下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

社寺出逢 駒込それぞれ

この、教会のようにも見える建物は何者なのか
富士神社&吉祥寺 (171)_R
「駒込大観音」
富士神社&吉祥寺 (172)_R
天正17年(1589年)に創建された「光源寺」には
富士神社&吉祥寺 (174)_R
天保時代に造られた十一面観音像が座していたが
富士神社&吉祥寺 (177)_R
戦争で焼失、今の十一面観音像は、再建されたもので
だからといってこの美しさを失うものではないのです

駒込高林寺にひっそりとありました、蘭学者「緒方洪庵」のお墓。
富士神社&吉祥寺 (167)_R

駒込には由緒正しき寺社と、そしていっしょに佇んでいる街並みがありました。
床屋さん?
富士神社&吉祥寺 (52)_R
玄関が窪んでいる家なんて、いまはそう無いのですが
富士神社&吉祥寺 (56)_R
こんな宝物にも出会えます
富士神社&吉祥寺 (57)_R
どこか吉祥寺の「経堂」のようにも見えたりして
富士神社&吉祥寺 (42)_R
美しいものです

床屋さん2号かしら
富士神社&吉祥寺 (192)_R
[ 2014/05/30 20:40 ] ◎時のかけら 社寺出逢 | TB(0) | CM(2)

社寺出逢 駒込吉祥寺(2)

吉祥寺という地名で、今の人が思い出すのが、
中央線の吉祥寺駅。あの駅の周辺に「吉祥寺」はありません。
この吉祥寺の所領だったので、地名が吉祥寺になったのです。
富士神社&吉祥寺 (125)_R
山門とほぼ同時期に建てられ、戦災を逃れた
「経堂」
富士神社&吉祥寺 (146)_R
池上本願寺の「経堂」もそうでしたが、派手でない分、
富士神社&吉祥寺 (144)_R
尊さを感じ得ずにはおけません。
富士神社&吉祥寺 (147)_R

狛犬は、また独特で、虎かなあって、神楽坂の狛犬は確かに「虎」でしたね
富士神社&吉祥寺 (127)_R
木の彫刻に見とれてました
富士神社&吉祥寺 (133)_R
富士神社&吉祥寺 (135)_R

本堂を望む一本の道に
富士神社&吉祥寺 (122)_R
お経を読みながら、僧侶が祈ってました。
富士神社&吉祥寺 (117)_R
神田の昌平坂学問所(現在の湯島聖堂)と競い合った学問の地は
今も厚い信仰に守られて、今日があるのでしょうね。

駒込吉祥寺、知る人ぞ知るお寺
建物の美しさに出会いたい方は、特にオススメですね。

[ 2014/05/29 23:09 ] ◎時のかけら 社寺出逢 | TB(0) | CM(2)

社寺出逢 駒込吉祥寺(1)

駒込吉祥寺、こちらは、茨城県のご紹介をされているブログ名、
「まほらにふく風に乗って」のRomanさんが存在を教えてくださいました。
富士神社&吉祥寺 (31)_R

吉祥寺は室町時代、あの「太田道灌」が開基したお寺で、
富士神社&吉祥寺 (34)_R
1802年建築の山門、古さを感じるだけでなく、
芸術としての美しさが飛びぬけています。
富士神社&吉祥寺 (36)_R
富士神社&吉祥寺 (63)_R
「旃檀林」
富士神社&吉祥寺 (60)_R
せんだんりんという名の「寮がここに作られ、江戸時代学問の中枢となり、
常時1,000人が学んだと言われ、
旃檀林は駒澤大学として学問の道は続いています。

だからこそ、でしょうか、二宮尊徳(金次郎)の墓碑がここに
富士神社&吉祥寺 (96)_R
「尊徳」の字が読めます?
富士神社&吉祥寺 (98)_R

突然見えてくる
富士神社&吉祥寺 (87)_R
釈迦如来坐像、これはかなり大きかった
富士神社&吉祥寺 (90)_R
富士神社&吉祥寺 (86)_R

実は吉祥寺で有名なのが「八百屋お七」
富士神社&吉祥寺 (79)_R
明暦の大火の時、お七の家族はこの「吉祥寺」に
避難したと言われているのです。

吉祥寺、後編へ
[ 2014/05/28 23:39 ] ◎時のかけら 社寺出逢 | TB(0) | CM(0)

