下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

西新井大師界隈 栄枯盛衰あり

これらの伝統的なお土産屋さん以外も、あらゆる豆を売っている「まめや」さんや、時計屋さんなんだけど、妙にこっているというか、こだわっているというか、不思議な時計屋さん。そして、50年位前からずっと同じ売り方を続けているせんべい屋さんなど、たくさん、たくさん見て楽しめました。この町は、商売人の心意気次第でまだまだ繁盛可能な、現役の繁盛門前町なんですね。

うらやましいくらいに歴史を感じさせてくれるせんべいやさん。ビンに入れる売り方など、亀戸や谷中でも見かけたけど、かっこいいです。でも、四人いた従業員は、みんなひまそうでやる気がみえませんでした。勿体ないです。
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このお店のように、せんべいとだるまを一緒に売っているお店が多かったですね。縁起物なのでおみやげにおすすめなんでしょうね。このお店はおじいさんが真ん中にどんと腰掛けて、店番?見張り?をしてました。
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店の上部に「ロゴ」でしょうか。すごいデザインのだるまがあって感動しました。これは誰じゃい?
今にも口が動き出しそうだね。
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これは時計屋さんのようです。お店の入り口は半分シャッターが閉まっていたけど、営業をしているようでした。
時計がたくさんありました。3千円位で、なんだかおしゃれな不思議時計がたくさん。まるでこれはおとぎの国のようでした。ひとつ買って持ってみたかったけど、店主の方に声をかける勇気がでないで、お店を出てしまいました。心残り、心残り。
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庶民の町として栄えた 西新井大師

江戸時代からの建物、山門をくぐると、お土産物屋さんが軒を連ねる。CIMG2558_R.jpg
中田屋、清水屋は江戸時代から草だんごで競い合い、今日もおばちゃんたちの大きな声で、町を活気づけてくれる。中田屋さんの草だんごは試食でいただいて、さっぱりとしたあんこが、美味しかったですよ。
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すこし先を歩くと、せんべい屋さんが数件あり、奥の新しいそうなお店「たぐち埜」さんの中に入ると、目の前でご主人がせんべいを焼いていて、焼き立てのゴマせんべいをごちそうになった。出来たてほかほか、ゴマ醤油の香りが店中に広がって、香りだけでも嬉しい。味もよかったですよ。嬉しくて何枚かお土産を買いました。
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西新井大師 見どころ満載です

本堂の左側に立ち寄ると、弘法大師像、三匝堂(さざえ堂)、錦鯉がたくさん泳ぐ庭園、女性の厄除けに効果があるとされた女人堂など、たくさん、たくさんの史跡が参詣者の様々な日々の「苦難」の癒しを与えてくれます。とても紹介しきれないくらいです。CIMG2532_R.jpg
建物内部がさざえのように螺旋になって各層に上れば、もうそれですべての厄除けになるとい言われていたそうです、こういった形の建物は一時は江戸にたくさんあったようですが、今は唯一残っているのですね。うーん、中に入りたかったな。
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この庭園には、仏塔、橋や滝まですべてが揃っている。
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出世稲荷。うーん、会社では出世欲はないふりをしているが、やはり人の子、ご利益のありそうなこの神社にしっかり「出世」のお願いをしました。もうすぐ定期異動は近い。
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これが通称女人堂。この観音様は女性で厄除に効果があるとのもっぱらの評判。女性陣におすすめ。
ちなみに、観音様のおめしものは、おしゃれで上品でありました。
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西新井大師 本堂へ

門をくぐり境内に入ると、いきなり池があるではないか。家族連れで来ていて子供達が池で遊んでいたり、お年寄りも沢山の人たちが縁台に腰かけていたり、ここはすごく庶民的なお寺のようだ。
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本堂は巨大で新しく、浅草の浅草寺並み。この建物は昭和41年に火事で焼失して、46年に再建されたものなんだね。
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お賽銭を入れて、お参りをして、本堂の中を覗いてみたら、お坊さんの説教が始まるらしく、参拝に来た人たちがたくさん本堂の中で座ってお坊さんのありがたいお話が始まるのを待っていた。
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西新井大師 美しい八角のお堂

東武線に乗って西新井駅で下り、更に大師線にのって無人駅西新井大師駅に到着。右手には境内がもう目の前。
大師の手前に八角大師堂があり、これも大師を祀ってい作られたものとの事。
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中には大師様が祀られていた。この建物は新しいが、形の美しさに目を奪われた。
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周りをお地蔵さんと、小さな墓石がぐるっと囲んでいて、墓碑を見ると、その多くが江戸時代の年号が記されていた。
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西新井大師 庶民の味方

