下町風来坊~小僧の温故知新~

こんにちは。北海道から数十年前に首都圏に移住。谷中のように、繁盛し続けている下町や商店街、ちょっぴり役割を終えつつある街並み、そしてもう役割を終えたはずなのに今も輝きの残照を残している旧色街など、江戸から平成までの生きた街の姿を紹介します。  ※当ブログで使用されている写真の使用・転載はお断りいたします。

時のかけら 救いを求めて

アサヒ商店街のある街をぼんやりと歩いていたら、
こんなものに出逢う
180424-134637-押上・あさひ商店街20180427 (564)_R
『お化け地蔵』享保6年建立。
180424-134646-押上・あさひ商店街20180427 (566)_R
関東大震災で二つに割れ、補修され、頭部も当時の物ではない。
180424-134650-押上・あさひ商店街20180427 (568)_R
優しそうなお地蔵さん
180424-134654-押上・あさひ商店街20180427 (571)_R
これはお地蔵さんの子供?か
180424-134656-押上・あさひ商店街20180427 (572)_R
江戸時代、この街の貧しき人達のよりどころだったかもしれない。
180424-134720-押上・あさひ商店街20180427 (576)_R
180424-134728-押上・あさひ商店街20180427 (578)_R
供養塔でいっぱいな街
180424-134753-押上・あさひ商店街20180427 (583)_R
お地蔵さんの後ろはコンクリート補修済み
180424-134801-押上・あさひ商店街20180427 (584)_R

この場所から北に向かうと、千住宿が現れる
そう江戸時代末期にこの地は江戸の端だった、
そして小塚原という刑場があったのもここ、
安政の大獄で処刑された吉田松陰が葬られたのも、ここ、

吉原があり、山谷があり、泪橋があり、山谷堀があり、
杉田玄白が『腑分け』したのもここ、

このあたりは、今、南千住と呼ばれている
180424-141313-中山道 201804(2)_R
180424-141527-中山道 201804(13)_R
延命寺の『小塚原の首切り地蔵』
180424-141330-中山道 201804(4)_R
3.11で左腕が落ちてしまった
180424-141426-中山道 201804(6)_R
けれど、すでに補修された『首切地蔵』
処刑された20万人の供養塔としての地蔵は
大切にされているという事なんだろう

時のかけら 追浜・鷹取  

この日は、鷹取山だけでなく、追浜駅周辺も少し、歩いた。

静かな、静かな団地
180522-141656-横須賀STORY 鷹取山異径 (384)_R
鷹取商栄会
180522-142224-横須賀STORY 鷹取山異径 (389)_R
180522-142229-横須賀STORY 鷹取山異径 (391)_R
その商店街は、お洒落な酒屋さんがあり
180522-144508-横須賀STORY 鷹取山異径 (422)_R
甘くて炭酸の効いたラムネも売っていて
180522-144410-横須賀STORY 鷹取山異径 (419)_R
温泉もある
180522-142800-横須賀STORY 鷹取山異径 (408)_R
街は古いのか新しいのか
180522-142418-横須賀STORY 鷹取山異径 (395)_R
駅前のこの右側のビル
180522-113843-横須賀STORY 鷹取山異径 (7)_R
『追浜ショッピングセンター』
180522-113950-横須賀STORY 鷹取山異径 (9)_R
現役で頑張ってくれていた
180522-114016-横須賀STORY 鷹取山異径 (13)_R
スポーツ刈り、か
180522-114109-横須賀STORY 鷹取山異径 (20)_R
照明が蛍光灯、昭和30年代からの姿だろうか
180522-114124-横須賀STORY 鷹取山異径 (23)_R

鷹取川
180522-121915-横須賀STORY 鷹取山異径 (53)_R
こんな健気と感じるくらい小さな川にも、命は宿る
180522-121851-横須賀STORY 鷹取山異径 (49)_R
掛けられた橋の名は
180522-121810-横須賀STORY 鷹取山異径 (42)_R
『夫婦橋』
180522-121831-横須賀STORY 鷹取山異径 (45)_R
橋の名の由来はわからない、ただ、
昔、この辺りに市場があったという


時のかけら 愛新愛新覚羅溥傑旧宅②

応接室の窓が美しい
180508-145904-稲毛 愛新201805 (76)_R
180508-145910-稲毛 愛新201805 (78)_R
コンセントは当時のまま
180508-145953-稲毛 愛新201805 (88)_R
外から見た応接室
180508-150645-稲毛 愛新201805 (136)_R
庭の方からの建物全体
180508-150535-稲毛 愛新201805 (122)_R
外見の地味な様と皇室の建物と見紛う室内、そのバランスの不思議
180508-150536-稲毛 愛新201805 (123)_R
愛し合っていた溥傑さんと浩さん
180508-150150-稲毛 愛新201805 (96)_R
180508-150217-稲毛 愛新201805 (100)_R

