下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

田端 銀座の中の銀座に見とれて(5)

田端銀座商店街、日曜日にお邪魔したので、
お休みのお店が目立ったのですが、
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それでも、たくさんたくさん楽しめました。
「和菓子司 いづみや」
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旅人である私達をいきなり大歓迎してくれて
いも羊羹の試食や、お茶まで出してくださった奥様。
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ごち
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そう
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さま

お土産にしっかりと「芋ようかん」も頂きましたとも。

田端銀座商店街はここで終わらないのが凄い処。
うん?何々?NHKの取材を受けた「田端銀座の美味しいパン屋さん」?
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もやもやさまーず?の絵? 奥で何か作ってる。
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出てきたご主人の甲高い声と、
「美味しいパンだよ」の言葉に、私は、
「メロンパン一つ」子供のように
ykokotako氏は
「ブルーベリーパンくらはい」
こんなのですから、美味しくないわけがない
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生地がしっとりとしていて
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ykokotako氏のこれには私もビックリ、
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ケーキでしょう、これは。

食べ過ぎた「田端銀座商店街」
訪れる人達に「風情」を見せてくれることも忘れません。
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何か玄関先の作りが凝っていて
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営業していてほしい、スミレは奥様の名前かな。
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いかがだったでしょうか、田端、そして「田端銀座商店街」
GINZA OF GINZA 銀座の中の銀座。
日本で最初に「〇〇銀座」と名乗ったのは「戸越銀座」だと聞いてます。
砂町銀座、谷中銀座、そしてこの田端銀座、
銀座と名乗ることの意味、名乗った者のプライド、
そして本家としての「銀座」の誇り、
そこで働く商売人たちの心意気を感じました、どの街でも。

「また銀座にも行かなくちゃ」
そう呟いてこの旅を終えました。
ご訪問下さった皆様、ありがとうございます。
またぜひ、このkozoh55ブログに遊びにいらしてください。

kozoh55


田端 銀座の中の銀座に見とれて(4)

田端という街を訪れようと思ったのは、
「田端銀座商店街」があり、それも田端駅より
駒込駅よりにあることを知ってからです。
「動坂」に戻り、通りすぎたら
何時頃作られたのか、「都営本駒込アパート」
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さびれモードに入った建物
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その路地の中に入ると、
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「田端銀座商店街」
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迎えてくれたのが「お惣菜の彦坂」さん
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この看板、迫力ありすぎ
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ご主人のお言葉「俺は味に妥協しない、本物しか使わない」
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「他が使ってるのとは油から違う、うちはラード使ってるから」
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そういわれると、このメンチは胃腸に負担が少ない
そんなふうな気持ちになります。

建物の一棟一棟が印象深い
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右の入口は「小人用」かしら
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小窓がたくさんの「不思議」中はどうな風かな。
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この姿になるまで、私の年齢じゃ足りないでしょう。
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田端 銀座の中の銀座に見とれて(3)

田端駅から、少し南に坂を下りると、
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「りゅうのすけくん商店街」
芥川龍之介さんがこの地に暮らしていたのですね。
肝心の商店街はどこに?
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芥川龍之介がこの地に住んでいた頃、「田端文士村」と呼ばれていたそうで、
でも、36歳の若さで芥川龍之介が死去すると、文士達の多くが馬込に
引っ越したとの事。そういえば大森から馬込にかけては
たくさんの文人が住んでたのを記事にしたこと、思い出しました。

切り通しの道から、少し入ると「田端八幡神社」
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奥州征伐を終え、この地に立ち寄った源頼朝が、
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「鎌倉八幡宮」を勧請して作られたといわれる、由緒ある神社。
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私ですね、「小僧さん」。嬉しくなりました。
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お隣に隣接「白龍山寿命院東覚寺」
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凄い迫力
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赤紙仁王像
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江戸時代、疫病を鎮めるためにこの仁王像がつくられたが、
いつしか、赤紙を自分の患部と同じ場所に貼り
病気身代わりと心身安穏を願ったそうです。
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確かに阿吽像はありましたが、、、、見えない。
いまも信仰厚いのですね。

二宮金次郎像。残っていてくれて嬉しい。
小田原には生家がありましたね。
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なんとなく撮ったのですが、自分が撮った?の?
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江戸時代からこの田端の信仰の中心。
明治以前はこの田端神社と東覚寺は一つだったようです。

次回はついに!? 田端銀座をご紹介

田端 銀座の中の銀座に見とれて(2)

今日の目的地は、尾久ではなく「田端」でした。
おぐぎんざ商店街から、山手線の内側に戻って、ラーメン屋探し。

もう田端ではなく、住所は千駄木でしたが、
今日初めて頂く「神名備(かむなび)」さん。
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店内に入ると、ご夫婦でしょうか、忙しそうにされていて、
約15分位して、出てきた「醤油ラーメン大盛」
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大盛りの価格で1140円。
最初はいい値段かな、と思ったけど
チャーシューをまずいただいてビックリ。
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見た目よりずっととろける感があり柔らかい、その上、大きい。
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そして、黄色い堅めの麺と焦がしニンニクが香ばしい
スープが一体となって、私の舌に飛び込んできて
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気が付くと、この状態です。
yokotako氏は一瞬にしてスープ飲み干してました。
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ご夫婦で丁寧に作っているこのラーメンは、
このお値段でも儲からないような気がしました。
麺・スープ・具どれも妥協がないのです。

うーん、病みつきになりそう。
都内にいらっしゃることが出来る方、
おススメです。


田端 銀座の中の銀座に見とれて(1)

JR山手線田端駅を降りて、「ああ、この駅を降りるのは初めてだ」
と気が付いたのです。
地味系の駅、例えばうぐいす谷などちゃんと降りたことあります。

北口を出て、ほう、「田端ふれあい橋」ですか。
ふれあいは私も求めてます。
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ほう、銅像が、、何の謂れだったか調べてません。
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ほう、田端の鳩ですね。ふれあい橋のお客様ですね!
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街の中心は駅の南側のようですが、まずは北へ
いきなり大きな建物発見。
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「東京都北区立滝野川第四小学校」
以前紹介した「滝野川」という地名がこの街の小学校にまで
使われてます、滝野川地区はめちゃ広かったんですね。
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のどかです。
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公園のそばにあった小さな神社は
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「東灌森稲荷神社」
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江戸の基礎を作られた太田道灌が作ったとも言われているようです。

もっと北へ、しみじみしていると
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しみじみ系の建物が現れ
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「えっ!」と私、どこかで見た商店街の旗、、、
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うーん
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そう、そうなんです、田端は先日紹介した「尾久」と
繋がっているのですね。
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田端も結構面白い~