下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

時のかけら 2014 プロローグ

まだ紹介出来ていない場所を、ちょっとご紹介。

越中島
越中島界隈 (263)_R
越中島界隈 (377)_R
三田 慶応大学
三田 (124)_R
三田 (131)_R
四ツ木
立石・四ツ木 (379)_R
立石・四ツ木 (427)_R
土浦
土浦 (496)_R
土浦 (554)_R
高幡不動
高幡不動 (272)_R
高幡不動 (265)_R
四谷
四谷 (62)_R
名物に美味いものあり
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町屋
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町屋1000 (1059)_R


いかがだったでしょうか、2013年を簡単に振り返り
さらに、2014年、予告編などアップしてしましました!!
サービス満点ではないでしょうか。(笑)

気が付くと、もう今年はあと二日です。
おかげさまで来月にはブログ開設2周年を迎えます。
5周年、10周年、30周年と、楽しみながら
続けていきたいものです。
ご訪問下さった皆様、拍手やコメント下さった皆様、
本当にありがとうございます。
励みにさせていただきました。
また、皆さんの記事から頂いた情報で、
尾久、秩父、江古田、小石川、本郷など、新しい街との出会いも
楽しむことが出来ました。重ねてお礼申し上げます。
来年も「下町」を中心にした街歩きブログ、
「小僧の下町風来坊~温故都心~」を続けてまいりますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

皆様やご家族が健やかな新年を迎えれることを
心よりお祈りいたしまして、今年最後の
ご挨拶とさせていただきます。

2013年12月30日

           kozoh55


時のかけら 2013 おもひで綴り

今年を締めくくりの記事は、「時のかけら」
まずは、記事になった場所の未公開や再訪した写真を少しだけ。

月島
月島・築地 (16)_R
築地
月島・築地 (100)_R
月島・築地 (111)_R
うちのにゃおちゃんと似てました。

御茶ノ水
秋葉原・神田 (40)_R
秋葉原・神田 (67)_R
平井
立石・四ツ木 (14)_R
立石・四ツ木 (25)_R
立石近く
立石・四ツ木 (132)_R
この中に地名の由来となった「立石」があります。
立石・四ツ木 (200)_R
立石・四ツ木 (241)_R
銀座
銀座・有楽町 (27)_R
同じく銀座、ここはどこ?
銀座・有楽町 (61)_R
今年、はまりました「尾久」
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「尾久珈琲亭」
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尾久100 (1)_R

「2014年予告編」に続きます。







田端 銀座の中の銀座に見とれて(5)

田端銀座商店街、日曜日にお邪魔したので、
お休みのお店が目立ったのですが、
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それでも、たくさんたくさん楽しめました。
「和菓子司 いづみや」
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旅人である私達をいきなり大歓迎してくれて
いも羊羹の試食や、お茶まで出してくださった奥様。
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ごち
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そう
田端 (435)_R
さま

お土産にしっかりと「芋ようかん」も頂きましたとも。

田端銀座商店街はここで終わらないのが凄い処。
うん?何々?NHKの取材を受けた「田端銀座の美味しいパン屋さん」?
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もやもやさまーず?の絵? 奥で何か作ってる。
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出てきたご主人の甲高い声と、
「美味しいパンだよ」の言葉に、私は、
「メロンパン一つ」子供のように
ykokotako氏は
「ブルーベリーパンくらはい」
こんなのですから、美味しくないわけがない
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生地がしっとりとしていて
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ykokotako氏のこれには私もビックリ、
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ケーキでしょう、これは。

食べ過ぎた「田端銀座商店街」
訪れる人達に「風情」を見せてくれることも忘れません。
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何か玄関先の作りが凝っていて
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営業していてほしい、スミレは奥様の名前かな。
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いかがだったでしょうか、田端、そして「田端銀座商店街」
GINZA OF GINZA 銀座の中の銀座。
日本で最初に「〇〇銀座」と名乗ったのは「戸越銀座」だと聞いてます。
砂町銀座、谷中銀座、そしてこの田端銀座、
銀座と名乗ることの意味、名乗った者のプライド、
そして本家としての「銀座」の誇り、
そこで働く商売人たちの心意気を感じました、どの街でも。

