下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

小田原 永遠の避暑地にて

おい、kozoh55は今日、何回昼食とっているの? 答え 3回
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「だるま料理店本店」
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名物は「天丼」いただきます

いやこれは、「天井」ですから、え?「天丼」
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立派な天井を見ていたら、別館の2階を見に行きたくなって
kozoh55「写真撮らせてもらっていいですか?」
「いいですよ、ごゆっくりなさってください」親切な方だったな
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小田原の網元はいまこうして人気料理店であり続けている
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見た通り「こうもり」
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なんと美しい廊下だこと
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どれ一つとっても
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この建物の魅力を私に教えてくれるのでした
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トイレ、ね
もう、言葉では言い尽くせない、「贅」
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ブログのお友達からの質問、「小田原で猫には会えますか?」
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ええ
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会えますとも
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いかがだったでしょうか、小田原
なんかすごく楽しかった、リラックスできた、
美味しかった、わくわくしっぱなしだった
良かったら、この街に一度遊びにいらしてください。
ただただ、おススメです。
ご訪問下さった皆様、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてください。

kozoh55

小田原 永遠の避暑地

小田原駅前で発見したこの看板を見て
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すでによだれが出始めていた私です

こんなに肌に艶のあるあんぱんが、あるのですねえ
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このあんこの味わいは生涯忘れられないかもしれない
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小田原名物は、和風ぱんなんです

東海道沿いに発見、「柳家本店」前回の記事では支店を訪問
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金時豆のあんぱんを買ったのに、写真撮る前に
嫁が「パクパク」食べてしまいました

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元お豆腐屋さん?かなあ
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戦前?戦後?「日栄楼」さん
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とにかく今日入らなきゃ、ばちが当たりそう
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一人で食べれるもん!
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こんなにも姿の美しい質屋さんは、奈良の「ならまち」にも居ませんよ
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次が、最後の記事でしょう。

小田原 新開地と呼ばれた場所②

cafeのお客様に教わったとおりに歩いてみると
ほんとうだよ、学校がある
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学校の門を左に向かって校舎に沿うように歩いていると
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ああ、ほんとうだ、この下には暗渠化された泥川が残されているんじゃないか
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右側の校舎のフェンスに取り付けられた看板
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そうか、この小さな山は豊臣秀吉の侵攻に備えて
北条氏が作った堀なんですね

ここだけへっこんでいるのは、アメリカの爆撃を受けて、
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吹き飛んで、残念ながら犠牲者が出たそうなんです。
日本が平和なのはつい最近の話かもしれませんね。

ちょっと歴史がかった建物がちらほらと
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ここにも川の跡が、こここそが泥川の跡地だろうか
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古い建物の一つの玄関先に張られていた「抹香町」という文字。
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小田原にあった「花街」、新開地は別名「抹香町」
そうここが元色町だったんでしょう。
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私に出来るのは、その場所の風景を
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写真として残していくことくらいしか、
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出来なかったのです


小田原 新開地と呼ばれた場所①

たぶん、駅から少し東海道に近づいて、
脇に逸れた「大工町」を歩いていたんだと思います
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この街の駅周辺は全てが商店街、それも別々なのがいっぱい
大工町から交差している「新栄通り」で出会ったもの
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それは、cafeでした
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中を見て驚く。関東大震災直後に復興した大正時代の建物
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階段室、だとは分かっても、窓があるよ
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いつの日までは、法律事務所だったのですね
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何しろ可愛かった~
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ジンジャーエール頂きました
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この日、急に温度が上昇、このひゃっこさが嬉しい
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お店の方にkozoh55が訪ねる、
「このあたりに昔、花街、色町があったと聞いたのですが、ご存知ですか」
お店の方はわからなかったようだけど、お客様が教えてくれる
「ああ、新開地ね、、、あの先に見える学校、その裏手に行くと、
どぶ川が昔あって、「新開地」と呼ばれてたのよ。そのあたりに建っている建物の窓から、
女の人が手を振ってくるの。小さい頃、なんだか怖かったのよ」
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ありがとうございます、早速行ってみます

小田原 清閑亭

6月16日に訪問した小田原に、7月10日に行ってきました
戻ってきて家について、この小田原の記事を「小田原 ほいさっさ」から
「小田原 永遠の避暑地」へと変えました
何故って、その通りの街だからです

kozoh55にしては珍しく、一番の記事を最初にアップ
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実のところ小田原城はこんなにも美しく、青空がお似合いです

小田原の象徴の中の象徴「清閑亭」は、小田原城の側の小高い丘に姿を見せてくれます
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多くの小田原の歴史的建築物が関東大震災で役割を終えたのに
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この建物は、さらに歴史の磨きをかけていきました

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ゆらゆらとした造りのガラスに浮かぶ姿
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そこには日本の和建築の神髄、でしょうかがおあしました
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明治39年に清閑亭は明治39年に黒田長成侯爵別荘になりました。
そうですね、あの黒田官兵衛の子孫。

皆さんにどこから紹介したら良いのか
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こんなトイレは私のような凡人には、「狭いねえ」としかコメントできません
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だって、現役のトイレだから、狭さを実感したんですから

そろそろ2階に行っていいでしょうか?
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kozohはもともと、ここに来ることが決まってたのかもしれません
6月10日の訪問の際に出会った親切な女性のお勧めが「清閑亭」で、でも今日は定休日だと教えてくれて、
その時に再訪を決めたのかもしれませんし

2階に来てその意味が少し理解出来ました
東側の窓から吹き込む、涼しい風
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その窓の先には明治以来、必ず真鶴半島がそと佇み
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風は西の窓に注がれていて
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真夏の陽気でもこんなにも心地よいのです
他にも訪問者がいたのを忘れて、大の字になって寝そべるkozoh55
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気が付くと、訪問者がみんなそんなふうでした(笑)

自分の顔はもちろん、服装すら紹介を躊躇っていたkozoh55でしたが
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この日だけは自分のお気に入りの帽子を紹介したくなって

それは、ブログのお友達、shizuさんが紹介されていた帽子が
あまりにも優しく可愛かったからかもしれませんし、
帽子を買った下北沢が、防府のブログのお友達、
atushiさんの学生時代(正しくは「社会人時代」でした、すみませんatushiさん)住んでらっしゃつた街だったからかもしれません

小田原パート2はのっけから長いですね