下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

親不孝通り 洲崎発 終点吉原④

繰り返すけど、洲崎から吉原までは「大門通り」と呼ばれていた。
現在はこの通りは「土手通り」に
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渋い建物と
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教会を横目にしながら
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終点「吉原大門」交差点に到着
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この貧相とも終える柳は、

「見返り柳」と呼ばれている
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吉原を出た人がこの場所で、吉原の遊女を思い出し
振り返る場所だったそうだ

曲がった道を歩いていくと
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吉原大門が見えてくる
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両脇に「吉原大門」のネオン、現役のピンク街には敬意を表して、写真はここまで

お蕎麦屋さんはいつからのお店か?
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「伊勢屋」さんは明治22年創業、
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その姿に圧倒される
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「いろは商店街」
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地名では「日本堤」というこの街は、別名の「山谷」として有名で
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あしたのジョーの舞台となった場所でもある

ああ、ほんとだ、こんなとこに「ジョー」がいるんだね
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通り名としての「大門通り」は洲崎から錦糸町のあたりで表示は消えている
けれど、ここは間違いなく「大門通り」なのだ
いかがだったでしょうか、「親不孝通り」
もはや地元の方も知らない通りなのかもしれません
でも、今回の旅でその存在が明らかになりました。
よって、また、歩いてみたいです、丁寧に

ご訪問くださった皆様、感謝でございます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

親不孝通り 洲崎発 終点吉原③

この日はスカイツリーに到着して、一旦旅を終える
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後日、スカイツリーを起点にして浅草、吉原に向かうしみじみなお店は、すこしありましたね
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凄いぞこの建物は
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牛嶋神社、
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浅草は江戸時代からこの街の中心街だったけど
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この神社が浅草の街の人気を後ろから支えているのかもしれないと、
この神社と、待乳山聖天に行ったとき、そう思ったのよ
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再び吉原方面に歩き始めるkozoh55
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道に迷ったりしないよね
たぶん

親不孝通り 洲崎発 終点吉原②

門前仲町のドライバーに「親不孝通りには古い建物が残ってますか?」と尋ねると、
「いや~もう残ってないね~」と一言、

本当にそうでしたよ
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上手に造られた公園風でしたし
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よくわからないし
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これなんかちょっとしみじみ、来てましたけど
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オクナガ興業さんなども
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実はずっと大門通りが続いてます
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質屋さんは、蔵が命、現役のお店ではないかもしれない
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青い空が似合ってました、この建物
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「国鉄」なんて言葉、死語だと思ってましたが
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レトロな美容室は、ほんに、見入ってしまったり
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などと、1時間半くらい歩いてたどり着いたのは、
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東京スカイツリー
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なんだろう、この通りが「親不孝通り」だったなどと
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誰が知っているのか、だれが語れるのか、、、

親不孝通り 洲崎発 終点吉原①

半月ほど前に、学生時代の友人が米沢からこちらに上京して、
一緒に門前仲町の「辰巳新道」で飲んだ時、
地元のタクシーのベテラン運転手さんと話していたら、
「ああ、洲崎(すさき)ねえ、よく知っているよ、洲崎大門という大きな門があってね」
「あの洲崎大門からの通り、ずっとまっすぐ歩くと、吉原に繋がっているんですよ」

へえ~、と私、そんなことを考えもしなかったし、繋がっていたのか?ありえるなあ、と
「親不孝通りって言われてたんですよ、あの通り」
親不孝通り、って、そうか、横浜黄金町以外でもそう呼ばれる場所があったとは、
知らなかった。

ということで、「親不孝通り」歩いてみることにしました。
なんでそこまで?何かあるの?って、、
いや~洒落でしょう、期待しないでください。

そう過去写真ですが、ここに「洲崎大門」はあったのですね
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大門をくぐると、戦前は遊郭、戦後は赤線全盛の街
この建物が最後の「遺構」でしたが、今はもうありません
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今も残されれいるのは、大門脇の飲み屋さん街と
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「遊園」の文字
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この通りの「大門通り」という名前
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吉原方向を向くと、商店街があります
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当然、下駄が売ってますよ
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あの有名な(知らない)「そろばん学院」あり
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下町には元気なお茶屋さんが残っているものです
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そして、お肉屋さんも、残ってます、繁盛してます
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「柳精肉店さん」その場で揚げてくれたんです
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「はぐ、ほぐ、ほふっつ」って感じでした

もう一店舗に出会えるなんて
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このハムカツ、ハムが柔らかかったな、ハムカツ嬉し、美味し
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さあ、北へ歩こう、「親不孝通り」を