団地三都物語~上野下アパートに思いを寄せて~

関東大震災の後の復興の為に、「同潤会」という組織を国が作り、
東京の中に、モダンな集合住宅を作ったのです。
上野下 現役 (2)_R
時代をへて徐々に取り壊されていった同潤会アパートの中で、
最後の姿を私達に見せてくれた、「上野下アパート」
これが団地の元祖じゃないかと思ったものでして、
記事にいたします。
上野下 現役 (3)_R
皆さんはこの建物が美しく見えますか、
上野下 現役 (11)_R
それともモダンに見えますか
上野下 現役 (15)_R

横から見た上野下アパート
上野下 現役 (20)_R
可愛い床屋さん
上野下アパート (22)_R
後ろからも撮ってみました
上野下アパート (60)_R

同潤会アパートの、何がモダンだったか、
〇火災に強くするために当時まだ少なかった鉄筋コンクリートで作られていた
〇電気・水道・ガス・ダストシュート・水洗式便所が完備されていた
〇エレベーター、食堂、共同浴場、音楽室といった共有スペースが整っていた
本当に凄いです、大正から昭和初期に作り始めたのですから、今の話ではないのです。

気が付くと、2か月後には取り壊すことが決まった上野下アパート
上野下アパート (4)_R
器械が壊す準備をしているのを見て、寂しくなり
建物の表情が、どこか寂しげでした
上野下アパート (12)_R
上野下アパート (14)_R

残念ですが、もうこの建物に出会うことはないのです。
失われたものですから。
上野下 現役 (17)_R


団地三都物語~桐ヶ丘中央商店街~

私がお世話になっているブログのお友達で、
「ほのぶらマン」さんという方がいらして、「ほのぼのB級商店街歩き」
というブログで、東京を中心とした「ほのぼの商店街」を紹介されています。

記事の中で、北区赤羽の近くにある商店街を紹介されていて、
もう、「見に行かなきゃ」と思い立って先週末に行ってきました。
団地の記事を少し書いてみたくもなったのです。

赤羽駅からほんの10分も歩くと、巨大な団地が現れます
石川台・桐ケ谷 (290)_R
桐ヶ丘団地、そして商店街
石川台・桐ケ谷 (244)_R
どこまでもシャッターが下りていて
石川台・桐ケ谷 (250)_R
やっと商店街の中心が見えてきました。
石川台・桐ケ谷 (287)_R
商店街の中に入ると
石川台・桐ケ谷 (334)_R
渋いお店達が迎えてくれました。
石川台・桐ケ谷 (272)_R
おもちゃ屋さんは私の故郷の町で、お宝に出会える貴重なお店です。
石川台・桐ケ谷 (278)_R
当時、「野球盤」「花札」「花火」どれもおもちゃ屋さんで買いました。

団地商店街の裏側
石川台・桐ケ谷 (325)_R
10円、100円かしら、私は退場制限で乗れないみたい
石川台・桐ケ谷 (306)_R
石川台・桐ケ谷 (276)_R
正確な名称「都営桐ヶ丘アパート」は1957年~の建築。
ネットにもその歴史的なものは語られていません。
当時の姿を、やっぱり目にしたくなりました。

少し間を置きますが、
~常盤平団地 団地博物館~
~町田鶴川団地~
そして、
~元祖団地の姿とは~
という記事を今、準備しております。

東急池上線 石川台希望ヶ丘商店街(2)

お婆ちゃんがお店番している、「吾妻屋石川商店」さん
石川台・桐ケ谷 (142)_R
懐かしい姿で売られてます
石川台・桐ケ谷 (141)_R
私:「おばあちゃん、美味しそうですね、どれがおススメ?」
おばあちゃん「これなんか人気だよ」「へー」
DSC_0996_R.jpg
3つよりどりで選べて600円。

