下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

阿佐ヶ谷 この街の奥行きをまだ知らない(3)

スターロード商店街のの脇道を歩いていたら、駅から離れた方に
並行して商店街があることに気が付いたのです。
「北仲通り商栄会」
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美しい姿の看板建築が突然姿を現し、
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美しさに惚れるのね。
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現役のお米屋さん。
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おっつ、この建物は、古い?新しい?
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何屋さんですか?教えてください。
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「猫の隠れ処(かくれが)」骨董品店かな?
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そうでもないみたいです。窓の先には作家さんの作品たちが展示されて、
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そうそう、この家具、何かに似てませんか?

自称店長代理の男性が、「開けててみていいですよ」と
私にこの鍵を渡してくれたんです。
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私:「これって銭湯の下駄箱?」「そうですね」
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平たい鍵を指して、「ポチッ」と押すと見事に開きましたね。
脱出ゲームみたい。
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上の方にあるガラスケースには、招き猫三昧。
招き猫発祥の地は世田谷にある「豪徳寺」、
後ろにそびえる招き猫はその豪徳寺の歴史あり、
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これはっつ!招き猫らしくないけど~、そう明治大正の時代の物だそうです。
猫ちゃんの顔、リアルすぎるし。これは欲しかったな~
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この眠りネコちゃんも古いそうです。
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他にも見惚れるような家具・道具ばかり、
タイルの袖、見えますか~
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「早大」と書かれている活版印刷、阿佐ヶ谷10 (111)_R
こんな文字を起こしていたそうです。
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大阪卸売市場の何かの記念に作成した秤。
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で、めんこいめんこいあなたはどなたでしょうか?
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三毛猫の「千田みすゞ」さん、このお店の店主さん。
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店長代理さん、貴重なものばかり見せて下さりありがとう。
ちょっぴり不揃いの「おはじき」を頂いてお店を出たのです。
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猫の隠れ処 東京都杉並区阿佐谷北2-10-10

阿佐ヶ谷 この街の奥行きをまだ知らない(2)

阿佐ヶ谷の駅から、四方八方に商店街が伸びていきます。
その一つ、「スターロード商店街」
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一つ感じたこと、「お洒落なお店があるぞ」
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地下にシアターがあり昭和30年代の映画を、、
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これだって、ねーっつ、
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これも私にはお洒落。
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もう一つ感じたこと、「猫が主人公かもしれない」
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「主人公?当たり前だニャ」
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更に感じたのは、「学生のたまり場になりそう」
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何だろう、好きになっちゃって。うん十年前の学生時代に、
にこの街に住んでいたら、こんな場所で楽しんでいたんだよ、たぶん。
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そして、偶然ここより一世代前風の商店街を見つけるのです。

阿佐ヶ谷 この街の奥行きをまだ知らない(1)

お晩です。今回、何故阿佐ヶ谷の紹介をするのか、
こんな話があったからです。

半年前、銀座を紹介した際、いくつもの歴史に満ちた
喫茶店に出会いました。
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トリコロール本店、昭和11年創業。

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カフェパウリスタ。「銀ブラ」という言葉は、銀座をぶらりするからではなく、
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この店でブラジルコーヒーを飲むことから始まったそうです。
明治44年創業。

ネットで調べ物をしていたら、この「カフェバウリスタ」が現存する
日本最古の喫茶店だということがわかりました。
じゃあ本当の日本最古の喫茶店は?と調べているうちに、
台東区上野に明治21年に創業した「可否茶館」に突き当り、
「可否茶館」は後に阿佐ヶ谷に移転していたのです。
当時の姿の欠片でも探したいと思い、中央線に乗ったのです。

駅を降りて、いきなり姿を見せる商店街「阿佐ヶ谷パールセンター」
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その隣にひっそりと佇んでいた、「ゴールド街」
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そう、この商店街に数年前まで「可否茶館」はあったようです。
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いきなりシャッター、
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またシャッター。
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また、、、、そう、この商店街はJRの事情によりテナントに退転が

もとめられ反対運動が始まり、
そしてその中で「可否茶館」はこの地を去ったのです。
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このロゴに惚れました。
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残念ながら、「可否茶館」がどのシャッターの奥にあったかを
探し当てることは出来ませんでした。

次回は阿佐ヶ谷という町の驚くべき多様性をお伝えしてきます。

金町 昭和な商店街と祭ばやし(3)