「また銀座にも行かなくちゃ」
そう呟いてこの旅を終えました。
ご訪問下さった皆様、ありがとうございます。
またぜひ、このkozoh55ブログに遊びにいらしてください。

kozoh55


田端 銀座の中の銀座に見とれて(4)

田端という街を訪れようと思ったのは、
「田端銀座商店街」があり、それも田端駅より
駒込駅よりにあることを知ってからです。
「動坂」に戻り、通りすぎたら
何時頃作られたのか、「都営本駒込アパート」
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さびれモードに入った建物
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その路地の中に入ると、
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「田端銀座商店街」
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迎えてくれたのが「お惣菜の彦坂」さん
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この看板、迫力ありすぎ
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ご主人のお言葉「俺は味に妥協しない、本物しか使わない」
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「他が使ってるのとは油から違う、うちはラード使ってるから」
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そういわれると、このメンチは胃腸に負担が少ない
そんなふうな気持ちになります。

建物の一棟一棟が印象深い
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右の入口は「小人用」かしら
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小窓がたくさんの「不思議」中はどうな風かな。
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この姿になるまで、私の年齢じゃ足りないでしょう。
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田端 銀座の中の銀座に見とれて(3)

田端駅から、少し南に坂を下りると、
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「りゅうのすけくん商店街」
芥川龍之介さんがこの地に暮らしていたのですね。
肝心の商店街はどこに?
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芥川龍之介がこの地に住んでいた頃、「田端文士村」と呼ばれていたそうで、
でも、36歳の若さで芥川龍之介が死去すると、文士達の多くが馬込に
引っ越したとの事。そういえば大森から馬込にかけては
たくさんの文人が住んでたのを記事にしたこと、思い出しました。

切り通しの道から、少し入ると「田端八幡神社」
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奥州征伐を終え、この地に立ち寄った源頼朝が、
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「鎌倉八幡宮」を勧請して作られたといわれる、由緒ある神社。
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私ですね、「小僧さん」。嬉しくなりました。
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お隣に隣接「白龍山寿命院東覚寺」
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凄い迫力
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赤紙仁王像
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江戸時代、疫病を鎮めるためにこの仁王像がつくられたが、
いつしか、赤紙を自分の患部と同じ場所に貼り
病気身代わりと心身安穏を願ったそうです。
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確かに阿吽像はありましたが、、、、見えない。
いまも信仰厚いのですね。

二宮金次郎像。残っていてくれて嬉しい。
小田原には生家がありましたね。
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なんとなく撮ったのですが、自分が撮った?の?
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江戸時代からこの田端の信仰の中心。
明治以前はこの田端神社と東覚寺は一つだったようです。

次回はついに!? 田端銀座をご紹介

田端 銀座の中の銀座に見とれて(2)

今日の目的地は、尾久ではなく「田端」でした。
おぐぎんざ商店街から、山手線の内側に戻って、ラーメン屋探し。

もう田端ではなく、住所は千駄木でしたが、
今日初めて頂く「神名備(かむなび)」さん。
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店内に入ると、ご夫婦でしょうか、忙しそうにされていて、
約15分位して、出てきた「醤油ラーメン大盛」
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大盛りの価格で1140円。
最初はいい値段かな、と思ったけど
チャーシューをまずいただいてビックリ。
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見た目よりずっととろける感があり柔らかい、その上、大きい。
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そして、黄色い堅めの麺と焦がしニンニクが香ばしい
スープが一体となって、私の舌に飛び込んできて
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気が付くと、この状態です。
yokotako氏は一瞬にしてスープ飲み干してました。
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ご夫婦で丁寧に作っているこのラーメンは、
このお値段でも儲からないような気がしました。
麺・スープ・具どれも妥協がないのです。

うーん、病みつきになりそう。
都内にいらっしゃることが出来る方、
おススメです。


田端 銀座の中の銀座に見とれて(1)

