下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

桐生 ゆめ(夢)の続き エピローグ

JR桐生駅到着が13時10分、新桐生駅でこの街を離れたのが18時9分、
滞在時間5時間の街歩き

記憶に残ったショットをつらつらと

この土偶、小さいのは耳飾りだったとか
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人間の営みの歴史を背負った土地
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本当に魔法の瓶だった
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「日本国有鉄道」、もう数年で死語になるかもしれない
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桐生駅北口から数分の所に
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何故、こうした廃屋が残されているのか
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桐生倶楽部の志が感じられる
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栄枯盛衰
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くぐると幸せになれるのかな
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これから建てるのか、残された社
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市井の建物
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近江商人が築き上げた「味噌蔵」
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その住まい
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柄が可愛いよね、ちびちゃん
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孤高、なんて難しい話じゃないね
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いかがだったでしょうか、桐生
その奥深さはすべて人が作りしもの
ご訪問くださった皆様、感謝申し上げます
またぜひ遊びにいらしてください

2016年6月25日
                        kozoh55

桐生 ゆめ(夢)の続き⑤

この街で起きた150年の出来事が夢であったなら、
目が覚める日もくるであろうが、全ては「リアル」

この桐生で最初に造られた鉄筋コンクリート建築は今も現役だという
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江戸時代まで遡りそうな建物、
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ずっと変わらぬ姿であり続けること、それが出来ることがこの街の底力なんだと感じた。
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実はこんな煉瓦の建物群が、この街の観光の中心
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本町は、江戸時代徳川家康がこの地を産業都市としての栄えさせたい、
という志で街づくりを指示されたのだった。
その街造りの起点となったのが、この桐生天満宮
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桐生 ゆめ(夢)の続き④

「五十番」ここもまた歴史ありな風情
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お隣に和菓子屋さんが、、、
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元気な奥様から黒糖のオリジナルどら焼きをいただく
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奥さん曰く、「この店の前の通りは「糸屋通り」なんだけど、もう糸屋さんが0軒になってしまったのね」
そんなこともあるのだろう

「桐生倶楽部」大正8年に造られたこの建物は桐生の近代化の象徴、桐生財界の集いの場所として現役。
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けれど、この街の不思議な所は、この倶楽部の前の通りが
いかにも庶民向けの飲み屋街であること、昔は色町だったとも聞く
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旅館「賤(しづ)」さん、泊賃2,500円と書いてあるが、本当だろうか
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その先に「賤」さんは廃墟としての悲しい姿として、そこにあった。
やはり、残念ではある。

「賤」富めるもの以外の方への宿だという意味だろうか、今は訪ねる相手もいない。

桐生 ゆめ(夢)の続き③

最近、私の口癖になってます、「ここからがkozoh55らしさなのかもしれません」
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どこか凝った造りのな建物が並んでいるかと思えば
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滅びの美学のような風情にも出逢える
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桐生の商店街は、そんな風でした

この街の中心街の本町と交差する交差点を少し越したところに、
「色町」「花街」があったらしいのですが、ここなのかもしれません。
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どの店も現役であることに感謝
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「永楽町」
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「赤いくつ」
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この看板は昭和40年代、何色だったのか、
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そこにあった街灯はさみしそうで、仕方なかった
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けれど、夢のような姿の「茶屋」か「料亭」に
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出逢えることが出来た幸せ
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まだ続きます

桐生 ゆめ(夢)の続き②

桐生は産業の街と言っていいのだろう、
絹の産地として奈良時代から記録が残っているという

現在の人口12万弱、多いのか少ないのか
私は多いと感じたけど、皆さんはどう思うか、感じてほしい

上毛電気鉄道の始発「西桐生駅」
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昭和3年建築のこの駅は日本の駅100選
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ファサードの造りが印象深い、すがた
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切符売り場、跡
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この駅周辺には、いわゆる昭和な建物が残されていると、何かに書かれていたけど

この旧旅館のことかもしれない
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この個人宅?だろうか
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大学通り?のしみじみ建築が並ぶ建物の、裏手に見つけたもの
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これこそが「看板建築」それも典型的な姿
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銅板を折り曲げで立体的な姿が美しい
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昭和初期のものかもしれない、そう感じた硝子窓
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右上部の装飾は壊れて曲がっているようにも見えるけど
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こだわりなんだろう、と

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