今日は足立区にある西新井大師に初訪。弘法大師、空海が立ち寄ったことから開かれたと伝えられるお寺。まずはその前に恒例のラメーン屋を探した。西新井の一つ東京寄りの駅、梅島で見つけた、担担麺と餃子の専門店「ふうりゅう」店構えを見た時は、古臭いありふれた昔ながらのラーメン屋かなあと思ったけど、出てきたものは、本物だった。
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店内に入ると、カウンターのみで10人位しか座れないコンパクトな作りで、地元の人たちでほぼ満席。担担麺の大盛りを注文して、出てきたのがこれ。
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見た目、高級中華料理屋で出てくる上品な印象ではなく、野菜はほうれんそうだった。うん、これは美味しい、伊達に専門店をやってないですね。ゴマをたっぷり使ったスープ。味が染み込んだひき肉、(これをどんぶりの底からさらって食べるのが、担担麺の醍醐味)そして意外とマッチしていた太麺。辛すぎず、でも、ぴりりと舌に来るスープは止まらなくなりそうだった。湯島にも「阿吽」という変わった名前の担担麺専門店があるけど、どとらもおススメだね。阿吽はかなり辛いけどね。

新小岩 麺屋一燈 

友人TAKO氏から貰い受けた写真からもうワンシーン。去年行ったラーメン屋の中で、5本の指に入り、一番美味しかったかもしれない一杯。新小岩駅の北口を出て、数分歩くと、高層マンション街の合間にひっそりとこの店は立っていた。日曜日、行列、また行列。
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久々に1時間待って出会ったラーメンは、塩味だった。ひたすら食べやすい、胃腸に優しいスープに、その上には、これまた油のほとんどないチャーシューと鳥ささみの柔らかいお肉だった。どんな年齢にも受け入れられそうなこのラーメンは、後で、首都圏でランキング上位に名前が頻繁に出るような最近の名店だった。うーん、30分待ちくらいだったら、またすぐにでも食べに行きたいのだけど。それと、接客がすごく良かったよ。
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皇居周辺 将門塚

工事中だった大手門を出ると、そこには日本の高度経済成長を支えた一流企業達がそびえる、大手町・そして丸の内が現れる。その高層ビルの一角、三井物産本社の脇に、それはありました。
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平安時代に関東を統治し、自らを「新王」と称するほどになりますが、藤原秀郷などの朝廷からの征伐を受け、結局首を討たれてしまいます。その時の将門の無念さが京に送られた首が飛んでこの地に戻ってきたと言われてます。ここは当時神田明神が所在しており、将門怨念を鎮めるために高名なお坊さんが作ったようです。
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それにしても、ここで登場する藤原秀郷の子孫が奥州藤原家になったと言われてます。すごいつながりですね。
あ~あ、疲れたなと思い、万歩計を見てみたら、15000歩を数えてました。友人TAKO氏、写真ありがとう。次回下町?ツアーは10000歩で許してあげるよ。

皇居周辺 本丸・二の丸へ

今は何もない原っぱに、忠臣蔵で有名となった、江戸城松の廊下跡地が、看板だけで紹介されていた。ほとんどが更地になってしまい、公園然として変貌した江戸城跡、そして皇居。富士見櫓はその中でも江戸時代の面影をそのまま残している貴重な櫓だそうだ。そういえば、他のお城でも、天守閣はもうないが、当時の櫓は現存している場合が多い。
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4時には閉園になると聞き、あわてて歩みを早め、出口である大手門に向かう。その途中、三つの番所に出会う。
一つ目が大番所。与力・同心が警備に当たる。
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百人番所には同心100人が配備。これが一番大きい。
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そして同心番所。妙に古風な感じを強く感じられて、一番それらしかったかな。この3っつはすべて当時からの建物が残っているのです。
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皇居周辺 武道館を通り抜け

かの有名な武道館を横目に、北の丸公園に辿り着く。この辺りからマラソンランナー風の方が目に入りだす。
なぜ、ここにあるのかはわからないけど、吉田茂の像が、誰にも注目されずに、笑顔で立っていた。前から感じていたことだけど、この人は愛嬌があって、可愛いです。
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北の丸公園を過ぎて、北桔橋門から本丸に入ると、そこには江戸初期には51メートルの高さでそびえていた「天守閣」跡が堂々と座していた。
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天守閣土台に上り、周りを見渡す。天守閣があったころ、徳川家光は富士山や増上寺などすべてをわが眼前に捉えることが出来たのですね。贅沢極まりなし。
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