下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

東陽町 洲崎パラダイスの終焉

見つけられないものがある。探しても、探しても、

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確かに「洲崎パラダイス赤信号」という映画に、この場所は登場する
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「洲崎神社」
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本来この辺りは海岸線で、風光明媚な観光地だったらしい
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寛政3年に発生した高潮により、洲崎の地の方々はことごとく亡くなられた
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波除碑として幕府が建て、そして関東大震災、戦災によって
背も低くなり、碑文も解読不能に、

住宅街の一角の突然広い道路があるのは、不思議?
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「遊園」とは、、、
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料亭だろうか、ここは以前の「大門」そば
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渋い都営住宅の脇
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公園と一緒にそれはありました
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「洲崎遊郭」碑文
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住んでいる人だって、知る由もない
ただ、私ですら「洲崎」という今は無くなった地名が、
そこには彫られているのです

消えた地名 洲崎。パラダイスの地

私の下町ツアーは、そのほとんどが友人と一緒に訪ねる旅ですが、何回か一人で行ったものもあります。洲崎は赤線があった場所。東西線の某駅を降りて5分も歩くと、その街は姿を現しました。マンションが林立する、普通の都心の住宅街に姿をあちこちに残しています。CIMG1028_R_R.jpg
洲崎橋跡地、ここに橋があって、その先に映画にもなった洲崎パラダイスがあったのですね。CIMG1066_R.jpg
そのその少し脇を歩くと、その頃の飲み屋街の残照ともいえるような、古い長屋風の飲み屋街が息をひそめて佇んでました。今は東陽町というおしゃれな名前をいただいています。