私:「おばあちゃん、これはご主人の手作り?」
おばあちゃん:「いやあ、その息子、2代目ね」

「こんな小さなお店でやっていても、今はインターネットとかで
見てくれて、買ってくれる人がいるんだよねえ」
「へー」
おばあちゃんのお話から「インターネット」という
言葉が聞ける、、世の中の変化はとても速いです。

美味しかったのね~まじで
DSC_0998_R.jpg
この海苔で不味そうなちっちゃな粒がしょっぱくて美味しいの
DSC_1009_R.jpg

商店街の脇の路地を覗いていたら、発見しました。
石川台・桐ケ谷 (149)_R
近付こうとすると、さささっと動いて
石川台・桐ケ谷 (150)_R
お隠れになり
石川台・桐ケ谷 (151)_R
更に近付くと、玄関の前にどっしり座ってます。
石川台・桐ケ谷 (171)_R
猫は自分んちがやっぱり安心で、のうのうとしてられます。

この街は、地名は「東雪谷」(ひがしゆきがや)
いい地名です、憧れたりするのは私だけでしょうか。
石川台・桐ケ谷 (144)_R

東急池上線 石川台希望ヶ丘商店街(1)

先週末、「昭和のくらし博物館」スタッフの方に教えていただいた、
昭和の香りが残るという石川台にきました。
石川台・桐ケ谷 (90)_R
希望ヶ丘商店街?どこかドラマに登場したような、、、

石川台・桐ケ谷 (97)_R
豆乳、これはさっぱりして、体がきれいになるみたい
石川台・桐ケ谷 (104)_R
お揚げをいただきました。
石川台・桐ケ谷 (100)_R

私:「いや~この揚げ物口の中でのふわっと感がたまらないですね、
  おいしいです」
ご主人:「これ、いまあげたとこだし、ゴマ油を使ってるんだ」
私:「そうですが、揚げたてってこんなに美味しいものなんですね。
   このお店は長くやってらっしゃるのですか?」
ご主人:「そう、世間並みにはね」
ご主人:「豆腐屋は、体がきつくて商売として難しいんだな、
     昔はたくさんあったけど、朝早いし、重労働だし、やめていく店が多くて
     今、東京では300軒位になったんだ」
私:「確かにいろんな街をあるいてますけど、
   お豆腐屋さんが見つからない街があったりしますね」
おいしいものをいただき、ごちそうさまと言って、また歩き始めました。

豆腐屋さんの次はお肉屋さんに決まってます。
石川台・桐ケ谷 (120)_R
お約束のメンチカツそれも和牛メンチを
石川台・桐ケ谷 (129)_R
頂きました。

一人旅なので自分の姿は撮れませんでしたが、
石川台・桐ケ谷 (121)_R
お店の前にあったベンチにおっちゃんこしてメンチをほおばり、
石川台・桐ケ谷 (122)_R
向かいには、こんなお店が
石川台・桐ケ谷 (123)_R
ちょっと、時間が止まっているかもしれません。
石川台・桐ケ谷 (113)_R

東急池上線 昭和のくらし博物館

確か新聞で紹介されていて知ったのだと思います、「昭和のくらし博物館」

蒲田から東急池上線に乗って久が原駅を降りて、蒲田駅方面に戻ると
下丸子 (97)_R
住宅街の一角の民家なので、博物館を探すのに一苦労
下丸子 (108)_R
その博物館には門がありました。

玄関先、ああこの「昭和のくらし博物館は、復元されたのではなく、
下丸子 (120)_R
昭和26年に公庫を利用して建てられたものが残されているのです。
下丸子 (127)_R
このゴミ置き場がまず凄い、戦前?

お約束ですね
下丸子 (109)_R
井戸は、「TB特製」ってよくわかりません。ブランド?サンタイガーなら知ってます。
下丸子 (111)_R

いざ、室内へ、、、、残念ですが撮影は出来ないそうです。そこのあったもの
家族での食事風景、館長の小泉和子さんのお父さんに書斎など
家具の中まで当時の物が置かれているのです。すごいことです。
下丸子 (115)_R
下丸子 (119)_R
室内の撮影は出来ませんでしたが、この博物館のはがきが売られておりまして
流しですねえ、まだガスはなかった時代です。水道だって途中からでしょうか。
DSC_1021_R.jpg
ちゃぶ台に、家族で食卓を囲む、、、、そのままでした
DSC_1020_R.jpg