商店街を歩く人たちは祭りモード。
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「いなせな姿」い~いですね~
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金町駅北口から徒歩10分ほどの所に、
この町内の総氏神「葛西神社」はありました。
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創建が元暦2年(1185年)平安時代。
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江戸・東京をぶらりしていると感じるのは、
この街は太田道灌が造り、そして徳川家康が繁栄させた、ということ。
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そうなんです、大阪・京都に比べると歴史が浅いことが多い。
なので「葛西神社」は武蔵の国の「老舗中の老舗」なんですね~
さらに、この碑文に書かれていることば「葛西ばやし碑」
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そう、全国の祭囃子発祥の地だそうですよ、ピーピーヒャララーですよ。

だから家族の健康を祈るのでしょうね。
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こんな強い狛犬達に平安時代から守られているのだから。
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最後はちゃんと夜店で、、
私の故郷は夏の太子祭と秋祭りに10件くらい出店が出るのです。
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わたあめ、金魚すくい、パチンコ、スマートボール、
型抜き、へび女の見世物小屋(実は中をしらない)
この日の為に平凡な日々があったのですね。
母さんがいつになく優しくて、パチンコが終わらない私を
ずっと待っていてくれました。

いかがだったでしょうか、葛西臨海公園、じゃなくて、金町。
普通に住宅街でもあり、でも街は平安の世から存在し、
今もその頃の子孫の方もいて、新しい住民と一緒にくらして、
住みやすそうな街ですね。

ご訪問下さった皆さん、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてくださいね。
kozoh55

金町 昭和な商店街と祭ばやし(2)

そもそも、なぜ金町に行こうと思ったかというと、
以前、亀有に行く途中で金町線で行ったのですが、
金町駅ホームから、北口にこんな風景を見たからです。
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おっと、お話は「末広商店街」に戻ります。もう1店。
このどちらからも読めそうな看板「協実食鳥」
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買い物中の奥さんの声が聞こえてくる。
「ここのはね~肉が大きいのよ」
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もう、いただくしかないですよ。「一本ちょうだい!」
おじさんは黙々と焼く。
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ほんっとに大きいお肉、青砥・金町 (163)_R
そして間に挟まる皮のまた柔らかい事ったら。
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常連さんの会話を聞いていると、このおじさんは、
「おいちゃん」と呼ばれているらしい。
私「美味しかった、ありがとう。それにしても古い建物ですね」
おいちゃん「そうだなあ、100年経つってよ、おれがここで商売始めて
40年だけどな」
「ひゃー、そんなにですか~」
恐るべき商店街がこの金町にはある。

普通というか、「下町」な南口駅前。
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その周辺には、ちょっと寂れかかった雰囲気や
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マルエツなどと共存しながら、昔ながらのオーラを出しつつ
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励んでいるお店達も一杯、最近大学が誘致されたそうな。
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はいはい、君たちも励んでますね、認めますって。
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勝手に紹介します、「協実食鳥」さん。
住所:東京都葛飾区金町4-24-12
伊勢屋さんのすぐ近くです。

おー、次は最後のお話、「葛西神社」かな。
伊勢屋さんの奥様とのお約束ですね~

金町 昭和な商店街と祭ばやし(1)

「今日は、帝釈天に近い青砥と金町の下町情緒を見に行こう」
そう決めて、京成電車にのって「青砥」に到着。
早々にこの素晴らしき建物を見てうっとりしたのだけど、
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青砥には案外古い建物は残ってなくて、すぐに
「では金町に直行!」という事になったのです。
普通の人はまた電車に乗って行くのですが、
「じゃあ、歩こう」約40分の道のりに繰り出したのです。

中川を渡ったりして、
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江戸時代の「柴又帝釈天の道標」やお地蔵さんを見つけ、
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気が付くと、金町駅はもうすぐの所で、
なんとなく商店街、「末広商店街」を発見。
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「かなり、地味?」とか言いながら、まずはこの店に、
「米印 伊勢屋」さん。
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大福が平たくて、何かすごく庶民な感じがして
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これです。
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これですよ。
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頂きました、大福、腰掛ける場所があり、
お茶まで出してくれて、感激、お茶美味しい。
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売れているお店はこうなんです、柔らかいのです。
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ずっとこのお店の「看板レディー」な奥様は、
ご主人が愛情込めて手作りした和菓子をこの笑顔とセットで
住んでいる人や私のような旅の者に提供して下さっているのです。

