下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

日本橋 二つのときわ橋と小伝馬町牢獄跡

日本橋界隈の紹介もこれが最後です。
東京駅のほんのすぐ近くに、ふたつのときわ橋があります。
現在の「常盤橋」。江戸城大手門から浅草に行く道に
造られたという。現在も車が通行している。
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そのすぐ脇にある、「常磐橋」(読みは一緒で字が違う)は、明治時代に作られ
しかし、幅の狭さから先程の「常盤橋」に取って代わられ
人専用の橋として残されていたが、去年の大震災で被害を受け、
今も補修が続いている。
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痛々しい姿。
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その「常磐橋」の脇には、
明治時代ね経済界の立役者「渋沢栄一」の像が静かに立っていた。
日本で最初の銀行「第一国立銀行」を日本橋で作り、
その後、500もの現在の日本を代表する企業創設に
関わった方。なぜか、自身の財閥を作らなかった方。
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そして、最後に来たのが、この場所、小伝馬町。
多分、あるだろうと思って、町をさまよう事30分。
小伝馬町駅のすぐ近くにある「十思(じっし)公園」
江戸時代から明治の初めまであった小伝馬町牢獄の跡地。
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処刑をする際に鳴らしたといわれる鐘楼。
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安政の大獄で、吉田松陰はこの牢獄に入れられ、
処刑された。そののちは、現在の南千住の回向院に
葬られている。「松陰先生終焉の地」私にも読めました。
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悲しい地には必ず弔う、魂を静める事が必要だと、
寺社が側にはたくさんあった。
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明治16年創建の小伝馬町身延別院。
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商売大繁盛のご利益があるという「油かけ大黒天神」
いやいや、今の務めが小売業ですから、油かけまくりましたね。
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日本橋は日本の中心地であり、江戸時代からの
商人の街であり、金融の街であり、牢獄まであり
歌舞伎の地でもありました。
深い深い、このまちのことは、まだ知ったばかりですので
また紹介する機会をぜひ持ちたいです。

追伸、葉っぱを食べていた黒めんこいねこちゃんが
いたものでしたから~
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日本橋 歴史建築と庶民の店の不思議

日本橋には再開発された新しい建物も多い、
日本橋三井タワー、
超高級マンダリンオリエンタル東京ホテルと、1834年創業の千疋屋の本店が所在。
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新しい建物でも伝統的な美しさを表現しようとう
そんな志が見て取れます。
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千疋屋、恥ずかしながら最初は読めませんでした。
1個で数千円するようなフルーツが並びます。
銀座千疋屋、京橋千疋屋、いずれもここの本店の暖簾分けだそうです。
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隣の威厳漂う建物が、「三井本館」関東大震災後に
三井の威信にかけて1929年に鉄筋コンクリート造で建てられました。
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これだけ古い建物を、美しき保存して、今も現役のオフィスなのです。
エレベーターから違いますね。
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更にその裏手にある。あの東京駅駅舎を作った辰野金吾が設計した、
明治29年建築の「日本銀行本店」
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重厚という言葉が似合います。
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このドーム、東京駅に似てますか?
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日本橋の不思議さは、こんなビル群の間に、
庶民向けのお店も普通に今もあるのです。
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夜景も美しい三井本館
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日本橋 美味しさのてんこもり

人形町はとにかく、美味しそうで美味しい街。
今半のメンチは肉汁が飛び出してきます。
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双葉は、豆腐やがんもやら、豆腐ドーナツやら。
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柳家のたい焼きは有名、、だからこそ食べられませんでした。
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人形町は江戸時代、歌舞伎の街でもありました。
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だからこそこの街に明治座はあるのです。
ただのビルにしか見えませんが、まごうことなく、明治座。
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名高き水天宮もこの街の自慢の一つです。
久留米水天宮の分社は、今や江戸東京の安産の守護神です。
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こんなお店も人形町ならではです。
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日本橋 庶民派の老舗グルメ街

日本橋は、実は広く、小伝馬町、人形町、室町、茅場町など10以上が
日本橋という冠を掲げている。お腹がすいたので、人形町に向かう。
突然、こんな料亭、小料理屋の迷路に入ると人形町。
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今も現役の古い井戸。土台の古さと木で覆うおしゃれさがこの街らしい。
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この街の路地の風景をお楽しみください。
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若い女性がこのお店に入っていった。老舗の料亭の脇に
新しいお洒落なカフェがあるところが、この街のスゴさんんでしょう。
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次回は私も入ってみよう。ここも入ってみたい。
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これぞ現役の看板建築。
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日本橋 老舗の中の老舗が集う街

最初に立ち寄ったのが、「榮太楼總本舗」。
1857年創業。きんつばを作って売る店として日本橋(現在の本店所在地)
に創業。三代目主人の幼名が「榮太郎」だったことから、
榮太郎と店名を名乗った。
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明治18年、万国発明展に榮太郎が出店した際の風景を絵として当時を伝えた。
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三種がどれも美味しい。
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一番の驚きは、この「やっとこのよう」な道具で創業以来、
手創りして販売しているという事であった。
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この金つばあまり甘くなく、さっぱりしています。
上品で、、、さっぱりと頂けました。
榮太郎さんは「有平糖」「きんつば」そして「甘納豆」
を開発したお店でもあるのです。
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そして、デパートとして初の重要文化財となった高島屋本店。
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階段付近の壁で見かけた、「アンモナイトの化石」
これはもう一つの老舗である三越においても見られた。
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最後は、まさにその「三越日本橋本店を紹介。

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どんなに美しかったか、店内の装飾。
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榮太郎さんにお邪魔した時、床の枠が気になって、
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これは何か意味があるのですか?と聞くと、番頭さんのような方が、
「外側は創業時の売り場の広さ、こんなに小さかったのです」
へえ、では内側は?
「それは創業時の床に敷いていた石を今もこの店に埋めているのです、
創業の頃の気持ちを失わないようにしているんですよ」
ああ、そうなんですね。
創業は何年ですか?「おかげさまで150年を超しました。
凄いですね?
「いえ、まだまだです、この先の「にんべん」さんなど創業300年を越してますよ」
ああ、そんなものなのですね。
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明日は私の大好きな日本橋人形町を訪ねます。
そしてその次は、小伝馬町、、、その他ですね。