下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

国府津 たてもの園に春が来た(4)

この街は確かに「たてもの園」でした、和も洋も。
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この建物は明治時代まで遡るのではないでしょうか、路地に現れた姿
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この建物を見て思い出しました、なんでこんなに奥行きがあるのか、
明治時代は税金は軒の幅で決まっていたそうです、
そう、奥行きが長くても税金は上がらなかったのです。
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蔵もあります、あります
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派手でない所が、いいです
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正統派、「ザ・蔵」
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「鰻和」さん
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癖のない、上品な鰻の味とたれを頂きました「ありがとう」
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国道1号線、小田原市内方面に20分近く歩いて路地にて出会う
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蔵ではこの建物の印象が一番
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その細い道の先には「八幡神社」
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これもまた出会い、この周辺の各地に置かれていた
庚申塔が、道路整備に際してこの地の集められていました。
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ちゃんと下にお猿さん達がいますね~

いかがだったでしょうか、「国府津たてもの園」
看板建築、生粋の洋館、蔵と和建築、楽しみがいっぱい、
その上八百屋のおじさんが言ってたのですが、ミカンが名産らしく
昔は国鉄(今のJR)で売られた冷凍ミカンは全てこのあたりで
作られたらしいですよ、「ほ~そうだったか!」です。
そして苺か大きくて大きくて、こんな巨大な「いちご大福」
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売ってました~
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超甘ジューシー、たまりません。「親木堂」さんにて

ご訪問下さった皆さん、ありがとうございます、
この国府津もおススメです。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55

国府津 たてもの園に春が来た(3)

商店街のお店の間にひっそりとそれはありました。
お店とはちょっと違った風で
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洋館
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こんな建物が今、残されている
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昭和初期の建築、病院だったそうです
装飾はそのまま、そのまま残されて
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当時住んでいた人達の「面影」を残してくれてます
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そのまま
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そのまま
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この建物の情報は「存在する」事くらいしか情報が無くて
私に言えることは、この建物が当時、珍しい姿の洋館であったろうということ
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白黒で
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次の記事が「国府津」最後となります

国府津 たてもの園に春が来た(2)

「たてもの園」という言葉、訪問していろんな建物に出会えたので
ネーミングしました。

さあ、看板建築
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ああ、見たことがあるデザイン、と言いつつ、微妙に形が違ったりします
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まごうことなき、関東大震災後に日本中で作られた様式

「公益社書店」3階建てとは凄いですね
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看板建築の魅力は施された意匠や装飾、
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「公益」という言葉をロゴにして、志の高さを感じます~
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「神田屋商店」荒物屋さんのようです。
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この堂々たる姿
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青空が似合う建物ですこと
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あこがれ
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今は個人宅のようですが、公的な建物、郵便局とか銀行とか
そんなオーラを発してました。

大正・昭和初期の時代には、この国道1号線の通りには、
当時のモダンな建物、看板建築に溢れかえっていたのでしょうね。

国府津 たてもの園に春が来た(1)

この記事は、最近、ブログを相互リンクさせていただきました「プチアンティーク」という
ブログをされているshizuさんの「国府津」紹介記事を読んで、感動し、先週訪れたお話です。
shizuさん、ありがとうございます。

東海道線で東京から約1時間半、降りた駅は地味で静かなものでした。
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「国府津」(こうづ)は、文字通り国府、相模国国府があった場所への
水運の港という意味、わかりやすいです。

駅の目の前を国道1号線、東海道が走り、明治20年には東海道線が開通し、
東京から来て横浜の次の駅、終点だったそうですから、交通の要所として、
明治・大正・昭和初期まで大いに栄えていたのです。

駅からすぐにある「神戸屋」パン屋さんは、最盛期を偲ぶ建物として
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有形文化財となってます。
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そう、この街は関東大震災後に日本中で作られた
「看板建築」が多く残る地なのです。

それだけじゃないです、さりげなくこんな建物が残され
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その先は、
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そしてまだ2月だというのに、水仙が咲き誇る
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春の訪れが早くやってくる、すでに「温かな」街なのです。

さあ、ちゃんと紹介しましょうこの街を