下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

玉ノ井 色町のかけら(4)

1年と少し前にこの地に来た時に見た、「見届けられた幸せ」な
風景を最後に紹介します。今回、見つけられなかったのです。

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分かりますか?
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そう、前回来た時は、この商店街は存在し、看板も出ていました。
すべてなくなってます。

前の記事の「とりふじ」さんに確認しましたら、
「もう、商店街が無くなったのよ」という答えでした、、、、

今回、見つけられませんでした。
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これも、
文花・京島・玉ノ井・三ノ輪 (325)_R

そしてこのシンボルタワーも見届けられて良かったという物語です。
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いかがだったでしょうか、玉ノ井。
国に認められた「遊郭」ではなく、「私娼」の場、「玉ノ井」は
まだちゃんと残されていた、それが今回の記事です。
でも、次回はもうないのかもしれませんし、それはそれで
受け入れることにします。
ご訪問下さった皆さん、感謝申し上げます。
またぜひ遊びにいらしてくださいね。

kozoh55

玉ノ井 色町のかけら(3)

いろは通りの裏の風景を「しらみつぶしに」歩いてみたのです。
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この窓廻りを見て、「本物だ」と感じました。
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この何かラーメン屋さんのようなロゴを使っているポストなど
戦後派の私には知る由もないデザインの郵便ポスト。
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どうやらここがメインストリートだったようで
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左の建物は、赤線時代の屋号が残ってます。
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そう、永井荷風の小説「墨東奇談」の舞台は、当時、
「寺島町」だったのです。
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赤線時代に建てられた建物は、二階家を三階建てに見せたりするのが、
特徴なんです。
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店舗の名前で「玉ノ井」を思い出させてくれます。
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「かけら」かもしれませんが、見つけた建物達。
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まだ続きます。

玉ノ井 色街のかけら(2)

この紋所が目に入りました。
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そうですよ、東京の東側の下町、三ノ輪ではこの「とりふじ」さんの本店もあり
先日行った千住でもお店がありました~
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ついつい親しみを込めて、お店の方に話しかけた私、
「三ノ輪のお店は関係があるんですか」
「昔はあったのよ、でも、今は味も違うのよ」と奥様、
「おそうざい、おししそうですね」
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「今どき、ポテトサラダ作って売っているお店は少なくなったよ」
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「そうなんですか~、でもどれもほんと美味しそう、
焼き鳥、今食べられるのはあるのですか?」
息子さんが、「ねぎまだったらすぐできるよ」
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といって下さり、これを頂きました。ボリューム満点でしたね。

奥さん、「何、どこからカメラ持って来たの?」
「千葉の市川からです、下町の風景を探して歩いてます。」
「ああそう、だったら、この通りの向こうにまだ、あの、あの街の建物が残っているよ」

戦前はこの「たから通り」自体が色町だったと言われてます。
今は普通の商店街、
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それもとびきりレトロな、
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ド迫力の商店街、
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そして、戦後に出来た「赤線街」はこの商店街の表と裏のように
存在していたのです。
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「とりふじ」の奥さんが今も残っているといった場所を、
この青空の下で、探してみます。

玉ノ井 色街のかけら(1)

台風による荒天など、夢のような青空で
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東武鉄道の鉄道博物館がある場所に
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「玉ノ井」はひっそりと、そこにいました。駅名は「東向島」
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少し先を歩くと
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戦前戦後からあったと思われる、病院などが見えてきます
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この狭い路地に、「京成玉ノ井」駅があったそうです。
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玉ノ井いろは通り商店街の最初の間
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時間は静かに静かに流れてました
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