JR山手線田端駅を降りて、「ああ、この駅を降りるのは初めてだ」
と気が付いたのです。
地味系の駅、例えばうぐいす谷などちゃんと降りたことあります。

北口を出て、ほう、「田端ふれあい橋」ですか。
ふれあいは私も求めてます。
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ほう、銅像が、、何の謂れだったか調べてません。
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ほう、田端の鳩ですね。ふれあい橋のお客様ですね!
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街の中心は駅の南側のようですが、まずは北へ
いきなり大きな建物発見。
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「東京都北区立滝野川第四小学校」
以前紹介した「滝野川」という地名がこの街の小学校にまで
使われてます、滝野川地区はめちゃ広かったんですね。
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のどかです。
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公園のそばにあった小さな神社は
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「東灌森稲荷神社」
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江戸の基礎を作られた太田道灌が作ったとも言われているようです。

もっと北へ、しみじみしていると
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しみじみ系の建物が現れ
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「えっ!」と私、どこかで見た商店街の旗、、、
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うーん
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そう、そうなんです、田端は先日紹介した「尾久」と
繋がっているのですね。
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田端も結構面白い~



尾久 この淡々とした眺め(4)

気が付くと、また、商店街の入り口。
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同じ銀座でも「小台銀座」
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うーん、もう女子医大通りは通りすぎてしまったみたい。
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夕暮れのさびしさを感じて
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何とか辿り着いた女子医大通り
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何も見つけることは出来ませんでした。
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帰らなきゃ、もう。
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いかがだったでしょうか、尾久の街。
ネットなどで調べると、昭和11年に発生した、
「阿部定事件」の舞台である「待合」があったことが
語られています。
熊野前駅から、始まる「ハッピーモール熊野前」商店街は、
[おぐ銀座商店街」を経て、田端駅近くまで続くのです。
約1kmという長い道程。
しみじみぶらりするなら、こんなにオススメな所は
そう多くはありません。

ご訪問下さった皆さん、尾久の記事を読んでくださって
ありがとうございます。
まだこの記事は、「描きかけ」です。
また訪れて紹介するのでしょうけど、
どなたか訪れて下さって記事にしてくださると
嬉しいものです。
そうして違った「尾久」に出会えることが出来れば、
本望です、ブログ冥利です。

またぜひあそびにいらしてください。

kozoh55

尾久 この淡々とした眺め(3)

そうそう、ここは「ハッピーモール熊野前商店街」でした。
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ここも
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ここもね
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ここだって
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もちろんここも
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その商店街の終わりには直線でつながって、
「おぐぎんざ商店街」
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もうこの辺りから「おく?おぐ?どちら」
などと考え始めた私です。
見えますか、下の写真の壁に「劇場」の文字。
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「セントラル劇場」は
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静かに静かに眠りについてました。
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繁盛してます、雨の中で、ご主人の景気の良い声
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この喫茶店もお客様がたーくさん入ってました。
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おく銀座商店街は、田端まで続くのです。

ここから私は、商店街から外れて、色町の残照探しに
足を踏み入れてみたのです。
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静かな通りです。





尾久 この淡々とした眺め(2)

昭和元年開業、「むさしのあられ 山田商店」
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どんよりとした、雨空だからこそ、嬉し
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ちょっぴりの塩が嬉しい「白糸」と「万月」
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鶏専門店に出会います、「とりまん」さん
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こんなの見たら、食べるしかないでしょう。
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ザ・から揚げ揚げたてショー。「ホクホク、フガフガ」
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私「ご主人、ちょっと教えてほしいのですけど」
ご主人「何?」
私「このあたりが昔、遊郭・料亭など色街だったと聞いたんですけど」
ご主人「ああ、ぼくがまだ小さい頃まではあったかもなあ、記憶には残っているけど」
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ご主人「この通りに並行した何本目かの通りに女子医大と
    その通りがあって、その先にあったんだよ」
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ご主人「でも、少しずつ廃業していって、今はもう何も残ってないと思うなあ」
私:「そうですかあ、残念ですね、名残りを見つけたくて来てみたのです」

ご主人、ありがとうございます。探してみますね。