下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

会津・喜多方 蔵の都の物語

今回の記事も最終となります。
私にとっての一番の目的地は、この会津七日町通り界隈でした。
大正3年建築、「福西商店本店」見惚れましたーこの姿。
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蔵じゃない、いいんです、美しいなら。
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白木屋漆器店は、地元の老舗の中の老舗、でしょう。
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この看板建築、どうでしょう、芸術作品ですよ。
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さあ、喜多方再登場、江戸時代まで遡る、
おたづき通り登場、負けませんよ~会津には!
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蔵・蔵・蔵 
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言葉はいらないでしょう。
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いかがだってしょうか、会津・喜多方。
ご訪問くださったみなさん、ありがとうございます。
めちゃくちゃ魅力的な風景、そして建物。
まだ、触れただけなので、もう一度訪れるしかないですね。
もったいなくて。
また、ぜひいらしてくさだい。

会津・喜多方 鶴ヶ城 復活した郷土の誇り

やっぱり、ここは来ないと、何しに来たやら、ねえ。
会津市内から、10分も歩くと、見えてきました。
堀が想像していたよりずっと大きくて、見ごたえあります。
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見えてきました、お城。
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鶴ヶ城、戊辰戦争でほぼ壊滅状態となったそうです。
天守閣は昭和40年に再建されたものです
白がこのお城の一番の魅力なんですね。
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場内は資料館になっていて、入れるんですよ。
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いきなり内部の石垣が現れる、、そうこれは建設当時、桃山時代の姿そのまま。
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最上階からの眺めもよかったです。GWで人が多かったです。
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南走長屋。この風景もいいですねえ。
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市内が一望できるのです。七日町通りがみえるかなあ。
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そうそう、長屋の方からの姿が一番でしたよ。
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「八重の桜」ですよね。会津は桜の街でもあるさね。
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千利休の子供、小庵が作ったといわれる「茶室 鱗閣」
戊辰戦争後に解体される予定だったのを、会津の地元の方が
自宅用に残してそして、今日ここに戻れたのです。
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そうなんです、今年一番の桜でした。
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しだれ桜だって、大事に育てられて、美しく輝いてますよ。
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会津・喜多方 松平容保・保科正之は何処へ

東山温泉から会津若松市内に向かう途中の右手に、
「会津藩主 松平家墓所」が住宅地の奥にひっそりとありました。
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正直、この段差が意外と激しく、私はちょっと足を痛めて
しまいました。
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会津藩2代目藩主保科正経から9代目のあの「松平容保」公までの
お墓がこの地に散らばるように配置されているのです。
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大亀を台座にした「寿蔵碑」が会津松平家のお墓の特徴。
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多くの藩主がこのような形式で祀られている。
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そして、これが「松平容保」公のお墓。
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どこか、寂しげに見えるのは、私だけの見え方なのでしょうか。
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そういえば、ここには徳川秀忠の実の子、家光の実の弟、そして
徳川幕府300年の太平の世の礎を築いたと言われる
初代藩祖、保科正之のお墓がない、どこにあるのか。
それは、猪苗代湖の近くにある土津(はにつ)神社にあったのです。
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保科正之は、この地に立ち寄った際、自ら自身の死の際に
ここに葬るよう、部下、じゃなくて家臣に指示した。
創建当初は日光東照宮にもひけをとらない程のスケールだったが、
戊辰戦争にて焼失したとのことであった。残念。
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でも、そう保科正之公のように落ち着いた、威厳ある姿でした。
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保科正之公の墓所はそこからまた、歩くのです。
結構遠かったですね。
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葵の御紋が現れました、まさに、徳川の子孫、
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本物、当たり前です。
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歴代藩主の祀られ方は、ここにお手本があったのですね。
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十津神社近くには、やはりこの亀さんがいましたね。
可愛く見えてきます。
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次回は、鶴ヶ城と会津VS喜多方 蔵戦争です。

会津・喜多方 東山温泉 温故知新

早朝、初めて東山温泉の街並みを巡る。
この温泉は会津若松駅から歩いて行けるほど
会津の市内に近い場所にあり、バスの駅がありました。
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宿の方に「文化財になっている古い宿がありますよ」と教えられ
見つけた宿。
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「向瀧」は明治2年創業の老舗宿。
私のブログのお友達「ティオティコ」さんが泊まって
すごく良かったとコメント下さってます。
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どこから見ても
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この建物は気品があり、美しいですね。
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「温泉らしい」風景に心が和みます。
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この露天風呂は、言い伝えでは戊辰戦争に敗れ、怪我をした
新撰組副長の土方歳三が治療のために会津に来てこの湯に浸かったとの事です。
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温泉街には、こんな悲しき風景もあります。
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どうして屋根だけが残されているのか、
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瓦の家紋が、往時のい威厳に満ちた建物の姿を想像します。
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温泉にはこれがなきゃね。
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庭園の一部のような木がそこにはありまた。
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創建は729年といわれる羽黒山神社は、行基勧請したと
言われているそうです。1200段の階段が迫力ありです。
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東山温泉は、天平年間に行基が発見したといわれており、
長い歴史を持ちながら、「庄助の湯」のように自然を生かして
新しい温泉の楽しみを提供してくれる宿が
上手に共存しながら、逞しく生きている温泉街ですね。

会津・喜多方 東山温泉小原庄助さん縁の地で

民謡の「会津磐梯山」の中に登場する「小原庄助さん、なんで身上つぶした…」
所縁といわれる宿「庄助の宿 瀧の湯」は先代の「松島」から数えると
創業130年といわれる。この人が庄助さん?
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部屋の窓からはライトアップされた幻想的風景が、、能舞台。
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竹林が、美しい。
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川ではなく、瀧が建物を包んでいるのです。
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もう一度室内へ、優しいね。
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小原庄助さんが愛用したといわれる石風呂が残っているのです。
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もう一度瀧めぐり
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やさしい配慮が嬉しい「シャンプーバー」
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お腹にやさしい「会津のべこの乳」
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通路も、人にやさしい。
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