小ぶりなこの別荘の脇にちょこんと佇む『離れ』で
180508-145935-稲毛 愛新201805 (84)_R
180508-150637-稲毛 愛新201805 (135)_R
お二人はどんな会話を交わしたのでしょうね
180508-150830-稲毛 愛新201805 (143)_R
180508-150839-稲毛 愛新201805 (144)_R
小さな小さな6畳間
180508-150940-稲毛 愛新201805 (153)_R

太平洋戦争終結により、溥傑氏は戦犯としてソ連の強制収容所に送られ
その後、中華人民共和国に送還され、戦犯となる。

1960年に模範囚として釈放され、北京に帰る。
その後は7度日本を訪問し、日中友好の懸け橋となられた。
激動の人生を送られた溥傑氏は1994年2月、永眠。

『千葉ゆかりの家』
千葉市稲毛区稲毛1-16-12(国道14号沿浅間神社大鳥居脇)

時のかけら 稲毛 愛新覚羅溥傑旧宅①

中国最後の王朝、清のラストエンペラー『愛新愛新覚羅溥儀』の実弟『溥傑』氏が
日本人と結婚し、新婚の半年間、現在の千葉市稲毛区に半年間住んでいたことを
ご存知の方は少ない、私ももちろん知りませんでした。
180508-151141-稲毛 愛新201805 (165)_R
180508-151128-稲毛 愛新201805 (163)_R
まあ、派手ではなかったです
180508-151114-稲毛 愛新201805 (161)_R
180508-151256-稲毛 愛新201805 (168)_R
玄関の土間のこの模様を見て、戦前戦後の日本の家を思う

格天井は格式の高さの証
180508-145403-稲毛 愛新201805 (32)_R
この和照明の装飾は、富士屋ホテルの別館で見たもの
180508-145126-稲毛 愛新201805 (209)_R
そこは以前、皇室の別荘だった場所

丁寧にしつらえられた和空間
180508-145154-稲毛 愛新201805 (4)_R
愛新覚羅溥傑氏の家系
180508-145458-稲毛 愛新201805 (42)_R
奥様の『浩』様の嵯峨家は日本の皇室と深い関わり
180508-145452-稲毛 愛新201805 (40)_R
明らかな政略結婚であったにもかかわらず
180508-145636-稲毛 愛新201805 (50)_R
二人はずっと仲睦まじかったという

応接の洋間に残されている写真
180508-145802-稲毛 愛新201805 (64)_R

普通の夫婦の新婚時代の姿が
180508-145828-稲毛 愛新201805 (68)_R
そこには映し出されていて
180508-145834-稲毛 愛新201805 (71)_R
ただ浩さんが特別に美しい方であった事も
180508-145841-稲毛 愛新201805 (72)_R
知った、kozoh55でした。
180508-145857-稲毛 愛新201805 (75)_R

もうひとつ、記事を書きます

時のかけら 佐倉順天堂

実は10年ほど佐倉市に住んでいたのですが、
当時は街歩きの趣味に目覚めていないので、
佐倉の史跡はほぼ未訪問。

短い滞在で見てきたものを
断片的に紹介します。コメント少な目で

『佐倉順天堂』
180501-110441-佐倉201805 (5)_R
180501-110533-佐倉201805 (9)_R
当時の佐倉藩主『堀田正睦』の招きに応じ
幕末天保14年に蘭医『佐藤泰然』が蘭医塾兼外科診療所として開設。
180501-111703-佐倉201805 (34)_R
ええ、この方が創設者。

この建物は安政5年建築の物。入口の門は再建されたもの。
180501-110733-佐倉201805 (18)_R
180501-110748-佐倉201805 (20)_R

当時、日本で最高の医療が行われた地であり、この塾で学んだ医師たちが
後に日本中で活躍。

180501-111331-佐倉201805 (23)_R
ここで受付したのだろう
180501-111418-佐倉201805 (27)_R
実験器具
180501-112011-佐倉201805 (39)_R
そして医療器具
180501-112452-佐倉201805 (45)_R
180501-112457-佐倉201805 (48)_R
180501-112539-佐倉201805 (49)_R
そして、治療の金額案内
180501-112901-佐倉201805 (66)_R

ここで日本の医療の飛躍的な成長が始まったわけですね。
順天堂病院、そして東京大学医学部へ