下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

芝・増上寺 徳川家残照を探して(3)

増上寺と徳川家霊廟は今や、

芝公園となり
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プリンスタワーとなり
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もちろん「東京タワー」となった。
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雲がまだ覆ってました。
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アップしてみたら、はやぶさ?衛星?かなあって
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やっぱり増上寺本殿を拝まなきゃね
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そして「プリンスホテル東京」
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ああ、ここの方が東京タワーと仲がいい
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そしてこのホテルの駐車場脇にひっそりと、そこにいた「二天門」
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七代将軍徳川家継の霊廟の入口にあった門
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見れますけど、ちゃんと公開されていませんね
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この門の美しさと言ったら、まさに本物。
オーナーであるホテルは、この門をホテル営業に生かすことを、
やってないのでしょうか、、、、

いかがだったでしょう、芝・増上寺界隈の今の姿、
増上寺であるのに、持ち主が増上寺ではない、
ポツンと残された、江戸まで遡る建物達を
見れば見るほどさみしさがでてきます。
「二天門」
もう増上寺に戻すことは出来ないのでしょうね。
受け入れるしかないのです。

ご訪問下さった皆様、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55

芝・増上寺 徳川家残照を探して(2)

ここもたぶん増上寺の子院、凄い迫力を感じるのは
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私だけだろうか?
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後で地図で調べると「常行院」
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このお二人の由来すらわからない
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そう、この周辺には「芝公園」がちりばまれてます。
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「ペリー提督像」
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イケメンだったのですね

増上寺のもう一つの門の「黒門」は3代将軍家光の建立だというから
古い、「旧方丈門」。
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泥土を固めて、瓦などを重ねて作る「築地塀」
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増上寺は今もしっかり守られています。

現在の増上寺の敷地は3万坪、戦前はその10倍、
今の増上寺には入りきらない「徳川将軍家」の霊廟の跡が
「台徳院霊廟惣門」
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徳川ですねー、ここは秀忠公の霊廟台徳院の入口、
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迫力の阿吽像は、調査の結果、川口から移設された事が判明、
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これほどの姿が、もともとあったものでないことも不思議、
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もっと不思議なのは、この門は増上寺の敷地外、
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プリンスタワーの庭園の中にあるのです。

どうしてこの地はこうして切り裂かれたのか、、、

芝・増上寺 徳川家残照を探して(1)

この日は朝から強い雨が降っていて、また街歩きが出来ない、かと。
嬉しいことに午後に雨は止んだ。

電車に乗って都営地下鉄線「芝大門駅」を下りる。
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増上寺の境内にあり、戦災を逃れたこの「三解脱門」
増上寺が江戸時代初期に徳川家菩提寺として大きく発展した頃の
姿を今に伝えてくれている。

今日は境内に入らずに、芝公園周辺をぶらり
「常照院」増上寺の子院は、
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「白子やお熊」は色恋沙汰を起こして、最後は獄門となった
材木屋の娘で、歌舞伎にまでななったそうです。
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たぶん明治時代の蔵建築、
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寺院に残されているのは少し不思議
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不思議な建物に出会う
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ここはかなり古い
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この古ぼけた看板「THE CRESCENT HOUSE」
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1947年創業の高級レストラン
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後期ビクトリア朝風の建築様式
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レンガ建築が印象的で
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側面の壁に日時計が置かれてありました。
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続きます、芝・増上寺界隈歩き