下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。

紅花が咲かせた小京都 村田町(3)

さあ、奥座敷へ
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神棚
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「ラジオ」だったか、、、
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大沼さんは生活家具もまとめて寄贈して下さって
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ありがたいですね~

奥座敷からお庭を望むと
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離れが少し見えます。
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昭和の偉大な音楽家の「古賀 政男」さんは、
こちらの家族と友人だったことから、この離れに宿泊されたそうです。

奥座敷から、店蔵を見渡すと、
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ここが蔵の入り口だったことがわかります。
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なんとも美しい姿で、それはありました。
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いかがだったでしょうか、みちのく小京都「村田」。
というか、まだkozoh55として通りすぎた位なので、
取材が足りません、もっと取材してちゃんとコメントを
入れられるようになりますので、この記事は書きかけ、です。
ご訪問下さった皆さん、ありがとうございます。
またぜひ遊びにいらしてください。
kozoh55



紅花が咲かせた小京都 村田町(2)

日本橋から始まる奥州街道の宿場でもなかったこの地に
これほどの商人の街が今も残されているのは、
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山形、仙台、そして江戸を繋ぐj街道の要衝だったから、
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村田町の豪商中の豪商「ヤマショウ」さんは、大沼家が街に
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建物を寄贈してくれて、屋内見学が可能。
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若い女性の方が建物の説明までしてくださいました。
さあ、お邪魔します。
「店蔵」
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この巨大な金庫の中には、
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こんな現金が積まれていたのでしょう。
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時代時代の看板
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2階の階段は、もちろん収納引き出し付
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2階は非公開、残念すぎます。

薬も販売していたのですね。天元子は腹痛の薬、神仙一角丸は、、、
ガイドさん、なんといっていたか、富山の薬です。
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お店が閉店になると下ろす板には、紙がいっぱい貼られて
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じっくり見たら面白いんでしょうね。

さあ、奥の部屋「居室」へ、ここが裏玄関?
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こたつを使っていたんですね。
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今回一番驚いた、吹き抜けの間。
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2階のこの空間の先は廊下になっていて、
次の部屋に繋がっていたそうです。光が、上手に取り入れられて、別の角度から、
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紅花が咲かせた小京都 村田町(1)

山形と仙台を結ぶ街道の分岐点、そこに、「みちのく宮城の小京都 村田」があります。
30年近く前に仙台の学校を出た私は古き友人に逢いに行くとき、
ここをほんの少し通りすぎただけでしたが、忘れられない旅となりました。

「かねさん 加島邸」
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現在は「松風食堂」、江戸末期の建築。
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このあたりのタイル風は、大正、昭和か?
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なんでもありなのが、可愛い。

「「大沼長郎邸」江戸末期。
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「大沼豊吉邸」大正末期。この街に大沼姓は数知れず。
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「カネショウ大沼邸」大正3年建築。
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残してくれたことに、感謝。
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ウナギの寝床の建物は、どこまでも続いていた。
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次回、江戸時代の豪商の繁栄ぶりを少しお見せいたします。