そして、この家に住んでいた小泉家の4女「小泉知代」さんは
DSC_1026_R.jpg
家族の中で一番の芸術家で、ろうけつ染めの作家さんだったそうです。
北国育ちの私に、この寂しげな色使いに、何か心を揺さぶられたのです。

はがきを選んでいる時、博物館の女性スタッフと下町談義で盛り上がり、
彼女から「レトロな街を歩くのが好きでしたら、この沿線の石川台が
結構懐かしい系で、ドラマの撮影で使われたり、人気みたいですよ」
というアドバイスを受け、
先日石川台にある「希望ヶ丘商店街」を訪ねたのです。
商店街名からレトロでしょう、明日に続きます。

PS 昭和のくらし博物館、おススメです。家庭の医療器具すごいし。
   住所:東京都大田区南久が原2-26-19

富士屋ホテル 破天荒な夢を見て(5)

最後は季節柄、華やかなばかりではない、寂しげな風景も
紹介出来るかもしれません。

本館の裏には広い庭園が広がります。滝ですね。
富士屋ホテル (799)_R
子供達が富士屋ホテル20個限定の恋の餌を一生懸命あげると
富士屋ホテル (887)_R
鯉は陸に上がらんとしてます、ワニみたいです。
富士屋ホテル (885)_R
水車小屋なんて、簡単に作れそう?でも、妥協が一切ないので、
富士屋ホテル (792)_R
そこにある風景として、自然に受け入れたりします。

丘の上には、何があるのでしょうか
富士屋ホテル (686)_R
そこに、あったもの、ちょっぴり廃墟系のようでいて
富士屋ホテル (677)_R
富士屋ホテル (732)_R
大きなプールが、ひっそりシーズンを待っていました。
富士屋ホテル (718)_R
なんだか、私はこの風景が気に入ってしまって
富士屋ホテル (720)_R
こんな洋風ガーデニングを潜って
富士屋ホテル (750)_R
温室、たぶん普通に中に入れるものがあるのに驚き
富士屋ホテル (753)_R
まだ知らなかった新たな美しい建物の存在(カスケードルーム)を知って
富士屋ホテル (755)_R
どうしてかそこの地下にあったトンネルの先にある
富士屋ホテル (764)_R
華やかだけじゃない、従業員の皆様のお仕事場を、見てみたくなったのでした。

いかがだったでしょうか、富士屋ホテル。
超一流というより、日本国内に欧米の一流ホテルに負けないような
リゾートホテルを、この箱根に作り、が帰国人専用のホテルとしようと
作られたわけです、、、、
プール、ゴルフ場、バスの経営など、初めての事ばかり
このホテルでは行われたので、明治より今日まで
訪れる人の眼と、心をおもてなしし続けてくれているんでしょうね。
戦後に進駐軍に接収されたり、買収を受け、経営が山口家から離れたり
いろんなことがあったのに、こうして残され、生かされていることに
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ご訪問下さった皆さん、いつもありがとうございます。
またぜひ遊びにいらしてくださいね。
kozoh55

富士屋ホテル 破天荒な夢を見て(4)

西洋館に泊まった翌朝、朝食を菊華荘で頂きました。
明治28年、御用邸として作られ、戦後、富士屋ホテルに払い下げられた建物、
富士屋ホテル (446)_R
窓から写し出される和庭園が魅力。
富士屋ホテル (817)_R
丁寧な料理を、たくさんいただき、お味噌汁をおかわり。
富士屋ホテル (807)_R
建物を見ていて飽きません。
富士屋ホテル (816)_R
菊の御紋が歴史を物語ります。
富士屋ホテル (815)_R

和庭園を見に行こうと、通路に出ると
富士屋ホテル (839)2_R
花嫁さんが記念撮影に来ていました

庭園では家族が鯉に餌をあげていました。私もあげたい、
富士屋ホテル (819)_R
ツツジが鮮やかで、はっとしました
富士屋ホテル (451)_R
庭園の丘から、菊華荘
富士屋ホテル (470)_R