奥様:「今日は葛西神社のお祭りをやっているから、見に行ったらいいよ」
私:「情報ありがとうございます、見に行ってみますね」

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おみやげで頂きました「みたらしだんご」
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家族でパクパク頂いちゃいました~

勝手にご紹介です、「伊勢屋」さん。
東京都葛飾区金町4丁目23番地 金町駅出て南口亀有方面歩き金町湯を左折
金町湯はこれです。ここも魅力的。
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旧千葉街道 古き時代のかけら(2)

河内屋さんから海に向かって歩くと、
すぐお隣のお店からして迫力が違う。
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こんな街並み。
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宮間陶器さん
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何でも揃う「百貨」な商店街だったでしょう。
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そして現れた、たぶん「漁師の大きな家」
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凄い迫力というか、圧力というか、威圧されます。
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前からの姿は
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美しくて、美しくて、意匠に惚れます。
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そんな建物ばっかりなんです、贅沢なことに。
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蔵さんこんにちは、今日は少しお疲れかい?
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ちいさなちいさなデザインや
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家紋を見入ってしまう日々です。
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旧千葉街道、新検見川駅界隈、いかがだったでしょうか。
旧街道にはそれにふさわしい建物が、まだまだ残っているのですね。
全て先輩に教わった情報から、この旅は始まったのです。
これからも、人から伺った情報を大切にしながら
街歩きを続けて行きます。

招き猫が、招き猫が、可愛くて可愛くて、
ご訪問下さった皆さん、ありがとうございます。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55

旧千葉街道 古き時代のかけら(1)

検見川通信所を離れて、幕張方面にトコトコ歩き始めた。
静かな、どこにもありそうな風景が続く。
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20分も歩いただろうか、和菓子屋さんを発見。
この日の大事な目的地、「河内屋」さん。
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創業は江戸時代、享和年間、19世紀初頭。
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建物はそれほど古くはなく、昭和だと思われるもの。
店内に入る。私:「こんにちは、おススメはどのお菓子ですか?」
女性二人がお店番。「うちのおススメは検見川最中と一栗よ」
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歴代の職人さんが「栗」という素材を大切にして、
気付きあげたこの姿、味を200年継承し続けてきたのです。
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「うちの和菓子はこうよ」食べながら、バランスの良い甘さを
家に持ち帰って家族と味わったのです。

「この辺りはねえ、海に向かう道と、幕張方面に向かう道が、
旧千葉街道と言って、沢山のお店があって、漁師町で大きな
建物もいっぱいあったのよ。今はもう減っちゃったね」
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「漁師の家が残っているから、見てきたらいいよ」
私「ありがとうございます」
その場で頂いた「夏」の菓子は、爽やかな味でした。
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「水大福」だったかしら。

旧千葉街道 検見川送信所(2)

たぶん、こちらからの姿が正面。
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戦後も無線送信所として使われ、昭和54年業務終了。
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見えづらいが、この階段を上がったところが玄関だったのでは、、、
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検見川送信所はその後、千葉市が学校用地として取得。
その後保存を訴える会が設立され、
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現千葉市長も視察に来て、歴史的価値もとめたとか、、
詳しくはしらない。

旧千葉街道 検見川送信所(1)

まだ、真夏の最中、会社の先輩から、
「千葉市の検見川の方に旧千葉街道という古い道があって、
そこには漁師さんがいて、古い家が残っているんだよ」
という話を聞き、「歩いてみよう」と旅だったのです。

JR新検見川駅、この日も暑かった。
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ごく普通の駅前の風景。
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子供達がたくさんいる住宅街でしょう。
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でも、駅を降りてほんの5分。
住宅街のど真ん中に、全く違和感の漂う建物が現れる。
会社の先輩がもう一言、「そう、検見川の電波送信所も駅近くにあって、そこも古いよ」
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唐突感が激しくて、「なんだこれは」
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たぶん、正式名称「検見川送信所」。逓信省、日本電信電話公社の施設。
大正15年4月開局、日本初の短波放送を行い、総理大臣の演説など海外に放送。
戦時中は南方の占領地との連絡の拠点だった。

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「逓信建築」の代表的な姿だそうだ、正面からも見てほしい。
まだこの場所は旧千葉街道ではない。