドさん、なんといっていたか、富山の薬です。
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お店が閉店になると下ろす板には、紙がいっぱい貼られて
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じっくり見たら面白いんでしょうね。

さあ、奥の部屋「居室」へ、ここが裏玄関?
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こたつを使っていたんですね。
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今回一番驚いた、吹き抜けの間。
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2階のこの空間の先は廊下になっていて、
次の部屋に繋がっていたそうです。光が、上手に取り入れられて、別の角度から、
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