下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

三溪園 建物だけ、ここも見てね

他にもお気に入りがいっぱい。
京都:西方寺にあった「海岸門」の鬼瓦。
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苔むした灯篭。
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五世紀頃のお墓。なんとなくあるものが、凄い歴史を持っている。
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姿が美しかったので。
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うちのにゃおちゃんと姿も似ていたけど
人懐っこくて、甘えん坊な感じの猫ちゃん。
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庭師さんかな、嬉しそうに抱っこ。
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嬉しそうに猫ちゃんもついていく。「スタスタ」って。
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別な子ですよ。みな人懐っこそう。
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亀さんのチビ黒サンボ、わからない、古い話ですね。
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庭園の外のお土産物屋さん。
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おかみさんの熟練した技で、格闘5分。
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この形で、みんな笑ってました。私もゲラゲラ。
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本牧の商店街の入り口に、こんな建物も。
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横浜三溪園は今日でおしまいです。ご訪問下さったみなさん。
ありがとうございます。
ここは、関東大震災、戦災ともに被害を受け、
幾つかの今は無き建築物もあるものの、国の重要文化財建築12棟あり、
それぞれが年代が違っても、庭園としての調和を凄く感じました。
それは、庭園であり住居でのあったことが大きいのでしょう。
まだこの庭園の魅力はほとんど伝えきれてません。
ですので、また、次の機会を持ちたいと思います。

三溪園 合掌造との出逢い

「旧矢箆原(やのはら)家住宅」飛騨・白川郷から
この地に移築した建物は江戸後期のもの。
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そもそそ、私にとって初めての合掌造り。
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うまやには、馬が引いたそりが静かに置かれていました。
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こんな家は本当にあったのですね。
北海道の日本海側の街で見た「にしん御殿」「にしん番屋」に似てますよ。
当たり前ですね、同じころ作られたのだから。
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味噌蔵ですよ。
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二階も驚くほど広くて、どっしりしてます。
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「破れ傘刀舟(とうしゅう)」ですかねえ。
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天井、暗くてもちゃんと見えました。
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三溪園 おもてなしでしょうか

「春草蘆」織田信長の実弟、織田有楽斎の作と言われている。
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茶人のおもてなし。
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ここに一人座っていたら、何だか離れられなくなって。
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時を、時を贅沢に使って育てたお庭。
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ここで賓客を最初にお迎えしたそうです。
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高台に向かう途中で、うっそうとした姿が怖いくらいでした。
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松風閣。初代は関東大震災で失われた。この地からは、
東京湾の海が見渡せた、そう、絶景だったのです。
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今は、埋め立てられ、工業地帯と高速道路が映し出されます。
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ここにも廃墟が。どんな建物だったのか
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これが、儚い夢から覚めた後の姿ですか。
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「旧燈明寺三重塔」その姿が眩しくて。室町の世の京都 木津川から
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三溪園 御三家紀州と秀吉の愛したもの

内苑といわれる、当初は非公開の地を歩く。
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現れた「臨春閣」。紀州家の初代藩主頼宣公が建てた別荘は、
大正6年にこの地に移築。
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もう、このあたりの建物は、「美しい」という言葉を通り越してしまってます。
ここに原三溪と家族は住んでいたのです。どれほどの贅沢でしょう。
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「旧天瑞寺寿塔覆堂」は豊臣秀吉が母の長寿を祈って天正19年(1591年)に建てたもの。
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この門の彫刻の美しさときたら。
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そうですね、確かに豊臣家家紋がみえます。
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これも、秀吉が愛した「瓢箪文手水鉢」、読めませんね。
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そして、「亭樹」池の上に架かる橋の風情たるもの、
歴史上の説明などいらいない風です。
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三溪園 原三溪の見た夢は

kokoさんというブログのお友達が紹介している記事を読んで、
こんな歴史的建築物がぎっしり詰まった庭園が、
本当に存在するのかなって、、、
さくらの季節が始まる少し前、行ってみると本当に
ぎっしりと詰まった庭園が、横浜、本牧にありました。

自分らしい紹介の仕方を、考えながら記事を綴っていきます。
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生糸貿易で財をなした実業家「原三渓(富太郎)」さんが、祖父の
原善三郎さんの購入した5万3千坪の土地に明治35年頃から
造りはじめ、39年には一般公開したそうです。
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これが、平成になって再建された本宅、「鶴翔閣」
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そのすぐ脇で見つけた、当時のボイラー室跡。
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こういう建物こそが、好きで好きでしょうがないです。セクシーでしょう。
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この小さな建物は大正時代の2代目変電室。
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じゃあ、初代は?これです。「跡」ですけど。
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こんな姿だからこそ、残して下さって感謝。
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もちろんちゃんと蔵もあります。残念、非公開でした。
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