下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

長崎 浦上天主堂 苦難の歴史

先日、「母と暮らせば」という映画を見る、
そこには、今の美しい姿の長崎に起きた苦難の姿が描かれていました。
特に、浦上天主堂の崩壊しきった姿

あまりやらないのですが、「長崎」の記事に追加をしてみます
長崎4_R
人が一瞬のうちに消えてしまうということが
長崎 (2)_R
実際に起きたのです
長崎 (3)_R
逆さになった十字架、そんな風にもみえます

長崎 ぶらーり ぶらり

丸山町のお隣、船大工町、この辺りから思案橋の商店街にかけては
長崎201511 (237)_R
飲み屋さんがてんこもり

路地にももちろん階段があって、通りを歩く方が
長崎201511 (233)_R
「この階段の先に大きな楠があるんだよ」と教えてくれた

それは、本当だった。「大徳寺の大楠」
長崎201511 (217)_R
樹齢は800年と言われている

そこに「大徳寺」は無くて、なぜか神社があり
長崎201511 (211)_R
現役のかまどがある

まちを、ぶら~ん
長崎201511 (165)_R
ぶら~ん
長崎201511 (148)_R
ぶら~ん
長崎201511 (127)_R

長崎に住んでいた学生時代の先輩におすすめの食べ物は?と聞いたら
すぐメールが返って来た。
ちゃんぽんなら、「共楽園」
長崎 201511 (40)_R
一口餃子なら「雲龍亭」
長崎 201511 (235)_R
いくらでも食べられる餃子、ご夫婦は私のような旅人も大歓迎してくれて
長崎 201511 (229)_R
カステラは「匠寛堂」
長崎 201511 (331)_R
「福砂屋」さんのカステラと、どっちも買って帰ったら
どちらもしっとりとして、底にかくれたザラメが特徴で
美味しかったのね~

宿は?長崎市内?いえ小浜温泉まで
長崎201511 (580)_R
ええ、ええ、長崎駅から2時間近くかかりましたとも
長崎201511 (479)_R
温泉は良かったさ、料理もね

「グラバー邸」の秘密の屋根裏部屋は、実在したのですね
長崎 201511 (222)_R
これまた迷宮の分水嶺か
長崎201511 (113)_R
創業100年を超す「日栄湯」さん
長崎 201511 (314)_R
「旧長崎英国領事館本館」明治40年建築
長崎 201511 (326)_R
入りたかったな、やっぱり

最後がこれか?
長崎 201511 (37)_R
二宮金次郎ってこんなドヤ顔だったかなあ
子供の頃の話じゃなかったっけ明らかにこの人は親父さんだ

長崎201511 (203)_R

どんなにたのしくぶら~りしても、
いつかは帰らなければいけません、
そして、帰り際、長崎は雨でした

長崎、いかがでしたか
もう、この記事から離れなければいけない時です
ご訪問くださった皆さん、感謝申し上げます
またぜひ遊びにいらしてください

kozoh55

長崎 グラバー園

グラバー園の主役「グラバー邸」
長崎 201511 (202)_R
文久3年(1863年)日本最古の木造洋風建築
長崎 201511 (210)_R
彼は坂本龍馬や伊藤博文などとの交流やビジネスを通して
日本に大きな影響を与えている

外国人居留地からの長崎の街の眺め、明治時代はもっと見渡せたんでしょうね
長崎 201511 (209)_R
室内は彼にふさわしい
長崎 201511 (213)_R
堂々たる洋館として、当時の姿にてそこに存在していた
長崎 201511 (218)_R
キッチン
長崎201511 (763)_R
食卓には当時の献立が再現されていた
長崎201511 (747)_R
この奥が食品の備蓄庫
長崎201511 (757)_R

その外、リンガー邸も素晴らしかった、大きかった
長崎201511 (723)_R
英国の商人「フレデリック・リンガー」
長崎201511 (657)_R
そうなんです、こちらの首都圏にもお店がある「リンガーハット」の名は
長崎201511 (694)_R
このリンガー産からとったもの「リンガーさんのお家」という意味なんですね
長崎201511 (631)_R

明治31年に建てられた「ナガサキホテル」も彼が率いる投資家グルーブによる建築
このホテルで使われていた食器が、のちに「奈良ホテル」へと引き継がれ
今も奈良ホテルに展示されているのですね。

さあ、長崎シリーズも明日が最終かな

長崎 大浦天主堂

市電に乗って大浦天主堂とグラバー公園へ
長崎 201511 (133)_R
日曜日は観光客で市電は満員

坂を登り
長崎 201511 (137)_R
登り
長崎 201511 (148)_R
たどり着く。元治元年(1865年)建築
長崎 201511 (154)_R
この日本最古のキリスト教建築物は原爆に被爆して破損するものの、消失は免れた
長崎 201511 (157)_R
この坂が、変化ある地形が人や建物を救うことができた
そう、長崎は坂の街
内部の撮影は禁止、ここまでか
長崎 201511 (162)_R
なんというのか、観光的な印象より、現在も教会として使われている
信者にとっての重みが伝わって来た、そんな気がした
長崎 201511 (165)_R
長崎 201511 (171)_R
長崎 201511 (174)_R
グラバー園は、すぐお隣さん

長崎 被爆地という現実

ずっと前から不思議だったこと、ヒロシマ型の原爆より威力は上といわれたナガサキ型の原爆の
直撃、そう、空中での爆発を被ったのに、なぜグラバー邸は焼け残ったのかと。

爆心地近くを訪れる
長崎201511 (372)_R
平和記念像はこの爆心地にあった
「長崎刑務所浦上刑務支所」で亡くなった人たちへの追悼として終戦から10年後に作られた
長崎201511 (367)_R
この人の瞳が閉じているのは、原爆被災者の冥福を祈った姿

爆心地の刑務所跡
長崎201511 (356)_R
何もかもが溶けてしまったのか、これだけが残されている
長崎201511 (341)_R
塀の跡かた
長崎201511 (337)_R

永井隆(ドクター)さん
長崎医大で戦前より放射能の研究をしていて、
長崎医大診察室で被爆
奥さんを助けに自宅に帰ると、溶けてしまっていた愛妻がそこにいて
長崎201511 (346)_R
この写真の自身の子供達を愛し続け
自らはこの狭すぎる自宅「如己堂」で戦前から放射能研究で被爆した体を蝕んだ
白血病と闘い続け、1951年永眠された。
長崎201511 (335)_R
長崎201511 (334)_R
長崎201511 (331)_R

爆心地に作られた慰霊碑
長崎201511 (351)_R
逃げ場がなくて、結局、川に逃げて、とてつもない放射能を浴びた川の水を飲んで
たくさんの人が死んでしまったという

これも、長崎の姿