下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

南千住 山谷から吉原へ

山谷から更に南に下ると、見えてきた(見えてこない)普通の交差点。
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ちょっぴりカーブになった道の先には、
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あの「吉原大門」が見える?見えない?
ただ、その先には現役の色町が江戸時代から区画された地に整然と存在しているのでした。
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いつか、「吉原哀史編」を記事にする予定です。
今週はラーメンではなく、南千住の仲町通り入り口近くにあった「大倉屋」という
お豆腐屋さんの「手作り豆乳」
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飲んだ途端に舌がビックリ、味が、味が、本物の豆腐をつぶして汁にしただけ、
そんな驚きの味は、美味しいとかいうより、何しろ新鮮な感触でした。
ご主人、ありがとうございます。皆さん130円で感動が飲めます。駅近くですよ。
濃い、薄いという言葉では表現できませんね、この一杯は
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南千住 泪橋そして山谷へ

再び南に下り、回向院、延命寺を通り、あの「泪橋」の交差点を訪れた。
もう昔になるが「明日のジョー」の中で出て来る「泪橋」には橋も川もあったが、
今はその姿は実在しない。石神井用水の一部分として明治通り沿いに流れていた
「思川」にかかっていた橋が「泪橋」で、今はすべて下水道となっているのです。
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泪橋の由来はやはり小塚原刑場に向かう最後の渡る橋だったことから来ているようだ。
悲しい文字とは裏腹に、空は澄んでいました。

更に南へ、ここは現在は日本堤という地名で、以前「山谷」と呼ばれており、江戸時代から日光街道
奥州街道に沿っていて、木賃宿(食事の付かない素泊まりの宿泊施設)がたくさんあり、今も
素泊まり宿がたくさんある場所となっている。
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いろは会商店街は残念ながら、日曜日だったためほとんどのお店がお休みだった。
ここは明日のジョーの故郷。
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商店街の中には歴史ある店舗が並んでました。店内を見たかったです。
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実際にはそれなりの距離があるけど、目の前にあるようにスカイツリーが聳え立つ。
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南千住 素戔雄(すさのお)神社

南千住を少し北に向かって歩き、日光街道を渡ったところにある、素戔雄(すさのお)神社。
ここは打って変わって、明るさが全面に感じられる。
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この狛犬の姿は圧巻、
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龍の姿も姿も美しく猛々しい
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ここの地面に祀られている岩が、「瑞光石」として光を放ち、「素戔雄大神」と「飛鳥大神」が
降臨したと伝えられている。どの石か?見えますか?
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この景色、、見ただけでも涼しくなりますね。
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「飛鳥の杜」と言われるこの古木は樹齢500~600年と言われる大銀杏。
幼児の無事成長を祈願しています。
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神社を出て、少し歩くと見えてきた煉瓦の壁、これは、明治12年に建てられた日本最初の官営羊毛工場
跡地の名残り。
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実はここには戦後、「東京球場」というプロ野球の球場になっていた時期もあるらしい。
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初代の所長だった井上省三の像、両脇の羊の姿が可愛いですね。
井上省三は幕末にはあの高杉晋作が率いた奇兵隊隊長として倒幕に参加していた人だそうな。
知りませんでした。

南千住 高層ビルと寺社がともに

去年訪れた北千住(まだ紹介してません)は、日光街道の宿場であり「やっちゃば」という市場があり、
江戸時代にさかのぼる整骨院の祖である「名倉医院」が今も営業してる由緒正しい、
華やかな歴史のある場所でした。
立ち寄りたかった場所があって、三河島から南千住方面に歩いて向かい、
都電の三ノ輪橋駅付近を歩いていると、目の前に現れたのは巨大なタワービル。
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駅に行く途中に最初に見つけた場所、南千住回向院。両国の回向院がまさに江戸時代に
この辺りにあった小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)での牢死者者や刑死者を
弔う為に建てられたもの。
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ここが、「史跡エリア」有名人が目白押しだ。
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明治時代に殺人事件を起こし処刑された「毒婦」と呼ばれた「高橋お伝」(右から1番目)や
かの義賊「鼠小僧」(一番左)の墓や、
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幕末に「安政の大獄」において処刑された「橋本左内」(右の建物すべて)、
そして松下村塾で有名な「吉田松陰」(左側正面)がこの小塚原で処刑され、葬られたのだ。
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さらにこの寺院には、杉田玄白、前野良沢がこの場所で死体の腑分けを実見し、
「ターヘル・アナトミア」を和訳した「解体新書」刊行になったという事を記念した「観臓記念碑」もあった。
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この回向院は常磐線の敷設の際に南北が分断され、南部分が「延命寺」として独立、
敷地には延命寺地蔵、通称「首切り地蔵」が過去の刑死者達の供養の為にそびえている
はずであったが、なんと、東日本大震災の被害を受け、このように同体上部を地面に
下ろした状態で佇んでいた。今、復元待ちとなっている。
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やはり、痛々しい姿だ。
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